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第1―6話

羽多野はその日は夢心地で幸運に酔っていたが、翌日に冷静になってみると緊張で胃まで痛くなってきた。 そして昨日西園寺と会ったことを話しておいた鈴森と芹沢に、西園寺の事務所に一緒に行ってくれないかと頼んだ。 二人は一緒に行くのは良いけれど、そもそも西園寺に誘われたのは羽多野だけなので、西園寺が承知したら行くと言った。 羽多野もそれはそうだと思い、直ぐに香坂に宛てて同じ大学の友達を二人連れて行ってもいいですか?とメールした。 すると香坂から1時間後に羽多野のスマホに電話がかかってきた。 『西園寺は羽多野さんのお友達なら構わないと言っておりますが、私は秘書としての立場上、確認したいことがあります』 そして香坂は、鈴森と芹沢のフルネームと学部名と学科名をメールして欲しい、それと日曜日当日は二人には学生証を持参して欲しいと言った。 羽多野は電話が終わるとすぐに香坂に言われた通り鈴森と芹沢についてメールをし、二人にも香坂に言われたことを報告した。 二人は屈託なく良かったなと笑って言ってくれた。 そうして日曜日がやって来た。 約束は西園寺の事務所に15時。 その後、夕食にも誘われていた。 西園寺の事務所は六本木にあった。 5階建てのビルで1階が駐車場になっており、2~4階が事務所、最上階が西園寺のアトリエだ。 まず2階の受付で羽多野が自分の氏名を伝えると、マネージャーの綿貫が受付にやって来た。 綿貫は 「早速で失礼ですが」 と言って鈴森と芹沢の学生証を確認した。 そうして1分もかからず学生証をそれぞれ二人に返すと、三人を4階に連れて行った。 4階の一部屋に通されると三人は目を見張った。 その部屋のドアを除く壁三面に壁画が描かれている。 だがその壁画はまだ未完のようだった。 それでもその『美』は、まだ大学1年の三人にも、心を震わせるほど伝わってくる。 綿貫は三人を部屋の中央のソファに案内したが、三人は放心したようにソファに座り、目は壁画に釘付けだった。 羽多野に至っては感動の余り涙ぐんでいた。 そこに香坂と西園寺がやって来て、西園寺が頷くと綿貫は退席した。 香坂がコーヒーを三人と西園寺の前にそれぞれ置く。 羽多野は慌てて目を擦ると 「西園寺先生、こちらが僕の友達の鈴森葵で…」 と鈴森と芹沢を紹介しようとした。 西園寺はにっこり笑うと、真っ白なハンカチを羽多野に差し出した。 そのハンカチはただ白いだけではなく、白地に白い絹糸で刺繍が隙間なく施されている。 そして隅に鮮やかな青色に染色された絹糸で『MAKOTO.S』と。 西園寺誠人オリジナルだ。 「あの…?」 羽多野が西園寺とハンカチを交互に見る。 西園寺が笑顔のまま、羽多野の手にハンカチを握らせる。 そして言った。 「羽多野くん。ありがとう」 西園寺と三人はすぐに打ち解けた。 西園寺は三人の大学生活や勉強の内容を楽しそうに聞いていた。 西園寺も事務所にある作品を惜しげも無く三人に紹介しては、裏話を披露してくれた。 あっという間に時間は経ち、綿貫が運転する車で西園寺と香坂と羽多野達三人でフレンチレストランに向かった。 明らかにドレスコードがありそうな高級店だったが、西園寺を出迎えた支配人はいかにも学生な服装の三人をうやうやしく個室に案内した。 緊張して固くなっている三人に西園寺は笑って言った。 「マナーなんて気にしないで。 俺だって適当だよ? 箸を使う事もあるんだから」 三人も笑顔で頷いた。 西園寺と三人の食事は盛り上がった。 綿貫と香坂は西園寺達の邪魔にならないように、静かに部屋の壁側に控えていたが、西園寺が面白おかしく話しを振るので、二人も楽しく会話に加わった。 そしてデザートになる頃には、西園寺の希望で西園寺のことを三人は「まこっちゃん」と呼び、西園寺も三人を「瑛汰、葵、景」と呼んだ。 それから西園寺とプライベートで三度目に会った三人は、西園寺に自分の事務所でアルバイトをやらないかと誘われた。 西園寺はもちろん学業優先でいい、うちの事務所で働かせて成績が下がったら学長に俺が怒られちゃうからな、と言って笑った。 三人は喜んでやりますと答えた。 西園寺の事務所で働き出して分かったことだが、『オフィス Makoto Saionji』で学生アルバイトは羽多野達三人しかいなった。 そもそもアルバイト自体がいない。 全員社員だ。 最初は三人とも緊張を隠せなかったが、西園寺の事務所に勤める人々は皆良い人ばかりで、嫌な顔ひとつせず三人に仕事を一から教えてくれた。 それに三人は香坂に直接仕事を頼まれることが多かった。 西園寺自身は多忙で事務所に居ることは少なかったが、それでも三人に会えばまるで弟のようにかわいがってくれた。 そうして三人は大学2年生に進級した。 ゴールデンウィークが終わった頃、三人は香坂に今年の夏休みに西園寺のプロデュースする海の家でアルバイトをしてくれないかと言われた。 もちろん西園寺もそれを望んでいて、その海の家のアルバイトは西園寺が事前に選んだ人間しか働けない。 羽多野はその場でやります、と返事をした。 黙っている鈴森と芹沢に香坂が微笑んで訊いた。 「鈴森くんと芹沢くんは何か予定でもある? もしあるなら、その期間は海の家を休んでもらってもいいし。 先生は是非二人にも働いて欲しいとおっしゃっているんだけど」 芹沢は膝の上で組んだ両手を見ながら 「少し考えさせて下さい」 と答えた。 羽多野が膨れて芹沢の肩を掴む。 「一緒にやろうよ、景~! 葵は~? 二人がいないとつまんないよー!!」 鈴森がクスッと笑う。 「俺は景くんがやるならやるけど」 羽多野が芹沢越しに鈴森に手を伸ばし、鈴森の頭をわしゃわしゃ撫でる。 「ちょっと!! 瑛汰、やめろって!」 鈴森が羽多野の手をパチンと叩く。 「景がやるならって…葵は俺はどうでもいいのかよ~!?」 鈴森は指先で髪を整えながら澄まして答える。 「だからやるなら三人でやりたいってこと! 瑛汰だって一緒にやろうって言ったでしょ」 「葵、そういう言い方するなよ。 俺はただ…」 低く言う芹沢を鈴森が真っ直ぐ見上げる。 「ただ、なに?」 「分かるだろ?」 「わっかんない! ねえ、瑛汰は分かる?」 鈴森が芹沢から羽多野に視線を移し、ニコッと笑う。 羽多野もニコニコ笑い出す。 「俺もわっかんない!」 「だよね~!」 鈴森が芹沢と羽多野の手を握る。 芹沢がパッと手を引く。 鈴森が悲しそうに目を伏せる。 「あ、葵、ごめん…」 鈴森に向き直る芹沢に、鈴森が上目遣いで芹沢を見る。 「景くんもバイトしようよ…」 鈴森が呟く。 捨てられた子犬のように寂し気に。

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