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第1―3話
けれどそんな経緯は、西園寺誠人以外ではマネージャーの綿貫と秘書の香坂が知っていればいいことだ。
そんな綿貫と香坂も、西園寺がなぜ2年前に突然海の家を始めたのか理由は知らない。
西園寺がやると言えば、綿貫と香坂はそれに従うだけだ。
西園寺の仕事で一番有名な肩書きは映像クリエーターだ。
CMやミュージックビデオを企画し監督する。
映画監督も依頼されるが西園寺は興味を示さない。
初めて撮ったのはインディーズ歌手のミュージックビデオで、凄まじい反響があった。
それは西園寺に国内最高の権威を持つミュージックコンテストで、その年のMV部門で最優秀賞をもたらした。
そして西園寺が数点ミュージックビデオを制作すると、CM業界が黙っていなかった。
そうして西園寺が監督をしたCMは賞を総なめにし、CM好感度ランキングのトップを占拠し続けた。
だが西園寺の才能は映像クリエーターだけにとどまらなかった。
小説を書き、油絵・水彩画・パステル画を描き、オブジェを創る。
それらがありとあらゆる権威ある賞を受賞し、人気は国内にとどまらない。
小説は海外でも翻訳出版され、絵画とオブジェも日本はもとよりアメリカ・フランスで個展を開いて大成功を収めた。
西園寺は30才にして最先端の『総合芸術家』という確固たる地位に上り詰めた。
そして2年前、34才になった西園寺は突然海の家をやると宣言した。
誰もが驚いた。
西園寺のファンも西園寺の仕事仲間もマスコミも。
西園寺の仕事は順調そのもので、わざわざ時間と労力を割き、金までかけて海の家を経営する理由とメリットが無いからだ。
だがマスコミの取材に西園寺の個人事務所はアッサリと回答した。
『西園寺の親戚に海の家のプロデュースを頼まれただけ』
『西園寺はその依頼を聞いて、自然と人間が一体となる中間にある海の家というものに興味を持っただけ』
だと。
取材で裏を取ってみると、確かに海の家の実質のオーナーは西園寺の叔母で、その叔母は海の家の予定地の海岸の国道を挟んだ真向かいで一流のリゾートホテルを経営している。
芸術家の気まぐれという事で話は収束していったが、流石に西園寺がプロデュースした海の家に世間は興味津々で、海の家オープン初日はマスコミの取材もあったし、海の家を利用したいたいう人々で行列が出来た。
アルバイトがしたいという人々も多勢いたが、アルバイトの募集は無かった。
だが現に海の家で働いている人間はいる。
どうやら西園寺誠人か叔母の知り合いで占められているらしかったが、その件で西園寺の個人事務所から説明は無かった。
アルバイト達も笑顔で「面接に合格したんです」以上のことは話さなかった。
最初の年の海の家も、次の年の海の家も、大盛況で幕を閉じた。
そして西園寺誠人プロデュースの海の家に三度目の夏が来た。
芹沢は目の前に置かれた香坂特製のレモンスカッシュを一気に飲み干した。
生レモンを絞り、その中に香坂手作りのレモンの蜂蜜漬けを入れて炭酸水で割ったものだ。
砂糖は一切使用されていない。
西園寺誠人の好物でもある。
「芹沢くん、おかわりは?」
芹沢の飲みっぷりに香坂はニコニコ笑っている。
「いえ、もう十分です」
芹沢も笑顔で答える。
「景、まず風呂でも入ってサッパリすれば?
バイトの話なんかはその後でもいいしさ」
羽多野の言葉に鈴森も頷く。
芹沢も落ち着いて来ると、汗まみれの身体が気持ち悪くなっていた。
「じゃあ、そうさせてもらう」
芹沢が立ち上がると香坂も立ち上がり、カウンターに回ると引き出しからカードキーを取り出して芹沢に渡した。
203と印字されている。
「芹沢くんの部屋は203号室。
昨日宅配便で届いた荷物は部屋に運んでおいたから。
それと、どうせなら温泉に入れば?
温泉はこのロビーを出て突き当たりにあるから」
芹沢はにっこり笑って「そうします」と答えた。
芹沢はまず自分の部屋になる203号室に向かった。
二階は全部で10室。
5部屋が廊下を挟んで向かい合って並んでいる。
鍵を開けて中に入ると、10畳の和室と8畳くらいの洋室の続き部屋だった。
洋室にはシングルベッドが二つ並んでいる。
和室の手前に扉が二つあって、開けてみると大理石の洗面台と洒落た扉があり、開けるとバスルームがあった。
もう一つの扉はトイレだ。
とりあえず芹沢は和室の隅に置かれた旅行鞄を開けた。
中からTシャツとハーフパンツと下着を取り出す。
とにかく早く汗を流したくて、荷物の整理も後回しにして、今出した着替えを掴むと部屋を出て1階の温泉に急いだ。
温泉の前にはこじんまりとした休憩スペースがあり、その前に紺地に白く『温泉』と文字が染められた大きな暖簾が掛かっていて、暖簾をくぐると『男湯』と『女湯』に別れた引き戸のドアがあり、芹沢は当然『男湯』に入ると脱衣場になっていた。
芹沢は誰もいない脱衣場でさっさと裸になると、ロッカーの棚の横にうず高く積まれたバスタオルを着替えを入れた棚に一枚置き、バスタオルの横にこれまたうず高く積まれたタオルを一枚手に取ると、温泉に続く扉を開けた。
洗い場にも檜の湯船があり、外にも岩風呂が見えた。
芹沢はまずシャワーを捻って頭から浴びた。
それから全身にシャワーを掛けると、ポンプ式のシャンプーの中身を手に出した。
よくよく見ると備え付けのシャンプーもコンディショナーもボディーソープも海外製のナチュラル系のものだ。
芹沢は西園寺が生活消耗品に興味を持たないと知っていたので、きっと香坂の趣味だと思った。
まず念入りに頭を洗い、流す。
それだけで生き返った気分になる。
次にボディーソープで身体中を泡だらけにしてシャワーのコックを捻ろうとした時、ガラッと扉の開く音がした。
芹沢がそちらに目をやると、裸の鈴森が立っていた。
「…葵?」
鈴森は転ばないように、それでも足早で芹沢に近づくと
「景くん…会いたかった…!」
と言って泡だらけの芹沢に抱きついた。
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