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2の4 しあわせ

 ムラサさんの郷は本当に海のそばだ。  塩田は海から水路を引いていて、塩と交換の鉄製の堰で塞き止めて作られていた。見渡す限り塩田になっていて、これは急に雨が降ったら大変だと実感する。  家を作る材料も生活に使う道具もみんな塩と交換で輸入した木や鉄鋼石を使っているそうだから、塩が作れなくなったら生活も困るらしい。  それなのに。塩が作れなくなった原因を作った僕を郷の人は歓迎してくれた。ムラサさんの家の一部を住み処に与えてくれて、ご飯も家族みんなで一緒に食べるのに加えてくれて、物を知らない僕に色々教えてくれる。  ムラサさんの家族はおじいちゃんおばあちゃんお父さんお母さんお兄さんお嫁さん息子二人と娘一人でムラサさんも入れて10人家族。  ムラサさんが年若いから郷に年寄りがいないものと思っていたそうな神様たちはその家族構成にびっくりしていた。  普通は郷で一番年寄りの男の人が郷の長になるものなんだって。この郷ならおじいちゃんがなるのが当たり前の流れ。  夕飯の後でムラサさんが色々教えてくれるお勉強の時間。  そうなの?とムラサさんに直接聞いてみたら、普通はそうだと頷いて返ってきた。 「塩を作り生計を立てる郷ではあるが、それだけでは生きられないからな。男は漁に出ているのだ。族長が遭難しては困るだろう? 故に、族長になるのはこの家系で成人直後の男子と決まっている。ユカサが成人したら代替わりするのだよ」  ユカサくんというのはこの家の子供で10歳の男の子。郷の成人は18歳だからまだまだ先のことなんだって。  そういうわけで、族長は10年から20年毎にコロコロ代わるらしい。決定権は各家長が出席する合議制にあるから族長と言っても代表者の意味しかなくて、だからこそ若くても問題は起こらないんだとか。  ちなみに、家長になるのはその家で一番の年長者が多いんだそうな。 「そういう意味では我が家は変則ではあるな。家の代表者は普通一人だが、我が家は祖父と我で二人出ておる」  あくまで代表者であって独断専行は御法度なのだ、とか。  独断専行とか御法度とか、言葉が難しい。一つ一つ言葉の意味を聞きながら理解していく。  つまり、族長でも自分勝手に決められないってことらしいけど。  ってことは、僕がここに引き取られたのは郷の総意なのか。 「神子殿を迎えたいとなったのはな、郷のおばばの占いのおかげなのだ。雨風の神々を解き放つ神子殿が降臨召される、お迎えせねば郷が大変なことになる、と言うてな」  何しろそれまで日照り続きだったから、最初はおばばの占いを本気にした人はいなかったらしい。  けど、本当に嵐がやってくれば信じるより他になくて、けっこうな大慌てで僕を迎えに来たそうだ。  僕が何の役に立つのかな、と首を傾げてしまったのだけど。 「塩作りに天候の情報は不可欠。いずれ神子殿の天気予報がなくとも塩を作れるように工夫していくこと必須だが、しばらくは山風殿に活躍してもらわねば」  そっか。最初に占いを信じられてないってことは外れることもあるってこと。だから、確実に雨を予測するなら神様の力がいるんだ。  すごく責任重大。頑張らなくちゃ。 「そう力まずとも良いのだ。まだ成年にも遠い幼子に責任を押しつけるつもりはない。おばばよりは確度が高いと、その程度の心積もりよ。ユカサと共に大いに遊び大いに学ぶと良い」 「……良いの?」 「我が子同然にお育て申し上げよう。心優しき神子よ、その無垢なるままにのびのびと暮らすと良い」  堅苦しい言葉づかいのままだけれど。大きな男の人のゴツい手を僕の頭に伸ばして、ガシガシと頭を撫でられた。乱暴に見えるのに優しい手付きが何故か嬉しくて。  撫でられる頭の天辺と胸のあたりも暖かい。口元がふにゃりと弛む。  と、いきなりムラサさんのがっしりした胸に抱きすくめられる。 「可愛らしい笑顔だ。もっと笑え。そなたは誰よりも幸せになるべきだよ」  あれ?  なんか、神様たちにいつも言われることをムラサさんにまで言われちゃった。  この世界に来てからずっと、幸せなのにね。 「明日まで晴れの予報だったな。明日は郷の子らと釣りにでも行こう。山風殿は魚釣りの経験はあるのか?」 「さかなつり?」 「ふむ。ないのだな。ならば手取り足取り教えてやろう。楽しいぞ」  魚釣りのイメージごとない僕よりも、ムラサさんの方こそ楽しそう。  この郷に来てから、毎日が初体験で。明日は何が起きるのか、ちょっと楽しみだったりするんだ。    ※  ……あれから5年。  僕はムラサと二人で郷のはずれの小さな家に暮らしている。家長であるおじいさまから独り立ちの許可をもらって、分家の扱いだ。  まだ甥のユカサが成人に満たないから族長ではあるけれど、族長を辞しても家長として合議会に残れる立場。  塩田は田んぼの他に可動式の鉄皿棚方式が採用されて、雨でも少しずつ塩が作れるようになった。  専用の小屋を建てて、雨の日は屋内、晴れの日は野外で乾燥させられる工夫をしている。  まぁ、実験的に始まったばかりで試行錯誤中なんだけど。  これの責任者にムラサが就いている。天気予報は僕の仕事だから、この家は郷の塩田係な位置付けだ。  そんな責任ある立場が、分家を許された理由のひとつだ。  最大の理由はやっぱり、神々を解放した救世主である神子の僕と結婚したからなんだろうけど。  昔は喜怒哀楽のなかった表情筋はこの郷で育てられている間に鍛えられた。  神様たちはよく笑うようになった僕に嬉しそうだ。  子供の頃の経験はムラサには全部話してある。それでも僕を望んでくれた彼に、毎日幸せをもらって生きているのを実感している。  神様たちは昔ほど長居をしてくれないけれど、毎日顔をみせてくれる。天気予報のためと、僕が幸せに暮らしているのを確かめに。  ムラサと結婚する時は、まるで花嫁の父親みたいだったよ。幸せにしないと祟るぞ、なんて脅したりして。  ムラサもさすが皇帝陛下を脅す勢いで僕をかっさらってきただけあって、神様にも堂々と「ご心配なく」なんて胸を張る度胸の持ち主だからね。僕の通訳を挟みつつ、うまくやっていると思う。  雨のある気候は5年で少しずつ土地を変えている。  水辺は草木も生えるようになった。神様たちが苗や種を森から運んできてくれるから、この郷は国の中でも一足早く草木が根付き広がり始めている。  初夏のうららかな日差しのもと、庭を覆う若い草花を愛でながら縁側で日光浴するのが、僕の午前中の日課。そのうちに、神様たちが天気予報を持って訪ねて来てくれる。  さて。そろそろ神様たちがやってくる時間です。 『山風よ。今日も幸せにしておるな』 「雨月さま、風月さま。おはよう」 『うむ。おはよう』 『さて、今日の天気予報だ。今日も雲ひとつなく穏やかに晴れる予定よ。ただし、10日もすると入梅ゆえ、備えを怠らぬようにな』  雨月の外れっこない天気予報に、僕は満面の笑顔でお礼を返す。僕の心からの笑顔が何よりの対価だと二人が言うから、ありがたくお言葉に甘えて。 「神様たち。いつもありがとう」  この世界に呼んでくれて。  本当に、ありがとう。

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