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第1―5話
芹沢が203号室に戻って荷物の整理をしていると、ノックの音がした。
「はい」
「俺~!」
芹沢がドアを開けると笑顔の羽多野がいた。
羽多野は芹沢の横をすり抜けると、勝手に部屋に上がる。
「これ、差し入れ。
景もブラックでいいんだよな?」
芹沢が振り返った時には、羽多野はテーブルに缶コーヒーを二本置いて、既に座布団に座っている。
「ああ。サンキュ」
芹沢もテーブルを挟んで羽多野の向かいに座る。
羽多野が缶コーヒーを開け、美味しそうに一口飲むと言った。
「景、シフト表見た?」
芹沢は頷いた。
バイトが決まると、香坂からシフト表がパソコンとスマホに送られてきた。
海の家本来の営業時間は8時から17時までだが、17時から22時までがバータイムになっている。
フードは10時からで、21時がラストオーダーだ。
芹沢と羽多野と鈴森は7時の準備時間から15時までの8時間勤務で1時間の休憩時間がある。
「まこっちゃん分かってるよな~。
俺達3人同じシフトだもん」
羽多野がニコニコと笑う。
「そうだな」
芹沢も笑って缶コーヒーを飲んだ。
それはそうだ。
なんせ3人は勤務時間も同じなら、休日も同じだからだ。
西園寺か香坂が気を配ってくれたとしか思えない。
そもそもこのバイトも直接西園寺に誘われたのだ。
西園寺は年に数回各大学に招かれて特別講演をしている。
特に西園寺の母校、芹沢達が在籍している国立G美術大学では、年に二回は必ず講演を行う。
芹沢と羽多野と鈴森は同じ美術学部だが、芹沢は建築科で羽多野と鈴森は先端芸術表現科だ。
羽多野は写真に重点を置いていて、鈴森は照明デザインに重きを置いている。
芹沢の在籍する建築科は、国立大学の中で美術学部に属するのは日本でもG美術大学だけで、芹沢は勿論一級建築士を目指している。
芹沢達が去年の1年生の時にも西園寺の講演が春と秋にあったが、希望者が定員数を遥かにオーバーしていて抽選だったし、芹沢は羽多野や鈴森ほどの熱意を持って西園寺の講演を聴きたいとは思わなかったので、芹沢だけは応募しなかった。
だが春は落選したが、秋の抽選に当選して西園寺の講演を聴いた羽多野と鈴森はいたく感動し、芹沢に講演の内容を事細かに話して聞かせた。
それは芹沢にも興味深い内容だった。
そして感激屋の羽多野は、興奮冷めやらぬうちに、西園寺の個人事務所の公式ホームページに西園寺の講演の感想を自分の学んでいる写真についての関連を交えてメールした。
けれど別に羽多野は、西園寺からの返事などこれっぽっちも期待していなかった。
有名人で超一流のアーティストの西園寺には、それこそ一日に何十通何百通とファンからメールやメッセージが届くだろう。
羽多野はただ自分がどれだけ感動したか、気持ちが少しでも伝わればいいと思っただけの事だった。
だがメールを送信して一ヶ月後、羽多野は学長に呼び出された。
羽多野が緊張して入学以来初めて学長室に入ると、見知らぬ男性がいた。
そしてその男性が西園寺だと学長に紹介されて、羽多野は飛び上がる程驚いた。
西園寺は綿貫と香坂に挟まれてソファに座り、羽多野にもソファに座るように促した。
羽多野の隣りには学長が座った。
西園寺はやさしく微笑んで
「メールをありがとう。
大変興味深く読みました」
と言った。
羽多野は思わず立ち上がり
「こちらこそありがとうございます!!」
と叫ぶように言って頭を下げた。
西園寺がクスクス笑って
「座って下さい」
と言う。
西園寺はタブレットで羽多野から送られてきたメールを見ながら、羽多野に大学で学んでいることを色々質問してきた。
羽多野は緊張して、しどろもどろになりながらも何とか答えた。
西園寺は有名人にありがちな気取ったところや人を見下すようなところは全く無く、芸術家特有の気難しさやピリピリしたところも全く無い。
羽多野のような10才以上も年下の一学生にも親しげに気さくに話してくれる。
そして34才の筈の西園寺は異常に若く見えた。
どう見ても24、5にしか見えない。
大学院生だと言われても信じてしまいそうだ。
西園寺はマスコミに姿を晒す事を嫌い、西園寺の姿を仕事関係者以外が見ることは殆ど無いし、講演会では撮影禁止、綿貫や香坂で済む仕事なら西園寺が現れる事も無い。
羽多野は西園寺の講演を聴いたが、西園寺の姿は米粒程にしか見えなかった。
なので羽多野はそのルックスにも、心底驚いてしまった。
それに綺麗に整った顔をふにゃっと崩して笑うのが魅力的だった。
西園寺は笑い上戸らしく、羽多野と話している最中も良く笑った。
西園寺は羽多野と1時間程話しをすると、羽多野に名刺を渡し、今度事務所に遊びに来ないかと誘った。
羽多野は夢じゃないかと思った。
ポカンとしている羽多野に香坂がテキパキと連絡先を交換していく。
羽多野が気付いた時には、その週の日曜日に西園寺の事務所に行くことが決まっていた。
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