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2の3 ひっこし

 ムラサさんの郷までは、馬車で移動することになった。  ヤマト国は今人口がとても少なくて、ほとんどが神の森に集中している。  その森から離れた集落が郷と呼ばれているところで、全部で6つ。全部海に面していて、ムラサさんの郷が一番森から遠いそうだ。  僕の荷物は皇帝陛下にもらった服だけで、僕一人だけ乗せられてる馬車の僕の隣に置いている。  荷物が少なくて助かったとムラサさんは上機嫌。  お引っ越しは昼間歩いて夜は野宿で5日かかった。  その間、ムラサさんが色々と話し相手になってくれた。僕に話すべきことがたくさんあったんだって。  馬車には即席の屋根がついていて、それだけの吹きっさらしだから、外の景色がよく見える。  神の森近くから離れるとずっと砂ばかりで、本当に何にもなかった。  雨がずっとしとしと降っていて僕以外は6人全員濡れてるのだけど、濡れるのが嬉しそうなんだよね。不思議です。  僕のお引っ越しはムラサさんに望まれてのことだった。  神様たちを解放した直後の大嵐はヤマト国全土に神様たちが復活したのを知らせていて、あの雨と風の中人々は外に出て狂喜乱舞だった。  そんな中、郷の長を務めるムラサさんは雨が復活したことによる弊害にいち早く気づいていて、大急ぎで都に上がった。そこで、迎えられた神を解放した人が僕みたいな子供だったことに利用価値を見出した。  神々を解放する力を持った神子ならば、雨と風の復活による弊害に対処できるかもしれない、と。  その弊害というのは、この国の特産品に関係する。  海の水で塩を作るには無風で日照り気候が欠かせない。その塩作りの邪魔をする雨と風になんとか封じるのでない方向で対応したいのだ。  対応といっても具体的にどうしたら良いのか、ムラサさんにも分からないそうだけど。  塩の作り方は、塩田という砂地の広い平らな場所に海の水を貯めて、太陽の熱で水を蒸発させると、水の無くなった塩田に塩が残る、という方法だ。  蒸発させた水は塩田の上に水を通さないように油を塗った布を張って、夜の寒さで気化した水蒸気を水に戻して貯める、っていうびっくりな方法で集められている。  水の貴重な土地だから、貯めた水は飲み水だけに使われていて、それ以外は海の水を濾過して料理も洗い物もしているそうだ。  そういう工程だから、毎日晴れないと海の水が蒸発しないので塩が作れない。せめて塩田を保護するために雨が降る日が知りたい、っていうのがムラサさんの要望だった。 『明日は雨が降る、程度の近い予定なら知らせてやれるが。ずいぶん効率の悪い方法だのぅ。昔のヒトの方が知恵を持っておったぞ』  僕と一緒に話を聞いていた雨月の感想で、僕は雨月を見上げる。  僕を膝に乗せて上から覆い被さっていた雨月の言葉で、僕は元いた世界の仕組みをひとつ思い付いたから。 「天気予報?」 『うむ。雨の神ゆえな、どこにいつ雨が降るかくらいは分かる。山風にならば教えてやろうぞ』 「僕にだけ?」 『我の声はそなたにしか聞こえまい』 「あ、そっか」  言われてみたら確かにそうで、僕はちょっと恥ずかしい。  神様たちと話をすると僕の大きな独り言になってしまうのを、ムラサさんは分かってくれていて黙って待っていたのだけど、納得した僕の言葉で区切りが付いたと判断して、またお話し再開する。  といっても、ほとんど終わってた。 「天気予報、とは?」  僕が雨月としていた会話の端から聞き取ったようで、ムラサさんが首を傾げる。はじめて聞く言葉だったみたいで不思議そう。  元の世界ではほとんど物を知らない僕だけれど、意外なことばかり知っているらしいことをムラサさんと話しながら知った。  たとえば、浅漬けの作り方。塩田だけではなくて藻塩も取っていると聞いて、浅漬けとか昆布漬けとか美味しそうって返したら、何だそれはと返ってきたんだ。  たとえば、傘。長い日照りのせいで傘がいらなくなったのだろう、と風月が感想を述べた。  たとえば、ライター。仕事柄、お客さんの煙草に火をつける機会は多くて、ライターの仕組みは知っている。あったら便利だよね。鉄を加工する技術はあるらしいから、作ったら便利だと思うんだ。仕組みを説明したら、できそうだな、ってムラサさんが言った。  で、今度は天気予報。僕が知っている民間天気予報は、夕陽がキレイなオレンジ色だったら明日は晴れ、くらいだけど。 「何故夕陽が明日の天気を占えるのだ?」  今まで雨なんか降らなかったこの国は雲すらなかったらしい。今はどんより曇り空だから雲が流れるところも見えなくて、説明が難しいけれど。 「偏西風っていう風が空のずっと高い所を西から東に常に吹いてて、だから雲も常に西から東に流れるんだよ。でも、それは僕が住んでた国だけで他の国では違うんだって」 『ほう。山風のいたところもか。この島も偏西風があるぞ』  一緒に話を聞いていた風月が感心したように言うから、それもムラサさんに補足する。  話を聞いて、ムラサさんがふうんと相槌を打った。 「ならば明日は晴れるのかな」 「え?」 「ほら、西の空が真っ赤だ。雨も止んだらようだしな」  見てごらん、と空を指差されて指先を追いかけたら、まだどんよりした雲が少し波打つように変わっていて、夕日に照らされて赤紫色に染まっていた。 「雨月さま?」 『そうだな。明日は久しぶりに朝から快晴だ。大体3日ほど快晴が続くかの』 「じゃあ、お塩作れる?」 『そうさのぅ。ここしばらくの雨続きでは難しいかも知れぬ』 「? どうして?」 『塩田の水気がはけるのにどれだけかかるかによるのだよ』 「ふうん」  それは残念だね。  少しがっかりしてムラサさんに通訳したら、ムラサさんもやっぱりがっかりした様子で。  西の空で雲が途切れて西日が射し込んだ。久しぶりの太陽の光。暗く淀んだ雲も日の光に照らされる部分が増えてさらに鮮やかに染まる。  キレイな景色に感動して、僕の背後から同じように西の空を眺めるムラサさんを振り返り。  僕はそこで口と目ををポカンと開けた。 「山風殿? いかがいたした?」 「……虹だ」  ムラサさんの背後に見える砂丘のずっと向こうに、空を覆う二重の虹。途切れる事のない半円を描いてあっちの地平線からそっちの地平線へ。 「これは、美しいな……」  いつしか隊列はそこで立ち止まり、やがて日が落ちて虹が消えるまで、大自然の芸術に見入るのだった。

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