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Endless Night【6】
それを見た瞬間、ポケットに忍ばせたスマホを構えて写真を撮ったのはほぼ無意識だったと思う。
ピントを合わせてる暇なんてないから、声をかけてくる人に会釈をしつつ、ひたすら連写ボタンを押し続けた。
俺が元いた場所…ついさっきまで俺が座っていた席に、見知らぬ男が座っている。
その男と充彦は何やらやりとりをしていて、お互い身振り手振りを交えにこやかに話している姿からは何の緊張も感じられない。
けれどダメだ…俺の中でサイレンが鳴り響く。
ついさっき慎吾から聞いた危険人物そのものの容姿だ。
不自然なほどに日焼けした黒い肌。
慌てて仕方なく羽織ったかのようなヨレヨレのジャケットは、その男が招待客ではなく一般観覧の入場者という証拠だ。
そしてそのジャケットがはち切れそうに見えるほど逞しい腕と胸板。
何より…満面の笑みを作っている目の奥から、憎悪や嫉妬、羨望のようなマイナスの暗い光を感じる。
異変を悟られまいとゆっくりと近づこうとは思うのだが、どうしても気持ちが急いてしまうらしい。
徐々に周囲からかかけられる祝福の声が煩わしくなってきた。
俺はまず社長に『SOS』とだけメールを送り、必死に人の波を掻き分ける。
俺が戻ってきているのに気付いたのか、それとも何らかの目的を果たしたのか、男は不気味なくらい白い歯を見せて立ち上がった。
差し出された右手を握り、充彦も立ち上がる。
「充彦!」
何故出たのかわからない声。
無事ならそれで良いのだという気持ちと、今逃がしてはいけないという焦り。
俺のそんな声をどう受け止めたのか、充彦はあっさりと手を離すといつもと同じ穏やかな顔を俺に向ける。
「勇輝、えらい遅かったじゃん。さては、一服してただろ。あ、そうだそうだ、ちょっと紹介したい人が……」
一度離した手を再び掴もうとして、それがもうその場に無い事に充彦は不思議そうに首を傾げた。
その手の持ち主である異様に広い背中が、人の間を抜けて小さくなっていく。
「充彦、今の男知り合い!?」
手の中のスマホでさっき撮っていた写真の中から比較的体型や表情のわかりそうな物を選び、慎吾から聞いた話を簡単に添えて社長にメールで送る。
充彦は首を横に振りながら、俺に名刺を差し出してきた。
そこには、『イケメンDKパラダイス 取締役 藤巻章二』と書いてある。
「初めて会ったんだよ。他の人をよけきれなかったとかでぶつかっちゃってさ。んで俺の飲み物こぼれたからってわざわざ取りに行ってくれたんだ。『実は話をしてみたかったから、ありがたいハプニングだった』って」
「話しただけ? 何にもされてない?」
「されるって、何をされるんだよぉ。何、キスでもされたんじゃないかって事か? なんもされてないって、話してただけ。いや、だってさぁ、昔は大阪にいて大原さんとも知り合いだって言うんだもん。たまたまとはいえ、すごくないか? 慎吾くんとも会ったことあるんだってさ」
「み、充彦…そ、それは……」
「さっきの名刺な、若い男の子ばっかり集めてるデリヘルらしいんだけど、その男の子たちと一緒に近いうちにアムールみたいなゲイビの制作会社作る予定なんだってさ。んで、できたら出演者の立場として制作会社に求める物なんかを教えてほしいって」
「話してた事はそれだけか? 他はなんも話してないだろうな!?」
「あ、ゲイビ出てた頃の航生の事も知ってるって。あんまり変わってて驚いたって言ってたよ」
「……知ってるも何も…」
「できたら最初に作るビデオに出てもらいたいから、何とか顔繋いでもらえないかって…」
思わず充彦の肩を強く掴み、揺さぶってしまう。
「まさか…まさか、そんな話オッケーしてないだろうな!」
「何熱くなってんだよ。んなもん、ビー・ハイヴの専属の航生のよそへの出演を、俺が簡単にどうこうできるわけが……」
突然、掴み揺さぶっていた肩がカクンと前にのめる。
その途端充彦の大きな体は、まるで糸の切れた人形のように力なく椅子に崩れ落ちた。
頭をテーブルに突っ伏してしまいそうになるのを辛うじて隣から支える。
「充彦! どうした? 充彦!」
「な…なんか急に力入らなくなって……」
「気分は? 吐きそうとかないか!?」
「それは無いけど…熱い…なんか熱くて…熱くて変だ……」
その言葉を示すように、充彦の顔も首も見る見る汗が滴り、そして滝のように流れ始めた。
それまでが嘘のように頬が赤く染まる。
その目は熱に浮かされてでもいるかのように心細げに潤み、揺れ、テーブルに乗せられた指は微かに震え始めた。
「勇輝さんっ!」
晴れやかな席には到底相応しくない、安っぽいスーツ姿の男が二人、慌ててこちらへと駆け寄ってくる。
普段はうちの事務所で経理をやっている宮本さんと相良さんだ。
今でこそ全うに給与計算だの税務処理なんて事をやってはいるが、元々は裏の世界で荒事全般を任されていたらしい。
実際、社長が各店舗を巡回する時にはボディーガードを兼ねて同行し何度も刃傷沙汰を回避してきたというのだから、武闘派という噂は本当なんだろう。
「どうされました!?」
社長にメールを送ってからそれほどの時間は経っていない。
安っぽいとはいえスーツ姿でここにいるという事は、初めから何か事が起きてはいけないと社長にこの会場周辺で待機しておくように言われていたんだろう。
つい大きな声を出す二人を目で制する。
ここまでせっかく和やかに進んでいるこの賞とパーティーを台無しにするわけにはいかない。
充彦が出席し、航生と慎吾が業界の健全化を高らかにアピールした事で、マスコミの注目度も高いのだ。
俺はスマホに写真を表示し、テーブルへと放り投げた。
「どっちでもいい。一人は裏に車回せ。充彦が急に熱出したって連れて帰る。もう一人は急いでこの男捕まえろ…こいつに充彦が何かされたみたいだ。社長には簡単に事情伝えてあるから、そのまま社長んとこに連れてってくれ。何したのか優しく丁寧にゲロさせて、俺に連絡くれ」
言葉はなく、一瞬目を合わせただけで彼らはさっと二手に分かれる。
呼吸の荒くなってきた充彦の美しく仕立てられたジャケットは、汗をぐっしょりと吸って色が変わり始めていた。
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