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Bitter Sweet【4】

慎吾はもう情けなく歪んだ顔を隠す事もないまま、ただ航生の腕を振りほどこうともがいていた。 ようやく現れた半泣きの王子さまに、俺は一先ずホッと息を吐く。 「バーカ、おせえよ......」 「.......すいません。慎吾さんも、本当にごめんなさい...俺、こんな風に慎吾さん泣かせてるなんて全然思わなくて...」 「お前、今の慎吾の気持ちは?」 「知ってます。俺、ちょうど勇輝さんの部屋にいて...」 一度航生に『シッ』と人差し指を立てて見せ、俺はチラリとマスターの方に目を遣る。 俺が何を思ったのかを察してくれたマスターは微笑むように目を細め、店の奥へと顎をしゃくった。 頭を下げ、航生の肩をポンと叩く。 俺達はカウンターのグラスはマスターに任せ、店の隅にある小さなボックス席へと移動した。 「充彦さん呼びますか?」 「来てるの?」 「ああ...はい。タクシー呼ぶより早いからって、車で連れてきてくれました」 「つまりは、慎吾がこんなんなってる一端にアイツも噛んでるわけね? ま、充彦はいいよ、今は待たせときゃ。とりあえず、慎吾と俺が納得するように説明してもらおうか?」 飲みかけのグラスを俺達の前に置いてくれるマスターにウイスキーのロックを一杯頼み、改めて航生と慎吾を並べ見る。 俺を必死で誘惑していた姿を見られた事がよほどショックだったのか、慎吾はどこか虚ろな目で自分の指先だけを眺めていた。 「まず、今日慎吾さんに返事を送らなかったのは...俺、ちょうどその時充彦さんと一緒にいたから、飲みに行く相手が勇輝さんだって知ってたんです。で、てっきり充彦さんから俺と一緒にいる事を勇輝さんが聞いてくれてるもんだと思い込んでて。少し飲み過ぎたとしても、相手が勇輝さんなら心配無いなって考えてたから。あんな風に不安になってるなんて...一言いつもみたいに『早めに帰って』ってメッセージ送るべきでした......」 「だとよ。ほら、慎吾からもちゃんと話ししろよ...悩んでんだろ?」 まったく聞こえてないのかと思ったが、そんなことはないらしい。 俺の言葉に、慎吾はただ小さくフルフルと頭を振る。 「はぁ...んじゃ、俺から聞くぞ? 自分で話さなくていいんだな?」 「あ、勇輝さん。俺が...俺からちゃんと話します。ここまで巻き込んでて本当に申し訳ないんですけど、これは俺達の話ですから」 きっぱりと、それでも苛ついたような様子は欠片も見せない航生に安心して俺は頷き、口をつぐんだ。 航生は隣の慎吾の方にきちんと体を向け、膝の上で色が変わるほど強く握りしめられた拳をやわりと両手で包む。 「慎吾さん、不安にさせて本当にごめんなさい。俺ね...実はサプライズプレゼント考えてて......」 着たままだったジャケットのポケットに手を突っ込むと、そこから何かを取り出した。 それはまるで、ジュエリーケースでも入っていそうな大きさの小箱。 「家には、もっと大きな箱でいっぱい用意してるんですけど......」 開けろと言うように目線の高さで差し出されたその箱を、渋々慎吾は手に取った。 綺麗に巻かれたリボンをほどき、わりと重みのありそうな蓋をゆっくりと開く。 「......わぁ...」 沈んでいたはずの慎吾が思わず漏らした感嘆の声に、俺も正面からそれを覗き込んだ。 それこそ宝石のように見事な艶の赤い球体が二つ、そしてその隣にはシルバーのチャームにダイヤが小さく光る黒い革のチョーカーがきちんと並んでいる。 「初めてのバレンタインデーで...俺、どうしても手作りのチョコレートをプレゼントしたくて......」 「んじゃお前、内緒でコソコソ家空けてたのって?」 「はい。社長のご厚意で一月の末から休みに入るのはわかってたんで、充彦さんにチョコレート作りを教えて欲しいってお願いしたんです。でも充彦さんには『チョコレートに関しては、まだ自分も修行中で教えられるだけの腕が無い』って断られちゃって。代わりに、充彦さんの知り合いのショコラティエの方を紹介してくださったんです。店の雑用を手伝うなら教えてやるって、本当に忙しい時期にも関わらずその方からチョコレート作りを教わる事ができて......」 俺にそこまで話すと、航生は再び慎吾の顔を真っ直ぐに見る。 手の中のチョコレートのおかげか、慎吾はもう俯かず正面からその視線を受け止めた。 「勇輝さんとの話、聞いてました...ちょうど充彦さんにバレンタインディナーの相談してる時だったんです。俺ね、今まで誰かに『サプライズ』なんてした事がなくて、とにかく内緒にするのに必死でした。慎吾さんが仕事でいない日には一日中お店に手伝いに行ってたんで、帰る時にはチョコレートとリキュールの香りが全身に染み込んでて...それでね、帰りに必ずサウナに寄ってたんです」 「ほん...まに?」 「ほんとです。まさか、体洗った石鹸の残り香に気づかれるなんて思ってなくて...ごめんなさい。そのことでこんなに不安にさせてるとも考えなくて、俺ほんとにバカでした」 「......ごめん...俺、航生くんの事疑ってもうた...勇輝くんに『抱いて欲しい』なんて言うてもうた......」 「あはっ、勇輝さんが断ってくれて良かったです。俺じゃ勇輝さんには敵わないから、一瞬だけ忘れるどころじゃ済まなかったかもしれない」 「そんなっ! そんなんちゃう...勇輝くんとするより航生くんとする方が...何倍も気持ちエエし、幸せになれるし......」 「じゃあ、一瞬も忘れないでください。仕事の時以外はずっと俺の事だけ考えててください。俺はとっくに...慎吾さんの事以外考えられなくなってるんですから」 「めっちゃ束縛するかもしれん......」 「どうぞどうぞ。束縛されて今の俺に困る事が何かありますか?」 「重すぎるって面倒になるかもしれん」 「その重みが慎吾さんからの愛情で、俺が慎吾さんを幸せにする為の責任の重さだと思えば、な~んにも面倒になんてならないですよ。そんなの当たり前の事です、だって俺は慎吾さんを手に入れたんですから」 「でも...でもな......」 「今回は、すっごい勉強になりました。サプライズって完璧に内緒にするより、『何かサプライズがあるんじゃないか?』ってなんとなく思わせてる方がいいんですね。完璧に内緒にしようとしたら、不本意でも嘘をつかなきゃいけない。正直俺ね、慎吾さんに嘘ついてるの辛かったです。でも慎吾さんに『どこか行ってた?』って言われた時に『今はまだ内緒』って答えてたら、慎吾さんはきっとそれだけで安心して...それどころか少しワクワクしながらその日を待ってくれてたでしょ? 俺も嘘なんて言ってないから、慎吾さんの喜ぶ顔を素直に楽しみにできたはずです」 慎吾の目に、またぶわっと涙が溜まる。 少しだけ震える指で、箱から赤い球をそっと取り出した。 「食べても...かめへん?」 「勿論。ホワイトチョコの中に、フランボワーズのソースが入ってるんです。なかなかその艶が出せなくて苦労しました」 屈託なく笑う航生の姿に、なんだか胸が熱くなった。 薄っぺらで偽物の、一夜の恋ばかり繰り返してきた慎吾。 その慎吾を、恋を知らなかった航生がしっかりと受け止め包み込んでいる。 慎吾はもう大丈夫...不安になっても苦しくなっても、こんな最高に格好いい男がそばにいるんだから。 「めっちゃ美味しい......」 「ほんとですか? 良かったぁ...家には他の味のもまだまだ売るほどありますから、帰って二人で食べましょ? 俺と一緒に帰ってくれますよね?」 甘いけど、少しだけしょっぱそうだな...... 涙だけでなく鼻水まで止まらなくなった慎吾がチョコをもう1つを口に放り込むのを確認すると、俺は充彦に『ボチボチ店出ます』とメッセージを送り、精算の為にそっと立ち上がった。 end

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