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1の2 であい

 ちゃぷん。  目が覚めて最初に聞いたのはそんな音。  冷たいけれど芯が冷えない不思議な水の中で目が覚めた。  身体は水面に首だけだしている状態で浮いていて、それなのに沈まない。  目を開けたら景色が明るかった。  真っ青な空とサワサワと音を立ててなびく緑色。緑色を支えているのは茶色い柱で、その下を一面の草と生け垣と黒い土が覆っている。  僕はその景色の中にポッカリ空いた水溜まりの中にいて、空の青を吸いこんだ透明な青い水に浮いていたらしい。 「地獄ってキレイなところ」  ぽやんと景色を眺めての感想を呟いたら、急に浸かっている水がぷよぷよ跳ねた。 『クックッ。地獄ではないぞ、ヒトの子よ。もちろん天国でもないがな』  声は僕の周りから聞こえてきていて、とても不思議な感覚だった。  ざばんと音を立てて余計な水を落としながら、僕を包んでいた水の塊が水面から浮いて僕を持ち上げた。それで、僕が沈まなかったのはこの水の塊さんに支えられていたからだとわかる。 『目が覚めたようだな、ヒトの子。そなたが宙から落ちてきた時にはさすがに驚いたぞ』 『ヒトの子よ。そなたはどこから現れたのだ。ここは神の森だ。ヒトには畏怖の対象であろう』  水の塊さんとは違う声が陸からも聞こえて、僕はその声の主を探してしまう。  そこには緑色を乗せた茶色い柱しかないのだけど。喋ったのはそれなのかな。水が喋るならあり得なくはないか。 「僕、落ちてきたの?」 『うむ。空の高くから真っ直ぐこの湖にな。どこから来たか覚えておらなんだか?』 「……お風呂で転んで頭打ったの。死んだと思ったのにな。まだ生きてるんだ」  あの状況ではガラスに刺されるかお風呂の水で溺死するかどちらかだと思うのに。どういう理由なのか、空の上に放り出されたらしい。  陸の声は僕を間抜けだと大爆笑しているけれど、水の塊さんはむしろ考え込んでしまってむむっと唸った。 『そなた、“旅人”か』  旅人?  首を傾げる僕と、急に笑いやむ声と。意味が分からない僕に水の塊さんはうむと声だけで頷いた。 『時空を越えて異世界からやってくるモノのことだ。この世界は時空の狭間にあるようで、数多の異界から色々なモノが現れる。無機物であったり生き物であったり様々だが、中でも意思の疎通がとれるヒトのような存在を区別して旅人と呼ぶのだ』  時空とか無機物とか意味の分からない言葉もあったけれど、僕がその旅人といわれる存在なのはなんとなく分かった。僕が生まれ育った所とは普通は繋がってないことも。  ということは。 「僕、帰らなくても良いの?」 『帰りたくとも道はない』 『ここでは生きていくのも困難だぞ。今は実りの季節ゆえ果実もあるが、もうすぐ冬が来る』  冬か。裸のままじゃ凍えて死んでしまいそうだ。  そもそもあの時死んだと思っていたから今ここにいるのもオマケみたいなものだし、凍えるまでここでのんびりするのも良いかも知れない。お店以外を知らない僕は生存能力も著しく劣るんだ。  のんびり現実を受け入れてたら、何だかまた考え込んでいた水の塊さんがぷよぷよ揺れて僕を揺すった。 『生き残る術が1つある。そなたには迎えがあろうし我らにも悲願の叶うことだ。協力してみるか?』 『お、おい、雨の。こんな子どもにさせる気か』 『我らを知覚して驚かないヒトの子なぞこの子をおいてそうはおるまい。無理強いはせぬ』  どうする、と問いかける相手は僕だったみたいで、声がどちらも黙った。  サワサワという風の音に、湧き出す水のコポコポという音。他に音のしない静かな場所だ。  何をしたら良いのか分からないけれど、それをしたらここにはいられなくなるのはわかる。迎えが来ると言ってたから。 「僕はここにいたらダメなの?」 『ダメとは言わぬが冬は越せなかろうな』 『迎えが来ればそなたも大事にされるだろう。世界に雨と風を解放する救世主だ、疎かにはすまい』 『その雨と風を封じたのもヒトではあるがな。死にかけたこの世界ならば希求されておるだろう』  何を選択するにせよ事情を知らなければ判断材料もないから、と水の塊さんと緑色を乗せた茶色い柱さんが僕に昔話をしてくれる。  それは、昔々で始まるこの世界の神話だった。  昔々。今から千年くらいは前のこと。  僕が落ちたこの森は広い海と広い大陸に挟まれた島の国で、季節の変わり目には強い嵐の通り道になっていた。  嵐が通ると川が溢れ道が途切れ風が家を巻き上げて土地に生きるものに損害をもたらすけれど、その代わりに豊富な水と肥沃な土壌という恵みももたらしてくれる。恵みの雨ではあるけれど過ぎたるは及ばざるが如し。嵐はそんな存在だった。  ある日、嵐に翻弄されて生きたヒトの中でも魔法の力に長けた魔法使いがその人生をかけた大魔法を島にかけた。  それは、嵐の元である雨と風を根本から封じてしまう画期的なものだった。  神封じと呼ばれるそれは昔から禁じられていた邪法だった。邪法でも嵐に苦しめられるよりはマシだと、人々はそれを喜んで褒め称えた。  それから10年は人も生き物も平和に過ごしていた。  けれど、雨も風もない島はやがて蓄えられていた土壌の力を使い果たし、段々と荒廃していった。  今さら封印を解こうにも、術を施した魔法使いは術の代償とばかりに命を落としていて、誰にも手が出せない。  人々はただ痩せ細っていく大地を無力に眺める他なかった。  千年が経った今。この雨と風の神を封じた神の森の周囲だけを残し、島は死の島となった。川も湖も全て干上がって草も木も育たず、生き物は微生物すらも死に絶える、過酷な砂漠の島になってしまったのだ。  その封じられた雨の神様と風の神様が、僕に昔話をしてくれている二人なのだそうだ。  水の塊さんが雨の神様。緑色を乗せた茶色い柱さんが風の神様。  魔法使いが施した神封じは、神様の荒ぶる力を壺という入れ物に封じて静なる力を魔物という生き物に封じるもので、元々は神様の力を独占しようとした欲深い魔法使いが大昔に編み出した術だったそうだ。  術を解くには荒ぶる力と静なる力を混ぜ合わせる必要があって、魔物になった神様が壺を開けられれば簡単に解ける。  けれど、今荒ぶる力を封じた壺は魔物避けの結界を張った『神殿』の中に安置されていて、魔物になっている神様たちは近づけないらしい。  質問を交えながら聞いていた僕は、そこでようやく僕の出番なのだなと分かった。 「僕がその壺を持ってくれば良いの?」 『そなたでは壺を持ち上げるのもままならなかろう。そなた自身がスッポリ収まるほどの大きな壺だ』 「なら、僕はどうすれば良いのかな」 『我らと交わるのだよ。そなたの胎内に我らの核を預け、壺の中に残された荒ぶるモノの核と交わり胎内で交配させるのだ。さすれば神の封じが解けるだろう』 『そのためには、そなたはここで我らを受け止めねばならぬ』  ここで、と言ってつつかれたのはお尻の穴。無理強いはしないとか脅すから難しいことなのだと思ってた僕は、拍子抜けしてしまった。ここ最近は休む暇もなく使ってる場所だし、何も難しくない。  そんなことなら今までの千年間に誰か来て封印を解いててもおかしくないのに。何か他に問題があるのかな。 「今まで誰もしてくれなかったの?」 『神の森に入ること自体がヒトには禁忌だ』 『神とはいえ魔物と交わることのできるヒトなどおるまいよ』 「魔物って、何?」 『そうさな。ヒトに害を成すモノかな』 『そなたのように気味悪く思わぬヒトはそうはおるまいよ。雨のはスライムという魔物にそっくりだし、我も魔樹そのものだ』 「気味が悪いの? 雨の神様ぷよぷよしてて気持ちいいよ?」 『ふむ。なれば我はどうだ? 動いて言葉を話す木なぞ、不気味であろう』 「えっ!? 動かないのが普通なの?」  緑色を乗せた茶色い柱を『木』というのだと分かったのがたった今な僕は、むしろそっちに驚いた。  だって、はじめて見たんだ。そんなの分からない。  僕がびっくりすることにこそ驚いた神様たちだったけど、僕の物知らずを哀れむように頭を撫でてくれた。 『木を知らぬとは』 『余程閉鎖された所に閉じ込められて育ったのだな。哀れな子よ』 『このように無垢な子には酷い仕打ちになろうよ』 『さよう。他を待つとしよう』  そなたは心配せずとも良い、なんて優しい声で言われた。  けど、千年待って僕が現れたなら、次はまた千年後なんじゃないのかなと思う。それに、僕には何も難しくない。 「しないの?」 『言うたであろう。無理強いはせぬ』 「無理じゃないよ。いつもしてることだもの。それで神様を助けられるんでしょう? むしろ、簡単でびっくりした」  言った途端、神様たちが動揺したせいで水も風もざわめいた。僕を抱き上げていた雨の神様にぎゅっと抱き締められた。 『いつもしておるとな』 『簡単と申すか』 『そなた、その幼い身体でよくぞ耐えたものよ』 『なんと不憫な』  交互に嘆いて抱き締められて撫でられて、僕自身がキョトンとしているのにさらに憐れんでくれて。 『ならば、そなたに手伝ってもらおうの。力を取り戻してそなたを生涯守ってやろう』 『意に沿わぬ交わりはこれが最後。今少しだけ耐えておくれ』  耐えるようなことだとも思わないけど、神様たちが熱心に気づかってくれるのに反論するのもおかしくて、コクンと頷くだけ。  良い子だ、と誉められた。

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