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おやつを知らない子ども
【麗彪 side】
酷く疲れていた訳でも、暗闇を歩く事にうんざりしていた訳でも、況 してや頭を打って前後不覚になった訳でもなかった。
ただ素直に、欲しいと思った。
他の誰にも渡すわけにはいかないと、ガキみたいに力尽くで奪ってきてしまった。
「なにも、あんなに払わなくてもよかったんじゃないですか?相場の5倍は出しましたよ、あれ」
「さっさと済ませたかった」
「そのようですね。手続きも何もすっ飛ばして連れてきちゃったんですから」
助手席に座っている駿河 が、呆れたようにため息をつく。
それに軽く舌打つと、隣に座って小さくなっていた子どもがびくり、と怯えた。
仕事で出向いた闇オークションに出品され、相場の何倍だか知らないが、手切れ金のつもりで叩きつけてきた金と引き換えに連れてきた少年だ。
お前に舌打ちしたんじゃない、恐がらなくていい、そう言ってやればいいのに、怯えられた事に軽く傷付いて言葉が出なかった。
情けない。
せめて優しく触れようと手を伸ばせば、またびくびくと更に身体を小さく丸めてしまう。
だめだ、ぜんぜんだめだ。
どうすればいい・・・どうすれば怯えられないで済む・・・どうすれば懐いてくれる・・・。
「その子、マンションの方に置くんですか?」
「置くんじゃねぇ、住まわせるんだ」
物扱いするな。
ますます怯えるだろうが。
「じゃあ、後で必要な物を適当に買ってきます。食事は?」
「部屋で食わせる」
「わかりました」
食事、という言葉に少し反応していたのを見逃さなかった俺は、たぶん穴が空くかもしれない程に隣の子どもを見ているんだろう。
・・・だから怯えてんのか。
だが目を逸らそうとは思わなかった。
目を逸らした隙に消えてなくなるんじゃないかってくらい、細くて白くて小さい子ども。
・・・名前、あるよな。
「なあ、名前はなんていうんだ」
今まで誰にも発したことの無いような穏やかな声音で話しかける。
恐らく前に座っている2人、駿河と運転手の時任 ですら聞いたことがないだろう。
「・・・ぉ・・・つき・・・」
「つき?」
声が聞けただけで思わず頬が緩む。
だが、聞き返したのが悪かったのか、少年は黙って俯いてしまった。
「久緒 美月 くん、15歳・・・って、そうは見えませんねぇ」
「お前に聞いてねぇよ」
15・・・見えねぇな、10歳くらいかと思った・・・。
どちらにしろ23の俺からしたら子どもだ。
「はいはい。書類は貰ってきたんで、後で目を通しといてください」
本人から本人の声で聞きたかったのに。
駿河の野郎には後で面倒臭い仕事を与えてやろう。
「美月・・・いい名前だな」
「・・・・・っ」
思った事を思ったまま言葉にした。
相変わらず美月を見つめたまま、たぶん生まれて始めてじゃないかってぐらい穏やかな笑顔で。
美月は俯いたままだったが、少し長く伸びた髪から控え目に覗く耳が、赤くなっているのが見える。
照れてるのか。
・・・いや、まさか風邪をひいたとかじゃないだろうな。
オークションに出されていた状態のまま連れてきたが、美月は生地の薄そうなシャツとハーフパンツ姿だ。
肉付きも悪いし、寒いに決まっている。
「美月、寒くないか?」
「あ、ブランケットありますよ」
「あるなら最初から出せ」
駿河から受け取ったブランケットで美月を包む。
その途端、慌てて顔を上げ、大きな瞳をますます大きく見開いた。
その表情が、びっくりした子猫みたいで可愛かった。
「ょ、よごれ、ちゃいます・・・っ」
「おい駿河てめぇこのブランケット洗ってねぇのか!?」
「新品ですけど、汚れてました?」
ブランケットの汚れが美月に付いたのかと確かめてみたが、駿河の言う通り新品だったようで汚れは見当たらなかった。
「ぁ、ぁの、ちが・・・っ」
俺達の会話を聞いて、美月が泣きそうな顔で泣きそうな声を出す。
「どうした?何が違うんだ?」
「ぁ、ぁの、ぶらんけっと、よごれちゃい、ます・・・」
ああ、そういう事か。
「汚れない」
「で、でも・・・」
「美月はどこも汚れてない」
「・・・ぁ・・ぅ」
もう一度、美月をブランケットで丁寧に包む。
今度は大人しくくるまれてくれた。
ブランケットの間から小さな手を出して、ウール生地の手触りを確かめている。
そんな控えめな仕草も可愛いと思ってしまう。
・・・俺は変態ではなかったはずなんだが。
「美月、腹減ってるだろ。何が食べたい?」
「・・・ぇ、なにが・・・って?」
「好きな食べ物は?」
「・・・すきな、たべもの・・・・・ゎ、わかり、ません・・・」
好きな食べ物が分からない。
それは単純に、食べた料理の名前を知らないのか。
それとも、好きだと思える料理を食べた事がないのか。
「ハンバーグとか、オムライスとか、シチューとか、食べた事ないか?」
「・・・・・」
ふるふると、無言で首を横に振る美月。
その様も可愛らしいんだが、そうも言っていられない。
「今日は食事をした?」
ふるふる。
「昨夜 は?」
こくこく。
今度は縦に首を振り頷いた。
「食事は、1日1回?」
こくこく。
通りで発育が悪い訳だ。
「そうか。じゃあ今晩から食事は1日3回、あと午前と午後におやつな」
「・・・ぉ、おやつ?」
おやつを知らない子どもに、先ず今晩何を食わせるか。
マンションに着くまで、俺も駿河も、時任までも、頭を悩ませる事になった。
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