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神子様の伴侶~ムラサの独白
占いおばばの予言はいつも唐突だが、あれほど驚いたのは今でも唯一だ。
雨と風が封じられた呪われた島国で、産まれてこの方雲のひとつも見たことがないというのに。嵐が来る、というのだから。
結論からいえば大当たりだったから、なおのこと驚いたものだ。
この国に雨風の恩恵がないのは、司る神々を大昔の術者が古代の呪術で封じたせいだというのは、この国に生まれ育っていれば幼い頃から良い聞かせられる常識だった。
あまりにも昔すぎて、呪術なんて信じていなかったけれど。
神々の封印を解き放ったのは、傷痕だらけで痩せているのに子供らしくふっくらした幼い子供だった。
歳を聞いて驚いてしまうほどの発育不全で、そのわりに妖艶な雰囲気をまとった、実に危うい色香のある少年の姿に、初めてその姿を拝見して心底驚いたものだ。
会話をしてみれば、その内面もまた不思議に思える様相をしていた。とにかく物を知らない。普通に暮らしていれば接しないわけがないような些細な物事まで知らないことが多い。それなのに、会話からは思考力と勘所の良さがひしひしと伝わってくる。
まったく、どんな環境で育てられたらこうなるのか。予測すら困難だった。
神々を解放せし救世主たる神子殿、というのが彼を表す肩書で、基本的には最大限に略して神子殿と呼ぶ。
その神子殿の生い立ちとこの神々を解放した経緯を聞けたのは、郷に引き取って半年ほどした頃だった。
その頃には、郷の子供たちと走り回って遊べるほどに生活に馴染んでいた。しっかり食べさせて遊ばせて育てた甲斐もあって、体力筋力共に年相応になったし、生活に必要な知識も一通り伝授されたくらいだったのだろう。
我と二人で毎日少しずつ設けていた勉強の時間に、学ぶべき事項も減っていたための話の継ぎ穂として、神子殿の過去を何気なく訊ねたのだ。
そこで聞かされた内容は、平穏に生きてきた人が想像できる悲惨さを軽く凌駕するものだった。
生まれながらに玩具扱いされ、男女の別もないような幼い年令で男の性の慰みものとされ、満足に食事もできず、日差しもほとんど浴びることなく、性と暴力にまみれて生き延びたという、人の尊厳など跡形もなく踏みにじられた生い立ち。
家畜だってもっと大切にされるだろう。不憫すぎて言葉がなかった。
神子殿はこの世界ではない別の世界から神々に喚ばれて直接神々の元に落ちたのだという。
神々がスライムや魔樹に封じられていたというのも、信じがたい話だった。解放するのにその魔物と通じる必要があったというのも驚いた話の一つだ。
解放されて後もずっと神子殿を気にかける神々の態度も、魔物の姿で幼い子供に無体を強いて解放されたとなればさもありなんと納得する。その一生を護るくらいでも恩返しに物足りない気持ちなのだろう。
出会った当初は表情から感情が抜けていた神子殿だが、郷の生活に慣れるにつれて、徐々に笑顔を見せるようになった。
はじめて怒ったのはこの郷に暮らして3年も経った頃か。怒り方も知らなかったおかげでほとんど癇癪のようなものだったが、それまでなら理不尽も甘んじて受け入れていた彼にしてみれば大きな前進だった。
はじめて泣いたのは祖母の死に際した時だ。あれも3年ほど経った頃だから、ちょうど感情に掛かっていた枷が外れた頃合いだったのだろう。
我自身の感情が父性の愛情から恋情を含むものに変わったのもこの頃だ。
遅くきた成長期は、それでも幼少期の不摂生が祟ってしまったものの、小柄ながらも伸びやかな青年の身体に変わった。肉や魚よりも野菜や海草を好むお陰なのか、艶やかな黒髪にしっとり透き通るような若い肌も美しい。
惚れた欲目などではなく、人目を引くに足る魅力的な青年に育ってくれたのだ。
見目だけに心奪われたわけではないが、いつまでも共にいたい、手放したくない、と考えるようになったのは、大人びた姿や表情のせいだろうか。
郷に迎え入れてから最も身近にあった大人であった我に、神子殿はずいぶんとなついてくれていた。それが恋を伝えて仲を進展させるのに一役買っているだろうことは、否定の余地がない。むしろその隙に付け入った自覚もある。
それでも、我が心を押しつけて家族愛と恋情を混同させないようにと細心の注意を払ったつもりだ。
恋を伝えて愛を育み心を通わせて丸2年。互いに敬称もなく名を呼び合い、肌に触れて体温を分かち、そっと寄り添う事が自然になるまで。じっくり待った我を誉めてやって欲しいものだ。
我の実家に分家を認められ、雨風の神々に許可をいただき、我が伴侶、山風の成人を待って、つい先日祝言を挙げた。
その初夜まで、身体を重ねることはしなかった。
生い立ちが生い立ちだけに、心に残る傷を心配したのが最大の理由だ。元々性交渉とは、愛し合う夫婦がその結晶として子を儲けるために行う大切な儀式だ。それを乱暴として身に受けて育った子だからこそ、愛を確かめ合うための行為として記憶を書き換えて欲しかったのだ。
結婚前の一時期には、あまりに頑なに拒む我の態度に愛を疑って泣かれたこともあった。その時は確か、キスをして抱き締めて言葉を尽くして口説き伏せたはずだ。
満を持して迎えた初夜にお互い破目を外しすぎたのも良い思い出だ。
新居を建てて移り住んでから、山風は毎日ほぼ同じ暮らしを繰り返している。
食事の支度は山風に任せ、それ以外の主に力仕事になる家事を引き受けての分担生活ゆえに、姿がお互いに見える範囲でそれぞれに日課をこなす。
朝起きたら山風は朝食の支度、我は前日使った衣類の洗濯。揃って朝食後は山風は縁側で日向ぼっこしつつ雨風の神々と会話を楽しみ、我はその間に塩田の見回りをする。
昼食には我も一旦帰宅し、午後は二人で畑に出る。海岸近い郷の周りでは作物も塩害にやられてしまうため、去年あたりに流れも落ち着いた川を少し遡上した内陸地での畑作だ。
この国では神の森周辺でのみ細々と続けられてきた畑作を伝授してもらい、少しずつ畑を広げている最中なので、やるべきことはたくさんある。
育てているのは、小麦に蕎麦、豆、芋、大根に牛蒡、葱、瓜、胡椒。
あれもこれも山風に食べさせたいと風月様が種を運んできてくださるので、何ができるのかわからないものもいくらかある。
畑の世話は日暮れ前に切り上げて、行き帰りは小さな船で移動。間引きのために収穫した小さな野菜類を持ち帰って、夕飯の支度が始まる。
雑魚を干乾したもので出汁を取った汁ものと、実家から譲り受けて継ぎ足し使っている糠床で作った糠漬け、去年収穫した蕎麦と小麦の粉を練って焼いた『ぱん』というもの、郷の釣果で変動する焼き魚。
魚を焼く良い匂いに腹の虫を刺激されながら、我は風呂の支度だ。川が出来てから湯に浸かる習慣ができたのだか、これは山風の希望で我が家から始まり、徐々に郷に広まった新習慣なのだ。
山風は、物を知らない割りに意外性あるところで妙に知識がある子だった。
今や国中で当たり前に使われている『らいたぁ』や『きっちん』、『しゃわぁ』なんかはすべて山風が生まれた世界からの伝来品だ。
風呂の支度と部屋の掃除が済んだ頃に、山風が上手に我を見つけてひょこっと顔をみせてくれる。
「ムラサ。ごはんできたよ」
変声期を過ぎて落ち着いたテノールの柔らかな声に呼ばれて、我は彼の人の腰を抱き寄せ居間に戻る。
今日もこうして可愛い伴侶の作る美味い手料理に舌鼓を打つことのできる幸福を噛み締める。
全ては雨風の神々を解放せし神子殿、我が伴侶の手による幸福。その神子殿に特別に心を砕いてもらえる我が身は、国中で一番の果報者だ。
「山風」
「……ん?」
「いつもありがとう」
食事の最中に突然礼を言い出した我の様子にやはり戸惑った様子で、箸先をくわえたままで山風が不思議そうに首を傾げた。その子供っぽい仕草がまた妙に愛らしく、身悶えかけるほどに我を刺激して止まない。
「どうしたの、急に」
「うむ。改めて幸せを噛み締めたら告げたくなったのだ」
「ふぅん?」
よく分からないけれどまぁいいや、とでも思ったか。適当な相槌を打って食事に戻る。
その流され方に、そうしても我に嫌われる心配はないのだという信頼を感じる。毎日緊張したままで心細げに暮らしていた幼少期を知っているだけに、その信頼が嬉しい。
「そうそう。雨月様から少し先の天気予報だよ。あと10日ほどで梅雨入りだって」
「そうか。ならば明日から塩田の注水を控えよう」
雨の神からいただける天気予報の正確さは本当に助かっている。それを山風が世間話のように告げてくるから、厳かさは微塵もないが。
「なぁ、山風」
「ん?」
「雨風の神々は祭りなど好きそうか? 神社にお祀りして夏祭りなどしてはどうかと郷の民から提案があるのだ」
「わぁ。お祭り楽しそう! 明日にでも言ってみるね。きっと喜んでくれるよ」
そうだな。お二神の山風に対する溺愛ぶりを考えれば、山風がこれだけ楽しみに思ってくれることに否など唱えそうもない。
次の会合にでも祭りに向けて話を進めよう。
やはり、神輿に神楽は欠かせまい。美味い料理を並べて酒を振舞い、子供たちには菓子も配ろうか。
「山風は神子舞の練習だな」
「僕、踊るの苦手なのに。でも、神様たちのためなら頑張るよ!」
おや、何やら気合いが入ったな。
「ほどほどにしておくれ。大恩ある神々のためといえど、そなたの心が他者に向けられるのは面白くない」
「ムラサってば、妬きもちさん」
「山風にこれ以上ないほどに惚れているのだ。致し方あるまいよ」
嫉妬も隠さず告げてやれば、山風は耳まで真っ赤になって『ぱん』を口いっぱいに頬張った。照れる姿も可愛らしい限りだ。
食事が済めば後はゆっくり眠るだけ。
日はとっくに地平線の彼方へ過ぎ去り、夜空を月明かりが照らしている。
食後にすぐ寝ると牛になるといわれるからな。眠りにつく前に愛しい人と戯れるのも日課の一つだ。
こうして穏やかに日々暮らせるのも心優しい神々の愛し子のおかげなのだ。だからこそ、当の本人こそが誰よりも幸せになるべきであり、彼を幸せで満たすことが伴侶たる我の責任であり、権利でもあり。
死の間際にでも満足の笑みを見せてもらえれば、それで全ては報われるのだろう。
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