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第43話 俺の天使 4(再会)
「八神君、悪いね。急に手伝ってもらうことになって。前任者が急に倒れちゃったから、困ってたんだよ。君は化学に明るい営業だし、頼りにしてるよ。他のメンバーは自分の仕事で手一杯でね」
「いえ、課長。俺も厳密には専門が違うのでお役に立てるかわからないですが。精一杯やらせていただきます」
俺は大学卒業後、大手化学会社に就職した。
化学の大手といっても一般の人にはウチが一体何をやっているか見当もつかないだろう。俺の家族すら今でもよくわかっていない。
通常は一般消費者の手に直接渡るようなものは作っていないため、消費者向けの広告も打たないからだ。
平たく言えば化学を研究し新素材の開発にいそしみ、企業向けの素材などを提供すると言えばいいか。ジャンルはエレクトロニクス素材から医薬品素材まで多岐にわたる。
俺は最初の4年は研究所に勤め、その後なぜか突然営業畑に移された。
上司の「八神には人を信頼させ納得させる力がある」という強い推薦があったと聞いた。
確かに会社には化学オタクというか、よく理系とひとくくりにされるステレオタイプな人間が多いのは事実だが、俺もどちらかというとそうではないかと思う。
口数も少なく、上手にお世辞の一つも言えない自分がなぜ推されたのかは最初わからなかった。
だが、実際に営業を2年やってみて、結構自分には合っているかもしれないと思い始めていた。
企業向けの素材の売り込みは軽妙な営業トークよりも専門知識が必要だ。
そして、自分でも初めて気づいたのが、相手を観察することに長けているということだった。
相手のニーズを見極め、相手の迷いの原因を探る。
相手が本人も気づかないうちに欲しがっている一言で背中を押してやる。
しかし、この相手を観察するというのは考えてみれば、高校のときに自分の周りに対する無関心と無頓着を恥じてこれからは周りをもっと見ようと気が付いたおかげかもしれない。
幼馴染の翠と毎日一緒に行動しながら、その恋に全く気付かなかった俺。
それまではよく言えば他人を気にせず我が道をいけばいいと自分の見たいものだけ見ていたと反省したのだ。
そして改めて周りをよく見てみると人間というのは実にいろんなタイプがいて、愛嬌のある生き物だと気が付いた。
気を付けて見ていれば、人というものは言外にいろんなものを発信しているものだ。
そんなわけで、営業という仕事にも少しずつ慣れ、お互いがウィンウィンの関係を築けるように誠実に対応すれば返ってくるものがあるのだとわかり、一歩ずつ取引企業と信頼関係が築けてきたと思った矢先、最近立ち上がった新事業の方から応援依頼が来た。
ここのところ、化学メーカーや食品メーカーが化粧品部門を作り、企業のネームバリューを利用して売り上げを伸ばしている。
それをうちの上層部が、そもそもの素材開発はうちがやっているのだから、エンドユーザーに直接届く製品をうちでも作ろうと思いついてしまったのだ。
その時点で、俺は疑問を感じている。成功した他社は別の分野でエンドユーザーに社名を知ってもらっていたから上手くいったのであって、そもそもうちにはそれがないのにそう簡単にいくだろうか?
しかも、慣れぬ事業展開に担当者たちはもたついているようだった。
一部では、どこかの化粧品会社を丸々買った方が早かったと囁かれ始めていた。
まず、担当者の一人がうつ病の疑いで休職になった。
そして先日、別の担当者が職場で意識をなくして倒れ、過労と診断されたのだ。
ただでさえ進捗が遅れているのにどうなるのだろうと同僚と話していたら、いきなり自分に白羽の矢が当たってしまった。
まあ、多分一番頑丈に見えたのだろう。
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