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Bitter Sweet【2】

猛烈なハイピッチというわけではないが、決してアルコールの強くない慎吾が潰れるにはもうそろそろ十分な量だった。 3杯目のモヒートを飲み干し、さらに次を頼もうとしたタイミングを計って先にジンジャーエールを注文してやる。 これで俺の意図を汲んでもらえればと思ったのだけど、酒のせいなのか最初から無視を決め込むつもりだったのか、慎吾はそのまま不服そうな顔をしながら『モヒート、もう一杯』とマスターに向かってグラスを振った。 「お前ねぇ、強くないのに飲み過ぎじゃね?」 はっきりと口にしてわからせた方がいいのかと、わざとらしいくらいにため息をついて見せる。 しかし隣からは、こちらは決してわざとなんかじゃない大きなため息が返ってきた。 「あのさぁ...お前の勘違いって事は無いの?」 俺にはあの航生が良からぬ遊びに走っているとはどうしても思えない。 しかし慎吾は俺のその言葉を鼻先でフンと笑ってみせた。 「うちのボディソープは、俺が香りに惚れ込んでわざわざ取り寄せてもうてる、ダマスクローズにサンダルウッドを配合したちょっと特別なソープやねん。その辺にあるバッタもんの薔薇っぽい香料が入っただけの石鹸との違いくらいわかるわ」 どうやら慎吾には確固たる自信があるらしい。 確かにコイツの味覚や嗅覚の鋭さは俺も知ってるだけに、それ以上そこを『勘違いだろう』と押し切るわけにもいかなかった。 けれど相手は...あの航生だ。 クソ真面目で不器用で、一時の気の迷いで慎吾を裏切るはずなどない。 そして真面目で不器用だからこそ、万が一にも他に好きな人ができたと言うなら、おそらく誤魔化す事もできずに正直に頭を下げるだろう。 『あなたとはこれ以上一緒にいられない』と。 しかし、それならば何故航生は慎吾を誤魔化そうとしてるんだ? 頭を抱え込んでしまった慎吾にそれ以上を尋ねるのも忍びなく、俺は再びポケットからスマホを取り出した。 「何?」 「ん? ああ、充彦に一応連絡をね。今日はお前にとことん付き合うからってさ」 ニッコリと笑ってメッセージ画面を開く。 ただしそこに入力した文字は慎吾に話した内容とは違って...『しばらく黙って聞いてろ』 メッセージを送るとすぐに充彦の携帯番号を表示させ、知らないふりで通話ボタンを押す。 ごく当たり前の仕草でスマホの画面を下に向けると、カウンターにピタリと伏せてしまわないようにさりげなく角をライターに乗せて通話口の辺りに僅かに隙間を作った。 「お前は? 航生に連絡しとかなくていいの?」 「......勇輝くんと約束した時にLINE送っといた、『今日は遅くなるかも』って。ま、仕事終わりに確認しても、返事どころか既読も付いてなかったけどね」 「ああ、そうなんだ......」 俺の言葉で思い出したようにスマホを取り出す慎吾。 画面を見つめ、泣きそうな顔をしながらプッと吹き出す。 「何にも返事来てへんわ、既読付いてんのに。遅なるってメッセージは読んでんのに...。案外、俺がいつまでも帰れへん方がホッとしてるんかもな。俺の知らん誰かとのんびり過ごせるって」 「あのさぁ...航生がそんな事できるやつだと思う?」 「思うてなかったよ」 「だろ? 俺もアイツが疚しい事できる人間だなんて思ってない」 「せえけどね、隠し事してんのは間違いないねん。俺に嘘ついてんねん」 「じゃあさ、ちゃんと航生に聞いてみろよ。それが一番早いだろ? 『俺がいない時どこに行ってるの? ほんとは何をしてるの?』てさ」 「そんなん...聞かれへん......」 消え入りそうなほどか細く震える声。 慎吾の手は、目の前のジンジャーエールではなく、その隣のモヒートのグラスへと伸びる。 止める間もなく中身を一気に煽る姿は、カクテルを楽しむのではなく、ただ無理矢理アルコールで我を忘れようとしているだけにしか見えなかった。 「おい、慎吾......」 「聞かれへんよ...そんなん聞いて、『ほんまは女んトコに行ってました』とか言われたらどうする? 『やっぱり抱くなら柔らかい体やないとアカン』て言われたら? チンコあるのがどうしても嫌やって言うだけなら、別に切ってもかめへん。オッパイ揉みたいならシリコンでも何でも入れる。せえけどな、どこまで行っても俺の体は結局男やねん...まあるい体になんかなれへんし、結婚も出産もできへんねん......」 「航生はそんな事最初から望んでないだろ!」 「わかってる! そんなん、わかってる! でも......」 それを言い終わったところで、またマスターにお代わりを要求するように小さくグラスをカラカラと振る。 構わないのか?という顔のマスターに、仕方なく俺は頷いた。 「こんな事くらいで俺を疑うんですか...ほんまはたぶん、そう言われるんが怖い。疚しい事なんて何にもしてないのにイチイチ行動チェックされて、それを疑われて、そんな俺の存在が重いって......そう言われんのんが怖いねん。俺、こんなんちゃうかったのにね...もっとドライなつもりやった。俺は俺、相手は相手。最後に求め合えればそれでエエって思ってたはずやのに......」 これまで手軽な相手と後腐れ無い関係を楽しんでばかりいた慎吾は、こんなにパートナーの事を必死に思うなんて機会はなかったんだろう。 それはきっと生まれて初めての不安で、生まれて初めての嫉妬だ。 それでもそんな事を考えている自分を悟られないように、航生の前ではいたって普通の自分を演じているのだろうと思う。 あまりに心細くて辛くて、どこかに吐き出さなければ身動きが取れなくなった。 仕事にまで支障をきたすほど。 慎吾は、おそらく俺達の中で一番プロフェッショナルな人間だ。 航生というパートナーがいても、プライベートと仕事とは完璧に切り離して考える事ができる...いや、できていた。 むしろ航生と暮らすようになってからの方が表情にもセックスにも艶と余裕が出て、モデルとしての幅が広がったとまで言われているらしい。 けれど結局は慎吾もただの若い男で...それも本当は、ひどく繊細で臆病な男で。 『それが本当の恋なんだよ』と教えてやりたい。 けれどそれは、今俺が教える事ではないと思う。 俯いたままで小さく背中を丸める慎吾を気にしながら、俺は指先で少しだけスマホを上げてチラリと画面を窺った。 通話が終わっていた事に、さすがは充彦だと思わず笑いそうになる。 俺もマスターにお代わりを頼み、用事を終えたスマホをポケットに入れると、ようやく使えるようになったライターとタバコを手に取った。

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