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2の2 えっけん

 皇帝陛下の執務室は、僕が住まわせてもらっている建物とは別の建物の中にあって、渡り廊下を通ってその先が随分遠い。  たどり着いた時には少し息が上がっていた。  体力がないとか運動不足とか、理由はいろいろ思いつく。お店にいた時もそんなことを言われてからかわれた。  けど、閉じ込められてる生活で運動とかどうやってするのか、教えて欲しいと思う。  執務室には皇帝陛下以外にも人がたくさんいた。 「陛下。神子様をお連れいたしました」  連れてきてくれた女官さんがそう言って、僕を部屋に入れて戸を閉めた。  僕のすぐ後ろで戸が閉まったから神様たちが大丈夫だったのか気になって振り返る。  で、いつの間にか後ろじゃなくて横にいたのに気付いた。 「神子よ。近う寄れ」  声をかけられて前を向く。  一段高いところに肘掛けに凭れた皇帝陛下がいて、その正面には日に焼けた逞しい男の人が一人。部屋の向こう側とこっち側におじさんがたくさん並んで座っている。  近う寄れと言われても、どこに行けば良いのか。皇帝陛下が呼んでるのだからそのそばに行けば良いのかな。  ぽてぽて歩いて近づいていったら、段差の手前で止まるように声をかけられた。  っていうか、怒られた。 「止まれ! 段上へ上がるでない、無礼者!」  びっくりして立ち止まって振り返ったら、おじさんたちがみんな怒った顔をして僕を睨んでた。思わず何歩か後退る。 「……ごめんなさい」  でも、どこに行ったら正解だったのかな?  困って雨月と風月を見上げる。とりあえずここに座ろう、と二人が率先して腰を下ろしたから、僕も近くにぺたりと座った。  途端に、やっぱりおじさんたちが不機嫌そうにこそこそ話し合っていて、居心地悪い。  かわりに、皇帝陛下の正面で僕を見ていた男の人が豪快に笑った。 「神子殿は異界から参られたと聞く。我が国とは様式が違うのだろう。そう幼子をいじめるものではない」 「しかし、ムラサ殿。陛下の御前にてこのような礼儀知らず……」 「だから、その礼儀のありかたが彼の方がいらした異界と異なるのであろうと言っておるのだ。頭の固いじいさんはこれだから困る」  やれやれ、と男の人が頭を振っていて、周りのおじさんたちがやっぱり怒っていて。  皇帝陛下は溜め息を吐いていた。 「ムラサ殿。慎んでくれとは言わぬが少し控えてくれ」 「ふん。陛下の顔を立ててこのくらいにしといてやるさ。それで、紹介いただけぬのか?」  皇帝陛下を相手にしてても口調が改まってないのにとてもびっくりする。皇帝陛下はこの国で一番偉い人のはずなのに。  その男の人に手招きされて、僕は行っても良いものか分からなくて雨月と風月を見上げた。  頷いたのは、行っても良いということかな。  もう一度立ち上がって男の人のそばまで近寄ったら、腰を抱かれてそのまま膝の上に座らされた。びっくりわたわたしながら、逃げられるわけもなくてそのまま従うのだけど。  後ろからついてきた雨月と風月が何故だか楽しそうに笑っている。 「そなた、そこに何か見えているのか?」 「……何か?」 「ああ。そこを、見ているだろう?」  そこ、と僕に目線を合わせて指差されたのは、神様たちのいるところ。  僕たちと皇帝陛下の間を塞ぐように神様たちがよっこらせと腰を下ろしているところだった。 「神様たち?」 「なんと。そこにおられるのか?」 「うん。……見えないの?」 「ふむ。我には見えぬな」  そうか、他の人には見えないのか。だからみんな雨月と風月を無視してたんだね。  そうか、と言って少し考えたその人は、僕を膝から下ろして近くに座らせてくれると、姿勢を改めて胡座の膝に拳を突き、深く頭を下げた。 「ヤマト国エンス郷の族長、ムラサと申す。雨風両神を復活せし神子殿へお目通り願いたく参上いたした。お見知りおき願いたい」  それは、じっと見つめている場所――といっても本当に見えてないみたいで焦点が合ってないけど――から考えて、神様たちへの挨拶なんだと思う。  少しびっくりしていた神様たちが、ぷっと吹き出した後に笑い出した。何がツボだったのかな。楽しそう。 『面白いヒトもいるものだのぅ』 『見えぬ我らに大真面目に自己紹介なぞしてみせるその器量。なかなか好ましいな』  なんか、気に入られたみたいです。  見えてないから反応も分からないムラサさんが僕を窺うようにみるのは、神様たちの反応が知りたいってことかな。  うん。通訳くらいはお安いご用だよ。 「神様たち、笑ってる。ムラサさんのこと、好ましいって」 「そうか! それなら良かった」  良かったんだ。安心したように全開の笑顔で笑うムラサさんに、僕もやっぱりほっとした。僕しか神様たちが見えないなら、責任重大だもの。 「時に、神子殿の名を尋ねてもよろしいか?」 「……僕?」 「いかにも」  いか?  何だかムラサさんの言葉って難しい。  いかに何かするの? いや、ここには食べ物ないから違うよね。  まぁ、いいか。とりあえず、名前を言わなくちゃ。 「僕は山風」 「山風殿と申されるか。ずいぶんと古い名付け……。いや、雨風の神を解放せし神子の名にふさわしい可愛らしいお名前だ」  何だか誉められたのは嬉しいけど。  古いの?  首を傾げて僕の名前を見てくれた雨月を見たら、何だか苦笑して返された。 『封じられてより千年も経てば名付けも変わるのであろうな』 『なれど、其が魂に刻まれし名であることに間違いはない。契約が履行されておる故な』  そっか。名前が違うって言われたのは契約できないからだったから、山風の名前が本当の名前なのは間違いない証明だよね。  古いって言われたのは読み取ってくれた雨月の感覚で名前に変換してくれたせいだし。  あ、じゃあ。 「雨月さまが名付け親なんだ」  だよね。  そうなるかのぅ、なんて雨月も首を傾げながら頷いている。雨月にしてみたら、僕に元々付いていた名前を読んだだけだから、名前を付けた感覚はないんだろう。  反対にムラサさんは不思議そう。ムラサさんに教えるためではなくでむしろ僕自身が納得する言葉だったせいかな。 「あめつきさま、というのは、もしや神の名か?」  あ、そこか。 「うん。雨の神様は雨月さま。風の神様は風月さま」 「神々もそれぞれに真名をお持ちなのだな」  ふうん、としみじみ言ったのは、神様たちの後ろで僕たちを眺めていた皇帝陛下だった。  その声で現在謁見の最中だったのを思い出したらしく、ムラサさんが真っ直ぐに皇帝陛下を見つめた。 「約定は守っていただく。よろしいか?」 「無論構わぬ。神々を解放せし救世主なれば保護しておったまで。そなたが望むならば好きにすると良い」 ――  救世主って僕のことだったと思うんだけど。何のことだろう。  首を傾げる僕の頭をムラサさんが少し乱暴に撫でた。 「皇帝陛下よりそなたの身柄を下賜いただいたのだ。我と共に郷へ移ってくれ」  ……えーと。  お引っ越し、ってことかな?

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