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裁判記録:僕は有罪(ギルティ)④

***  一戦を終えてタバコを咥えたら、さっとライターを出して、火を点けてくれる気の利いた笹木。  安っぽいライターにタバコを寄せ一気に吸い込み、はーっと白い煙を吐き出すと、ニコニコしながら灰皿を手渡してきた。 「……お前って、タバコ吸ってなかったよな?」 「はい。香坂先輩が吸っていたので、きっとウチに来たら吸うだろうなと思い、用意しておきました」 「そっか、悪いな」  煙草を咥え直し、ベッドの下にある引き出しを唐突に開け放つ。 「あっ、そこには彼女の私物が入ってるんですけど」 「ふーん。昨日彼女が来たとき、ヤらなかったんだ?」 「そりゃ、そうでしょう。だって香坂先輩がつけたキスマークを、晒すワケにはいかないですし」 (――この間入れた、メモがない……) 「彼女、何か言ったりしなかった?」  引き出しを閉めてベッドに躰を戻し、笹木の顔を見ながら訊ねてみた。小さい目をぱちぱちして首を傾げつつ、はぁ? 別にと、口を開く。  のん気な笹木を可愛がる、年上のお局様だ。余裕を持っているのかもしれないな。それならこっちも、応戦してやろうじゃないか。  笹木が寝たのを見計らい、ベッドからそっと降りて、カバンに忍ばせてあった例のメモ帳を取り出した。 「さてさて、今回はどんなことを書いてやろうか」  やっぱりこっちの若さを、前面にアピールした文章がいいだろうな。 「今夜の笹木君、貪るように私を愛してくれました。相当、溜まっていたみたいですね。身体が壊れちゃいそうなくらいに抱き締めあって、たくさんイカせてくれました。ご馳走様です(笑)っと」 (ま、事実。アイツにまんまと、イカせられたんだけど――)  浮気の決定的な証拠になるメモを、うすら笑いを浮かべながら下着の間に差し込み、音を立てないよう引き出しをゆっくり閉めた。 「しっかし、ビビってしまった……」  笹木の変貌は、コトがめでたく済んでからも続いたのである。それは、コイツが寝落ちする直前のことだった。 「あの、香坂先輩。ふたりきりのとき、名前で呼んでいいですか?」 「今更それを聞くのか。ヤってる最中、いきなり呼んでたクセに」 「だって何だか急に、愛しさが募ってきてしまって、つい」  繋がったら勝手に、愛情がチャージされるのか!? 「悪いが僕は笹木に対して、そういう感情はないから。この間言ったことは、フェイクだし」 「それでも……。それでも香坂先輩は、たくさんいる社員の中から、俺を選んでくれました」 「ああ、そうだな。それは野生的な勘だから。お前なら、いいオモチャになりそうだって」  真実を知れば失望して、変な気を起こさないだろう。そう思ったのに―― 「香坂先輩が俺のことを選んだのは、きっと宿命(さだめ)だったんです」 「は?」 「穣さんのことを好きになったのも、運命だったんですよ。だから、躰の相性も良かったでしょ?」  ほくほくしながら語る笹木の言葉に、開いた口が塞がらない。 「ねぇ、ふたりきりのとき香坂先輩のこと、ミノって呼んでいいですか?」 「何だかな、それ……」  まんま、牛の胃袋の名前じゃないか。 「だったら、みーちゃん」  ――もっとイヤだ! 「……ミノでいい」  こんな調子で笹木のペースに巻き込まれ、ほとほと疲れてしまったのである。 「はぁ、やれやれ……」  ベッドに戻り、するっと躰を滑らせて横たわると、待ってましたといわんばかりに、笹木が肩口に頬を寄せて、すりりと擦りつけながらくっついてきた。 「ふふっ、ミノ――」  うげぇ、寝ながら名前呼んでるし。しかもくっつかれたせいで、ムダに熱い。 「ベタベタされるの、好きじゃないんだって。離れろよ」  躰に回された腕を外し、背中を向けてやる。それでも背中に張り付いてくる始末。  今から、この状態はキツい。先が思いやられる。警鐘のように頭痛がしてきた。  じんじん痛む頭を抱えながら、ゆっくりと目を閉じる。あまりの痛さに眠れないと思っていたのに、背中に伝わってくる温もりで、あっさりと寝落ちできてしまった。笹木に起こされるまで、ぐっすりと――。 *** 「起きて下さい、朝ですよ~」  ゆさゆさ躰を揺すられて目をこすると、目の前に笹木の顔があった。避ける間もなく、ちゅっとキスされてしまう。 「おはようございます、ミノ」 「ぉはよ……」    人ン家なのに、思ったよりも深く寝付いてしまえたようだ。いつもなら、こんなことがないのにな――。  そう思いつつも、寄せていた顔を離していく笹木の首に両腕をかけてやり、動きを止めてやった。 「ちょっ、なっ、何ですか?」 「あ? キスの続きをしてやろうと」 「ダメですよ。そんな時間はありませんから!」  枕元にある時計を手にとって、うりうり見せつける。確かに、そんなことをしている余裕はなさそうだ。 「朝ご飯作ったんで、食べてください」 「そっか。悪いな、朝からバタバタさせて」  笹木の首から腕を外し伸びをしてから、ベッドからゆっくりと上半身を起こす。  笹木が寝室から出て行く背中を目で追ったら、ハンガーにかけられた自分のスーツが飛び込んできた。確か昨日は、床に脱ぎ捨てたままにしていたハズ。コイツ、一体何時に起きたんだ?  ハンガーにかかった衣服をを手に取り、そのまま洗面台に行って顔を洗ってから、いそいそと着込む。   「ミノ、ご飯!」 「分かってる。今、行くから」  洗面所に顔を出した笹木を見やり、軽くため息をついた。まだトイレにも、行けてないっちゅーの……。  呆れ返った俺のことを、しげしげと眺めてくる。 「なに?」 「やっぱりスゴいなって。そのキレイな手で結ばれていくネクタイが」  ――ネクタイひとつに、何を言ってんだか。  唐突に褒められたせいで、頬に若干の熱を感じてしまった。手早く結び終えて、見入る笹木の背中を押してやる。 「ぼーっとすんな。早くメシ食わなきゃ、時間ないだろ」 「だから、呼びに来たんですって」 「はいはい。食べるから」  朝から何、夫婦みたいなことをやらされているんだろう。  顔を引きつらせながら、ダイニングテーブルの席につく。目の前に展開されていたメシはご飯に味噌汁、ソーセージと卵焼きにレタス少々。 「すみません。簡単なものばかりで」 「いや、別に……。いただきます」  自分のこともロクにできないのに、僕の世話なんてして――。  俯きながら、さっさとご飯を頬張る。この雰囲気に居た堪れなくて、居心地が悪かったから。 (こんなことをしても、僕から愛情を得られるワケないのに。お前をキズつけるため、こうして近づいてるだけなのに、何をしてくれてるんだか)  視線だけ上げるとぱくぱく食べながら、目の前にいる僕を、じっと見つめる視線とぶつかった。 「……なに?」 「ミノって、起きてるときと寝てるときの顔が、全然違うんだなって。寝てるときの顔は、無防備な子どもみたいなんですよ」 「勝手に見るなよ」 「うわぁ、照れてる顔も新鮮ですね」  ――あーもぅ、イヤだ! コイツ、ウザすぎる。  無視して、味噌汁をずびずび飲んだ。笹木の視線をやり過ごすのに、必死になってしまう。 「ミノっ」 「うっさいぞ、さっきから」 「口元にご飯粒、ついてます」  手を伸ばして、ひょいと口の横に触れて、それを取ってくれた。迷うことなくご飯粒を、自分の口に入れるとか。 「っ、悪ぃ……」 「いえいえ、どういたしまして」 「あのさ、後片付け手伝うから……」  チラチラと、笹木の顔を窺う。 「はい?」 「とっとと片付けて、お前のその変なネクタイ、結び直してやるから」  そんなひとことだったのに、笹木はえらく嬉しそうな表情を浮かべた。  昨日のことと今朝のことに対する礼には、到底足りないというのに、何でなんだろう。  笹木の考えていることが全然分からなくて、不安に駆られながら朝食を食べ終えた。

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