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Bitter Sweet【1】

「最近な? なんかさぁ...航生くんがめっちゃコソコソしてんねん......」 「コソコソ?」 なんとはないという顔をしながら、それでもひどく暗い目をして、慎吾は目の前のモヒートに押し込められたフレッシュミントをマドラーでクルクルと回す。 俺はジントニックに口を付けながら、ボディバッグからタバコを取り出した。 慎吾から『話がある』とのメッセージが届いたのは5時間ほど前。 女の子との最初の絡みを撮り終わり、いったん休憩でスポーツドリンクを飲んでいる最中だった。 撮影中だと返事を送れば、慎吾もちょうど撮影の真っ最中だという。 順調にいけば撮影終了予定はほぼ同じという事で、俺達は以前何度か来た事があるバーで待ち合わせする事にした。 最初はうちに来ればいいと言ってのだが断固拒否され、無理矢理連れていくわけにもいかなかったのだ。 店には慎吾の現場の方が近かったのに、カウンターに座ったのは俺が先だった。 順調にいけばほぼ同時に終わるだろう...それが前提の待ち合わせ。 ひどく疲れた顔の慎吾が現れたのは、俺が3杯目のジントニックを頼んだ直後だった。 その顔を見れば、決して撮影が順調などではなかった事が容易にわかる。 「おう、お疲れ。どうした? 今日の撮影、かなりハードだった?」 返答次第ではカウンターのスツールに座るのは辛いだろうし、それならそれで店の隅のボックスに移動させてもらえる。 そう考えての問いかけに、慎吾は浮かない顔のまま小さく首を振った。 まあ本人が構わないと言うなら無理強いをする必要も無いだろう。 俺はスツールに深く座り直すと、マスターにモヒートを頼んでやった。 今日は平日であまり客がいないせいか店内はいつもより静かで、俺と慎吾の間に流れる沈黙がやけに長く感じる。 わざわざ自分で『話がある』と呼び出しておきながら、慎吾は俯いたままでなかなか口を開こうとしなかった。 「今日はどんな撮影だったの?」 「......別に、普通」 「普通ってなんだよ、普通って。タチ?  ネコ? 終わるの結構遅れたろ?」 「今日はタチ...やった。あ、遅なってごめん。俺の...勃起待ちで......」 珍しい事もあるもんだ。 これまでタチでもネコでも、慎吾の仕事が上手くいかなかったなんて話は聞いた事もない。 多少風邪気味で熱があっても撮影には一切支障をきたした事がないというのが本人の自慢でもあった。 「どした? どっか悪いのか?」 体調を心配した俺に向かって慎吾は首を横に動かす。 しかしその顔色は決して良いものではなく、やはりどこか悪いのではないかとその顔をじっと見つめた。 「ちゃうねん...俺ちょっと今...悩んでて......」 吐き出されたその言葉は、体調がどうのよりもずっと慎吾を苦しめているように思える。 絞り出すようにそれだけを言うと、また慎吾は黙り込んでしまった。 俺は慎吾に見えないようにスマホを取りだし、こっそりと充彦にメッセージを送る。 『慎吾と飲んでるから帰り遅くなる』 細かい説明はいらないだろう。 仕事が終われば真っ直ぐに家に帰り、ひたすら全身で航生に甘えているはずの慎吾と酒を飲んでいるというだけで、そこには帰れない事情があるのだとわかってくれるはずだ。 何かあれば航生に連絡を取ってもらえるように、店の電話番号だけ続けて送る。 ポケットに電話を戻し、そこからは先を促す事もなく自分から口を開く瞬間を待った。 何も言わないということは、まだ何を言えばいいのか整理がついていないという事だろう。 本人にとってはそれほど大きくて重い内容を俺に聞いてほしいと言うのだから、話せるようになるまでは静かに待ってやろうと思った。 グラスに口を付けようとして止まり、手持ちぶさたにマドラーを回してはまた口を付けようとする。 何度かそんな動作を繰り返し、一度大きな溜め息をつくと、ゆっくりと目線を上げた。 ......そして話は冒頭へと戻る。 「航生がコソコソ?」 問い返す俺の隣から手が伸びてきて、タバコとライターを自分の方へと引き寄せた。 ボックスから一本タバコを抜き取り咥え、その先に火を灯す仕草は妙に艶かしく、かつて夜の仕事をしていた頃の姿を彷彿とさせる。 「うん...今さ、航生くんてビデオの撮影無いねんな? 年明けからノーマルのとゲイビと、両方の撮影が結構続いてたから、2月いっぱいは取材中心で動いて3月から本格的に撮影に戻る事になってんねんけど......」 「まあ、確かに俺と一緒の3Pもあったし単体もあったし、そういやロケで温泉とかも行ってたんだよな?」 専属だから、フリーの男優に比べれば撮影スケジュールには余裕があるはずだが、その分俺達には雑誌の取材やファンイベントへの参加など、撮影とは違う仕事が待っている。 充彦が引退した今、俺の相方であり慎吾の相方であり、何よりビー・ハイヴのドル箱の一人となった航生は、俺よりもはるかにタイトなスケジュールをこなさざるを得なくなっていた。 1月にはピッチリとその予定が詰まっていたから、気分転換の為にもと社長が少し気を遣って休みを取らせたんだろう。 根が真面目だからこそ、周りが強制的に休みを入れなければ次から次へと仕事を引き受け兼ねないのだ...かつての俺のように。 「休みに入ってからね、どうも俺に内緒で...どっか行ってるみたいやねんなぁ......」 「どっかって?」 「俺が『今日はどこ行ってたん?』て聞いても、『買い物以外、どこにも行ってない』って言うねん」 「じゃあ別に、ほんとにどっこも行ってないんじゃないの?」 「俺もそう思いたいんやけどさ......」 それまで散々弄んでいたミントをグラスの端に寄せ、慎吾はモヒートを一気に飲み干してしまった。 そのまま続けざまに次のグラスを頼む。 「俺の知らん匂いがすんねん...毎日毎日、甘いリキュールの香りと、その奥に...ほんまに微かにやけどさ、家のんと違う石鹸の匂いがね」 「はぁっ!?」 思わず大声と共に立ち上がり、ちらほらとしかいない客の視線を一度に浴びてしまう。 俺は慌てて椅子に戻ると、そっと慎吾の方へと顔を寄せた。 「ソープの香りって、どういう事だよ?」 「そんなん、俺のが聞きたいわ。せえけど間違いないねん...うちにある、俺のお気に入りのボディソープとは違うバラの芳香剤入りの石鹸の匂いが毎日毎日してて......」 コトンと置かれた新しいモヒートのグラスを握りしめると、今度はミントの香りをしっかりと移す事もせず、慎吾は泣きそうな顔でそれをまた一気に飲み干した。

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