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第37話

アメリカに戻って、ああ、こんな感じだっけと思い出した。本当に中身も外見もいろんなやつがいる。 日本で目立っていた俺の外見は、母親の遺伝が強く出ているせいもあり、ここでは多少アジアの血が混じってるな位の扱いだ。 概ね陽気で気楽で細かなことは気にしない。 たまに自己主張が強すぎると感じたり、歯に衣着せぬ物言いが不躾に感じるのは俺がどっぷり日本人社会に浸かっていたからか。 龍ちゃんのようなサムライはなかなか見つからなかった。 こっちに来てからさえ、もう会うこともないだろう龍ちゃんの面影を探そうとしている自分に笑えて来る。 こちらの生活に不満があるわけじゃないけど、やっぱり俺は日本での生活が好きだった。多感な時期を長く過ごしたからか、俺にとって大きな存在だった龍ちゃんがずっと傍にいたからか。 どうしても自分が日本で暮らしたという何かを残したくて、空手の道場を探して入会した。 八神道場とは違う流れをくむ流派だったから、ルールが違うところも多々あったが、それでもよかった。 日系人の師匠について道着を着て、組み手をしていると、八神道場に通っていたころを思い出す。 今まで過ごしてきた他の国々のように、日本の記憶が薄れて行ってしまうのは嫌だった。 アメリカに帰ってしばらくして、俺は自分がゲイだとはっきり自覚した。 こっちは性的マイノリティーが日本よりも認められているせいか、自分がゲイだとオープンにしている人も多い。 俺の周りにも決して少なくは無かったせいで、いろいろ情報も入って来る。 俺は一部のゲイのように全く女性がダメなわけではない。かといって男女どちらでもいいというバイでもない。 自分から惹かれるのは男性だ。女性の悩殺ポーズのグラビアより上半身裸のスポーツマンの写真の方がムラッとくる。 そして、気が付くと龍ちゃんのような男を探している。 強くて優しくて寡黙な男。 そういう男に甘やかされ抱かれたいと思ってしまう。 日本にいたころは龍ちゃんとの性的なことは考えなかったが、やっぱりあれはずっと龍ちゃんに恋をしていたのだと思う。 もう会えなくなってから、一度でいいから龍ちゃんに好きだと気持ちを伝えればよかったと後悔した。 きっと龍ちゃんなら俺を好きになったり受け入れたりできなくても、嫌悪感を出したりせずにそのままの俺を認めてくれたのではないかと思うのだ。 もし、俺がそうしていれば、俺はあの社会の中で俺のセクシュアリティーをオープンにすることは出来なくても、女の子たちとあんな醜態をさらしたりしなくて済んだのではないだろうか。 そして、もしかしたら、優しい龍ちゃんならお願いすれば一回ぐらいほっぺにならキスしてくれたかもしれないのに。 そう思うと悔やまれて仕方が無かった。

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