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裁判記録:僕は有罪(ギルティ)⑥
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「香坂先輩……、香坂先輩ってば!」
ゆさゆさ肩を揺すられて、はっと我に返る。
「あ――?」
漫然としながら仕事をしていたせいか、どこかぼんやりしたままだった。
「終業のベル鳴りましたけど、今日は残業ですか?」
僕の態度とは正反対の、ワクワクした顔の笹木。残業だと告げればコイツから解放される。頭では分かっているのに、それが口に出せなかった。
「いや、もう帰るところだけど」
「だったら、一緒に帰りましょう。晩ご飯、ご馳走しますから」
(まったく、しつこいな――)
肩に置かれた手を払い除け、プイッと顔を背けてやる。
「必要ない。ひとりで帰れば」
「そんな顔した寂しそうなアナタを、ひとりきりにしておきたくないんです」
いきなり左手を取り、ぎゅっと握りしめてきた。
「おい……」
荒げる俺の声もそうだが、されている行為が、他の社員の目に付いてしまうだろう。
「笹木、場をわきまえろって」
「だったら、ふたりで話ができるところに、ついて来てください。じゃないと、この手を絶対に離しません」
そんな無茶振りを言われてしまい、しょうがなく笹木の家に向かうことになってしまった。
「そこに座って、待っていてください。あ、テレビつけときますんで、ごゆっくり!」
そそくさと僕の上着とカバンを手に取り、ソファに誘導して強引に座らせてくれる。
「リモコン、そこにあるんで好きな番組、自由に見ててくださいね。今夜は、カレーですよ」
「そう、悪いな」
反抗するのもバカらしくなり、はーっとため息をついて、やり過ごしてやる。
「――ミノって、どうして?」
「なに?」
ワイシャツをいそいそと腕まくりしながら、じっと僕の顔を見つめてきた。
「自分は悪くないのに、どうして悪いって言うのかなって。ありがとうって言えばいいのに」
「それは僕のために、手間をかけさせているから。悪いって思うのは、当然じゃないか」
指摘されて、はじめて気がついた――僕はコイツに一度も、ありがとうのひとことが言えてない。
突きつけられた事実にぽかんとしていると、不意に笹木の顔が近づいてきた。
「そういう謙虚なところ、好きですよ」
重く圧し掛かる言葉と一緒に、触れるだけのキスをされる。それを、避けることができなかった。避けてしまったら笹木が酷く、キズつく気がしたから――。
「やっぱり、俺のキスくらいじゃ元気になりませんね。ゴメンなさい」
目を見開いたまま固まる僕の頭を撫でて、颯爽とキッチンに移動した笹木。二の句が継げられなかったのは、笹木の気持ちに応えられなかったからじゃないのに。
口元をきゅっと引き結び、俯いてネクタイを緩めた。
こんな僕に優しくしてくれる笹木に対して、どう接したらいいか分からない。
キッチンで楽しげに調理している背中に、ぼんやりと視線を移した。言葉や態度でハッキリと拒絶しているのに、どうしてそんなに尽くすことができるんだよ。キズつくことが、怖くないのか――。
不意に笹木がこっちを振り向き、視線がばっちりと絡んだ。
「あ――」
「えっ?」
「すみません、気が利かなくて」
つけているエプロンで手を拭い、冷蔵庫を開けて、ペットボトルを手にこっちに来てくれる。
「はい、どうぞ」
「悪っ。いや、ありがと」
視線を逸らしペットボトルを受け取ると、なぜかそれを離してはくれなかった。
「笹木?」
「えへへ。ミノのはじめてのありがとう、嬉しかったりして。もっと言ってくださいよ」
「そんなもん、強請るな。バカ……」
「だったらたくさんミノに尽くして、ありがとうって言ってもらおっと」
パッとペットボトルから手を離し、さっさとキッチンに戻って行く。
(何なんだよ、あれは――)
若干頬の熱を感じつつ、ペットボトルのキャップを開けて、お茶を口にした。自分のペースが乱されるせいで、いつもなら苛立ってしまうのに、それすらも乱されてお手上げ状態だ。
「僕に、どうすれって言うんだよ……」
笹木の対応に苦慮していると、鼻に香ってくる炒めた野菜の匂い。仕事同様に、手際がいいようだ。
――イジワルするなら、このタイミングなんだけど。
余計なちょっかいを出して、返り討ちにあったら困る。今の自分の精神状態は、いつもと違うから。笹木みたいな小者に手を出せないなんて、本当にどうかしてるぞ。
もう一口お茶を飲み、はーっとため息をついたときだった。
『ちょっ、そんなふうに迫られたら、全力で応えちゃうって♪』
テレビから、聞き覚えのある声が流れてくる。アイツか――。
画面の中で満面の笑みを浮かべた稜を、ぼんやりと眺めていると。
「やっぱり見比べると、ソックリですよね。ミノと葩御 稜」
いつの間にか笹木が傍に来て、横に突っ立っていた。
「そうか?」
「はいっ。なんていうか、そうだな。彼が、刺された事件があったでしょ? それからメディアに一斉に叩かれて、ゲイ能人だってカミングアウトしてからの方が、表情の柔らかさっていうのかな、すっごく似てますって。前の彼は、作っていたっていう感じだったから」
「今の僕は、作り物かもしれないぞ」
笹木の言葉に鼻で笑ってやると首を横に振り、しっかり拒否する。
「ずっと見てきたから、俺には分かるんですって。ミノは作り物じゃない、優しくて頼りになる先輩です」
(――それが、作り物だっていうのにな……)
「ミノは優しいから、キズつきやすいんですよね」
「は?」
「ミノが彼を見つめる視線、どこか悲しそうです。目は口ほどに物を言いますからね。葩御 稜と何かあったんでしょ?」
「……お前には関係ない話だ」
ぷいっと顔を背けたら、強引にソファの隣に座り込んできて、ぎゅっと抱きしめられてしまう。
「な、何だよ!?」
「確かに俺、関係ないですけど。そんな顔してるミノを、このまま放っておけません」
「やめ……」
包み込まれる笹木のあたたかさに、思わず身をゆだねたくなった。でもこれに、縋ってしまったら――いなくなったときにきっと、ひとりで立っていられなくなる。
容易い予測に躰が瞬時に反応し、全力で拒否ろうと両腕に力を入れた。
「俺はずっと、ミノの傍にいます。だから大丈夫ですよ」
――まるで、心の声を聞いたみたいな返事。
「お前なんていなくても、僕は」
「いいですよ、突っぱねて。それでも、好きでいさせてください」
「そんなの……迷惑に、決まってる、だろ。ウザいんだ、よ……」
否定しまくる言葉を次々と吐いているというのに、そんなのお構いなしに、ぎゅっと抱きしめられてしまった。
「俺を遠ざけようとすればするほど、アナタへの愛がどんどん深くなるだけだから」
「やめろよ……。そ、んなこと、ない……のに」
「見えないものだから、不安になるのは当然ですよね。だから、こうやって証明してみせますから」
そんなもの証明できるがワケないだろうと反論しかけた唇を、笹木の唇が重なったせいで、言葉を止められてしまい――。
「ンンっ…あ、ぁっ」
躰も心もすべて、飲み込むようにキスしてきた。
「寂しくないように、傍にいてあげます。そんな顔しないでください」
(――何だ、これ……胸が熱くて、変になりそうな感じ)
「……笹木」
「ミノ、安心していいですよ。だから――」
優しい表情を浮かべながら、僕の顔に頬を寄せようとしたときだった。玄関から、何かの物音が耳に入ってくる。
「おい、金属音がしてるぞ。カギを開けるような?」
「ああ、あの人が来たんです。別れ話をしたら家に置いてある荷物を、あとで取りに来ると言ってましたから」
笹木の彼女に、直接逢える――。
くっついている体勢から離れようと笹木の体を押したら、更にぎゅっと抱きしめられてしまった。
「おい……」
「いいんです。もう、隠す必要はないんですし」
「何を言って――っ!?」
思わず、言葉を飲み込んだ。リビングに入ってきた相手と、バッチリ目が合ったせいだったが。
笹木はソイツに背中を向けていたから分からないだろう。僕と目が合った瞬間、ソイツに刺し殺されるかと思うような、すごい眼差しで睨まれてしまった。
「羨ましい限りだな。若いってだけで、私の笹木をまんまとモノにできて」
「安田、課長……?」
(何でだよ? どうしてコイツが、笹木の相手なんだ!?)
「思ったより早かったですね。俺としては、これからだったのに」
「ふん、最後の悪あがきしにタイミングよく、邪魔ができて嬉しいがね」
僕たちの目の前までゆっくりとした足どりで近づき、腕を組んで見下ろしてくる。
「何だ、香坂。不思議そうな顔をして。私が笹木の相手じゃ不服なのか?」
「だって……笹木の相手は女だと、思っていたから」
「女みたいなものだろ、コイツに抱かれていたんだから」
――笹木が安田課長を抱いていた、だと!?
驚愕の事実に口をぱくぱくさせながら笹木の顔を見ると、可笑しそうに笑い出した。
「こう見えても、笹木は意外とモテる。だから私なりに対策を考えてみたんだが、まんまと引っかかってくれるとはね。その顔が見られて、すごく嬉しいよ」
くすくす笑いながら寝室の方に歩いて行き、ベッドの引き出しを開ける。
「お前が何を考えているのか分からないが、笹木の浮気の証拠をしっかりと残してくれたお蔭で、早めに見切りがついてしまった」
「あ~あ。香坂先輩ってば、そんなモノを残していたんですか。論より証拠って感じですね」
下着の間に挟んでいたメモを、ひらひらさせながら言い放った。
(最悪だ……。よりによって、相手が安田課長なんて)
「えーっと私が笹木に抱かれて、その笹木を香坂が抱いてるということは結果、私も香坂に抱かれてしまっていることになるのか?」
「何でそんなに、難しく考えられるんですか。突っ込んでいるモノが違うでしょうよ」
「まぁ、通常考えたらそうだけどな。だがこの関係を考えたら、そういうふうになるかと思ったんだ」
どう思う、香坂? なぁんて安田課長はさも楽しげに訊ねてくれたのだけど、それに答える余裕なんて微塵もない。体中から、イヤな冷や汗がたらりと流れていく。
「おっと、そろそろカレーのルーを入れなきゃ。たくさん作ったんで、安田課長も食べていってください。今日のは、いつもより手が込んでいるんですよ」
僕から手を離し、颯爽とキッチンに向かってしまった笹木。
「相変わらず、誘い方が上手だな。どれどれ――」
茫然自失する僕を見ながら肩を竦めて、安田課長はあとを追っていった。背の高い笹木の横に、細身の躰をくっつけて、穏やかな表情を浮かべている。
キッチンに仲良く並んでいる姿は、会社ではまず見られないふたりだ。あの人、あんな顔もするんだな――。
いつもどこか厳しさを漂わせる、とっつきにくい印象があったから、安田課長のそのギャップに面食らってしまった。
「香坂に食べさせるから、頑張ったんだろ。私のときは手抜きだったんだ?」
「そんなことはないですよ。安田課長に食べさせた料理に手抜きなんてあったら、速攻突っ込みいれられるのが分かっているし」
「だが、もう食べられなくなるんだな」
「……すみません」
淋しげに見つめ合うふたりに声をかけたかったけど、何て言っていいのか分からなかった。僕が笹木に目をつけなければ、きっとふたりは付き合い続けていたのかもしれない。だけどそれは、ニセモノの恋なんだ。
笹木は僕のことが好きなクセにそれを誤魔化して、安田課長を身代わりにしたんだから。
これで良かったんだって思うのに、どうして胸が痛むんだ?
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