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1の4 けいやく
振動も揺れもなく動き始めた雨の神様に、僕は手持ちぶさたでしがみついてみた。後ろから果物を入れた籠を持って風の神様もついてくる。
「遠いの?」
水溜まりを迂回して向こう側を目指しているようで、木がたくさんでその先が分からないから聞いてみる。
ぷるんぷるんと雨の神様の巨体の上の方が大きく揺すられたのは、もしかしたら首を振ったのかもしれない。
『神殿はすぐそこだ。森が邪魔をしているが、そら、そこで終わっておる。見えてくるぞ』
促されて前を見る。続いていた木がなくなっているけれど、太陽の光が眩しくてやっぱりその先は見えなくて。
木の影の下を抜けたら突然視界が開けた。
目の前にドンと建っているのは、石造りの建物だった。
お店のエントランスと同じように彫刻が施された太い柱が何本も立っていて、大きな石の屋根を支えている。
床は茶色な地面から5段ほど石段を上ったらところにあって、キチンと表面が磨かれた大理石らしい床が広がっている。その建物には壁がなかった。
『我らが近づけるのはここまでだ』
『神殿の中央、魔方陣の上に壺がふたつ並べられている。蓋を開けておくれ。壊しても構わない』
『蓋を開けると我らの荒ぶる力がそなたを襲うだろう。だが、実体のないモノだ。じっとしていれば傷つけられることはない』
『終わったらそこで待っておいで。嵐が過ぎればヒトがそなたを迎えにくるだろう』
かわるがわる説明される。雨の神様に地面に降ろされて、風の神様から果物の籠を受け取って。
「神様たちはここでお別れ?」
『神の力を取り戻したらそなたのそばにも行けるだろう』
『嵐の間は我らも忙しい故、そばにいてやる約束はできぬ』
『そなたをひとりにはせぬ。そう不安そうな顔をしないでおくれ』
優しい神様たち。また会えるのならそれで良いんだ。忙しい人にワガママは言いたくない。
「無理はしないで。僕はひとりで大丈夫」
神様たちが僕のために無理をするのが嫌でそう言ったのに、途端に二人の神様に抱き締められた。顔の場所も分からないから表情は分からないけれど、悲しそうな声が聞こえてくる。
『ひとりで大丈夫だなどと悲しいことを言わないでおくれ、可愛いヒトの子』
『そなたは幸せになるためにこの世界にやって来た旅人』
『我ら神の元へ降りたからにはこの上ない幸福な生を味わってもらわねば』
まさしくその通りと相方の同意を得て、二人は僕を放して少し離れ、揃って並んでこちらを見つめた。籠を提げて見上げる僕に改めて声を揃える。
『可愛いヒトの子よ』
『愛しいヒトの子よ』
『我が名は雨月 』
『我が名は風月 』
『神の名を持ちて』
『そなたを守護せしめん』
『主の名をここへ』
『主の名を示せ』
何かの儀式のような二人の声に圧倒される。厳格にして神聖な場の空気に飲まれて声が出ない。
それでも、名前を聞かれてるのはわかる。雨の神様と風の神様の名前を教えてもらったか、僕も返さなくては。
少し震える手をもう片方で抑えて、震える唇を開いて。
「僕は、ピアス」
『ヒトの子よ』
『それは呼び名。それは仇名。誓約には価しない』
『……もしや』
『名がないのか』
『なんと哀れな』
『なんと憐れな』
それは僕の名前ではなかったのか。名前を付けられてからそれでしか呼ばれてないから、それが名前だと思うのだけど。
『名は魂ぞ。己を構成する核となるもの。それゆえに名は大事なものなのだ』
『そなたの魂に刻まれた名がその呼び名を違うと拒否しておる』
『そなたが知らぬと言うのなら、読み解いて良かろうか』
『少し魂に触れることになるのだ。そなたの赦しが必要だ』
赦しと言われてもどうすれば良いのかまったく分からず。コクンと頷くのが精一杯だ。
それで良かったのか、雨の神様がスルリと手らしきものを伸ばして、僕の裸ん坊の胸に触れた。ペタリと密着するのが気持ちいい。
『……良い名だ』
『良い名か。して?』
『ヒトの子よ。そなたの名は山風 』
『なるほど、嵐の守護を持つに相応しい』
「やま、かぜ?」
『では続けよう』
『主の名をここへ』
『主の名を示せ』
「……僕の名前は、山風」
口にした途端。
僕を中心に風が渦巻いた。細かな水玉を含んだ風が、僕を包むように柔らかく。
心に暖かく柔らかい塊が宿って落ち着く。
『契約は交わされた』
『我らを必要とするならば名を呼べ』
『いつなんどきであろうともそなたの前に馳せ参じよう』
僕はただ、たった今神様が付けてくれた名前を名乗っただけなのに。神様を呼びつけられる契約とか、僕の身に余らないかな。
神様自身からのご厚意なのだから素直に感謝なんだけども。助けてもらうばっかりの僕よりも助けてくれるばっかりの神様たちの方が満足そうなのも不思議だ。
それから、改めて僕の身体が石造りの建物の方に振り返らせられる。
『さぁ、行っておくれ』
『我らの封印を解いておくれ』
出会って最初に言われた通り、悲願なのだろう。預かった神様たちの核がお腹の中で暖かい。
契約したからなのか、お腹の暖かさのおかげなのか、段々と僕の中に使命感が湧いてきた。
「いってきます」
いつもぽやぽやしていた僕にとっては多分初めて、意識的に腹を据えた。神殿だという建物に向かって歩き始める。
僕が両手で提げている果物の籠の重さも、神様たちの僕に託した想いだと思えば、かけられる期待に自然と緊張するんだ。
約束は守るもの。
神様たちの封印を解くために。神殿までの道のりをちょっとだけ胸を張って意気揚々歩いてみることにしたのだった。
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