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第6話

「夜明け前には、ここを出ていく」 歩み寄ってきた彼の目線が、ふらりと急降下する。何かと思えば、彼は倉橋の前に跪き、上目遣いでこちらを見上げていた。 「短い間だけど、これは礼だ」 「……っ、おい!」 少年の手がベルトに触れた瞬間、倉橋は思わず椅子を引いて立ち上がった。一歩後退し、狼狽えた目顔で彼を見下ろす。 「何を……」 「言ったよね? 僕は踊り子で、男娼だ。男の人を悦ばせるのが本業さ」 「だからと言ってそういうことは……」 動揺する倉橋が可笑しいのか、少年はカラカラと笑う。立ち上がり、こちらが逃げるよりも先にネクタイを掴んだ。ぐっと、彼の顔が近づく。 「アンタ、男は初めて?」 妖しい笑みに、婀娜っぽい声だった。復讐者から男妾に様変わりした少年に、目が奪われた。奪われながらも、脳裏には美玲の可憐な顔が過ぎる。倉橋は拒絶するように首を振った。 「何だ、経験あるんだ」 「違う! そうじゃない……! 俺には恋人がいる!」 「恋人や妻がいても、遊ぶ男は沢山いる」 「俺は違う!」 吠えるように拒めば、相手は興醒めした表情を見せ、顔を離した。倉橋はほっとする。が、次の瞬間には腕を力強く掴まれ、寝台へと倒された。 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。跨ってきた少年にネクタイを解かれたあたりで、自らが置かれた状況に気づき、倉橋は焦った。体術の心得があるのか、もがく倉橋を物ともせず、少年はあれよあれよとネクタイで両手首を縛ってきた。 「アンタが一途なのは、よく分かった」 少年は艶やかに笑いながら上半身をこちらに倒し、そのままゆっくりと下がっていく。 「だが、そうやって拒絶されればされるほど、こちらとしては唆られる」 「何を言って……!」 ベルトを外され、スラックスのジッパーが下される。下帯を緩めた手で一物を取り出されてしまい、倉橋はえも言えぬ屈辱と美玲への背徳感に顔を歪めた。 「今夜限りの過ちだ」 少年は倉橋を見つめ、萎えた茎に囁いた。 「一度くらいなら許されるさ」 そして、舌でねっとりと舐められる。意思に反して、腰が揺れた。甘い疼きが背中を這い、吐息が乱れ、倉橋の顔はさらに歪んでいった。 蒸し暑い夜だ。窓とカーテンを閉め、電気を消した暗い部屋には、乱れた呼吸の音が響き、汗の匂いが充満していた。 身体が蒸し焼きになりそうだった。倉橋は肩で息をしながら、薄汚れた天井をぼうっと眺める。手首の拘束は解かれたが、中途半端にスーツを乱されていた。さぞかし間抜けな格好をしているだろう。汗みずくの身体にシャツがへばりつき、ひどく不快だった。 「――アンタ、ずっと恋人に謝ってたな」 隣から聞こえた声に、気怠げな視線をやる。裸の少年は枕の上で頬杖をつき、どこか遠くを見ていた。何故か、穏やかな笑みを浮かべていた。 「たまにいるんだ。別れた恋人や亡くなった奥さんを忘れられず、重ね合わせる人。アンタもそうだった?」 その通りだった。先刻の情事中、自分に跨る少年に、美玲の姿を見た。彼を美玲だと思い込んだ。だから、謝罪の言葉が口から洩れた。……ごめん、ごめん、美玲。もう二度とあんなに怒らないから、俺のそばにいてくれ……。そんなことを譫言のように溢した。 理性を取り戻した今、気恥ずかしさと寂しさが胸に押し寄せる。涙を堪え、黙り込む。少年は笑みを深くした。 「それだけ愛されて、アンタの恋人は幸せだ」 そんなことはない。彼女は帰ってこない。それがすべてを物語っていた。 「きっとそうだ」 少年の声が、すぐそばで聞こえた。目を見開いた時には、唇を塞がれていた。……これは接吻ではない。舌を巧みに遣い、口の奥に小さな固形物を送り込まれた。飲み込んだ瞬間、頭の中で警鐘が鳴った。 何かを盛られた。気づいた時にはもう遅かった。倉橋の意識は朦朧とし、やがて暗闇へと落ちていった。

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