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第53話
遅くなったからタクシーで帰るという蒼を見送ろうと一緒に玄関へ行く。
そこで、蒼がくるりと振り向いた。
「ずーっと一途に龍ちゃんを想い続けた俺にご褒美ちょうだい」
「ご褒美?」
「一度でいいからキスしてほしい」
「今?」
「今」
蒼のブルーグレーの瞳が必死に訴えている。
俺は右手で蒼の頬に触れる。
蒼が熱っぽい目で俺を見つめた後、ゆっくりと瞼を伏せた。
ゆっくり二人の唇が近づき、重なった。
蒼の手が伸びてきて俺の上腕を掴む。
その手が震えているのに気づいたとき、俺の胸の中に何かがぐっとこみあげてきた。
左手で蒼の腰を支えてやり、口づけを深くする。
長い長いキスをした。
唇を離したあと、頬を赤く染めた蒼が小さな声で「ありがと」と言った。
蒼を帰したあと、俺はソファーに寝転がり今までのことを順に思い出す。
それこそ、初めて蒼と翠に会って空から天使が降ってきたと思った日から。
片言の日本語しかしゃべれなかった蒼の「リューセー、リューセー」と呼ぶ声。
「龍ちゃん、俺も連れてって!」とどこへでも一緒に行きたがった蒼。
金曜の夜に国語の勉強を教えてとねだった蒼。
高校生になっても、俺に飛び乗ってきた蒼。
そして、そんな蒼のことが好きでたまらなかった俺。
蒼が自分に懐きまとわりつくのが可愛くて、嬉しくて、ドキドキしていつも目で追っていた。
中学2年の時に性的に反応したことに対する罪悪感から、天使のあおたんを生み出した俺。
蒼が新しい彼女を作るたび、本当はひどく胸が痛んだのに、気づかないふりを通した俺。
しかし、俺は保身に走るあまり、蒼の一面しか見ていなかったのだ。
いつも無邪気に振る舞っていた蒼の中の繊細な部分。
一番大事な柔らかな部分をあいつは誰にも見せずに奥底に隠していた。
俺が現実から目をそらすために取った行動の数々が、もしかすると知らず知らずのうちに蒼を傷つけていたかもしれない。
あの頃の俺にバカヤロウと言ってやりたい。
だが、別れから10年経って、また目の前に蒼が現れたのだ。
しかも、俺のことを忘れらないと言って。
俺はきっと誘惑に勝てないだろう。
先程の蒼の告白を聞いて、もう立派な青年になり仕事では有能ぶりを示している蒼のことを、自分の腕の中で甘やかし、かわいがり倒したいと思ってしまっている。
しかし、すぐに思い直す。
蒼はずっと苦しんできたのだ。
俺への感情をこじらせてしまい、そのあとうまく恋愛ができないだけでなく、相手に俺の記憶を投影してしまうことに対する自己嫌悪感。
今日の話の中にも度々垣間見えた自己肯定感の低さは、そんな経験の積み重ねがもたらしたものではないのだろうか。
いつも人の輪の中心にいて光を放っていた昔の蒼には無かった、影のような部分。
そこまで含めて蒼の事を理解してやらなければ。
いい加減な気持ちで蒼の申し出を受けるようなまねは、絶対にしてはいけない。
もう一つ気になることもある。
蒼は会えなかった10年の間に、俺を想像の中で美化してしまっていないだろうか。
現状に満足できないときに、頭の中で理想像を作り上げて逃避してしまったとは考えられないか?
まさに俺がかつて、同性の幼馴染を好きになってしまった事態をうまく処理できずに、天使のあおたんを作り上げたのも一種の現実逃避だった。
今現在の現実のお互いを見て、幻滅し振られるのは案外俺の方かもしれない。
俺もあいつに愛されるだけの男にならなくてはと思った。
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