9 / 16

裁判記録:僕は有罪(ギルティ)②

***  次の日、笹木のネクタイは予想通り、酷いものとなっていた。僕よりもあとに出勤してきたところを見ると、相当頑張ったというべきか。  困惑の表情を浮かべてこっちにやって来る笹木に、にっこりと微笑んでやる。 「おはよ。随分と酷い有様だな」 「おはようございます、香坂先輩……」 「ネクタイに夢中になりすぎて、寝癖直すのを忘れただろ。後頭部の髪の毛が、ひょっこりと立ってるぞ」 「うわっ、ホントだ。気がつかなかった」  右手で必死に撫で擦っても、一向に直る気配がない笹木の寝癖。 「朝礼が終わったら、トイレに行くぞ。ネクタイと一緒に直してやるから」 「でも……」 「そんな格好でいたら、彼女に笑われると思うけどな。それとも、そっちに直してもらう?」 (――会社のどこにいるか分からない、笹木の彼女。これを直させるのに、呼び出すところを押さえれば、人物が特定できるのだが) 「あの、香坂先輩にお願いしていいですか?」 「そっか。やっぱりだらしないトコ、彼女に見られたくないよな。分かったよ」  窺うようにお願いした笹木に、デスクに頬杖をつきながら答えてやった。  それから20分後――笹木と並んで、男子トイレに入る。朝礼直後だから誰もいないと踏んではいたが、個室に人がいるかどうか、念のため確認した。 「香坂先輩?」 「はいはい、お前は鏡の前に立ってて。僕が後ろから、親切丁寧に教えてやるからさ」 「昨日遅くまでネクタイの結び方を調べていたんですけど、難しい種類のものから、いろいろあるんですね」  感心しながら、結んでいたネクタイを解いていく笹木。 「まぁな。全部は覚える必要は、ないと思うけど」 「でも香坂先輩すごいです。正面からいきなりアレを、ささっと結べちゃうなんて。俺ってば、こんがらがって、ワケが分からなくなりました」 「前、付き合ってた恋人が、オシャレな人だったから。その関係で、いろいろ教えてもらっていただけだよ」  静かなトイレで話すには、あまりいいネタとは思えない。解いたネクタイを結んでいく手に、所々補助してやりながら、内心ため息をついた。 「……あのそれって、年上の男性ですか?」 「ああ。何を考えてる?」 「ええっ!? その……。年上の人も、香坂先輩が抱いていたのかなって」  頬を真っ赤にしてあたふたする顔を、目の前にある鏡でしっかりと確認した。 「そうだけど。ほら、できたぞ」  次に水を出して手を濡らすと、笹木の寝癖にぺたぺたつけてやり、手串で梳かしてやる。 「香坂先輩の顔って、結構キレイ系じゃないですか。襲われたりしないんですか?」 「お前、変なことを気にするんだな」  鏡の中に映る僕の顔を、じっと見ながら問いかけてきた。 「実際、誘われたことはあるけど、断っているから大丈夫」 「でも先輩を手に入れようとウソをついて、そういう雰囲気になったときに豹変したりとか」 「一応、相手をよく見て選んでいる。襲ってきそうなのは、そういうのをどことなく醸し出しているからさ、何となく分かるんだ。……っていうか、人の心配よりも自分の心配しろよ、笹木」  呆れながら、背中を叩いてやった。 「いてっ!」 「誰もいない、ふたりきりのトイレ。僕がお前を襲ったら、どうするんだ?」  ふふっと笑いながら両肩を掴み、壁に磔てやった。 「えっ!? あの……」  困ってあたふたしまくる笹木の顔に、自分の顔を寄せる。身長が同じくらいだから、視線で殺すにはちょうどいいんだ。    瞳を細めて見つめてやると、ぽっと頬を赤くした。 「なぁ笹木は、彼女にこういう風に迫ったりしないの?」 「せっ、迫るなんて……そんなの」 「でもヤってんだろ、お前。もしかして年上の彼女に、押し倒されたりしてるのか?」  純朴というか、なんというか――こんなんでよく、恋愛してられるな。 「押し倒されたりしてませんって。図が高すぎて恐るおそるって感じ、みたいな」  僕の直視から逃げるように、忙しなく目線をあちこちに彷徨わせる。 「図が高いって、それってあれか? どこかの部署の管理職についてる、お局様だったりするのか?」  それなら限られた人間になる。的を絞ることができるぞ。 「これ以上、詮索しないでくださいよ。ホント、困りま、っ――」  煩い口を、唐突に塞いでやった。ちゅっと触れるだけのキスをして、顔だけ離す。身体はぎゅっと、密着させたままでいた。 「笹木、僕のことを根掘り葉掘り聞いておいて、自分だけ逃げるとかズルいじゃないか」 「だって彼女との付き合いは、その……大っぴらにしちゃいけないので」 「分かってる。ゴメン、悪かったよ。イジワル言ってさ。お詫びに笹木に、気持ちイイことしてやるよ」 「そそそ、そんなの、いりませんっ」  小さい目を見開いて、慌てふためきながら僕から逃れようと、必死に大きな躰を動かす。 「今じゃないって。こんな誰かが来そうなトコで、堂々とするワケないだろ、バカだな」 「あ……」 「明日、笹木の家に行ってもいい?」  左耳に、吐息をかけながら呟いた。 「ひぃっ! あっ、明日は彼女が来るのでちょっと」 「じゃあ、明後日な。約束だぞ」  ぱっと躰に回していた腕を解いてやると、安心した顔になった。そこのところを狙い済まし、両手でがっちりと頭を掴む。 「!!」 「――約束、忘れないように」  そして、呼吸を奪うようなキスをしてやる。 「んぅっ…ぁん、はあぁ……」  舌先で口内を責めると、いい感じで甘い声を出した。 「っ……なぁ、僕と彼女のキス、どっちが気持ちいいんだ?」  笹木はとろんとした目でぼんやりと僕の顔を見つめつつ、濡れた唇を手の甲で拭う。 「それは…その、どっちもどっちかと」 (チッ、面白くない答えだな。イカせるまで、責め立ててやろうか――) 「まぁいいや。明後日、楽しみにしてるから」  ひとりでさっさと、トイレから出てやった。笹木はしばらく出られないだろう。あんな状態だしね。今日のモヤモヤは、明後日に解消させてもらうよ。

ともだちにシェアしよう!