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第1―7話

芹沢は結局海の家のアルバイトをすると、その場で香坂に返事をした。 鈴森も嬉しそうに芹沢に続いた。 芹沢は特に夏休みに予定があった訳ではない。 海の家で働かなくても、西園寺の事務所でバイト三昧の日々を送っていただろう。 だが事務所なら、バイトが終われば羽多野と鈴森と別れて自宅に帰れるが、海の家だと部屋こそ違っていても24時間一緒に生活することになる。 そんなことは今の自分には出来ない。 芹沢は早く答えを出さなければ、と思った。 鈴森と芹沢の関係も。 鈴森と羽多野の関係にも。 芹沢が羽多野と鈴森に初めて出会ったのは、大学に入学して2週間程経った頃で、学食で昼食を取っている時だった。 芹沢は同じ建築科の友達、成田と佐島の3人で食事をしながら話していた。 すると「ここいい~?」と声がした。 芹沢が顔を上げると、細身の背が高い男とその隣りにその男より小柄な男がそれぞれトレイを持って並んで立っていた。 「どうぞー」 佐島が笑って言う。 「サンキュ!」 背の高い男がニコッと笑う。 輝くような笑顔だ。 その男二人は芹沢達と同じテーブルに着いた。 芹沢は二人を意識せず、食事に戻るとまた成田と佐島と話し出した。 そして芹沢が食べ終わると、さっきの背の高い男が口を開いた。 「ミケランジェロのダビデ、やっぱカッコいいな~!」 芹沢がチラリとそちらに目をやると、その男と目が合った。 男は黒目がちな瞳をくりくりさせている。 すると成田が言った。 「まあダビデもダビデだけどさ。 ハタスズも噂通りイケメンだねー」 小柄な男の方が当然の様に「まあ」と言って、みんながどっと笑う。 芹沢は会話の内容が分からず、ひとりキョトンとしていた。 そんな芹沢の肩を背の高い男がポンと叩いて言った。 「マジ!?」 「何が?」 「芹沢景くんだよね?」 「…そうだけど」 「知らないの?」 「だから何を?」 芹沢がいい加減ウンザリして肩に置かれた手を振り払うと、小柄な男がクスクス笑って「すみません」と芹沢に言う。 「俺達、先端芸術表現科1年で、俺は鈴森葵。 そっちは羽多野瑛汰って言います。 瑛汰が芹沢くんに頼みたいことがあって」 芹沢が鈴森から羽多野に視線を移す。 羽多野はコクコク頷くと言った。 「初めまして、羽多野瑛汰です! 芹沢くん! いや、ミケランジェロのダビデ! 俺の写真のモデルになって下さい!!」 芹沢は黙って立ち上がると、バッグを肩から下げ、自分のトレイを持って学食を出て行った。 芹沢の後を成田と佐島が追って来て、とりあえず講義に向かった。 今日の講義が全て終わると、芹沢は成田と佐島にカフェに連れて行かれた。 カフェと言ってもスイーツからガッツリ食べられるものまでメニューが揃っている。 芹沢はこの後、格闘技の稽古があったので、軽く食べることにした。 成田と佐島はガッツリ系だ。 成田が「まずメシ食ってから話そうぜ」と言うので、とりあえず運ばれてきた料理に集中する。 三人が食べ終わると、佐島が芹沢の前にメモを一枚置いた。 「なに?」 「昼間のハタスズから。 LINEのIDだって」 「あのさ…」 芹沢が息を吐く。 「まず、ハタスズって何?」 成田が身を乗り出す。 「これだからマイペース過ぎるのも問題だな~。 ハタスズは今日学食に来てた羽多野と鈴森のあだ名…っていうかコンビ名。 先端芸術表現科1年のハタスズっつったらイケメンコンビで超有名だぜ?」 「…ふーん」 「でもまあハタスズより遥かに有名なイケメンがいるけどな~!」 成田と佐島が顔を見合わせて笑う。 「…ふーん」 興味ゼロの態度でアイスコーヒーを飲む芹沢に、佐島が焦れったそうに言った。 「もうさー!いい加減気づけよ! この…マイペースの鈍感格闘技バカ! お前のことだよ!! G美術大一のイケメン! ミケランジェロのダビデさん!」 芹沢がむせそうになる。 「……はぁ?」 成田がクックっと笑いながら言う。 「芹沢、よーく聞けよ。 お前さあ、入学式の時からスゲー目立ってたワケ。 あの超イケメン誰だ誰だってな。 それでお前イケメンなだけじゃないじゃん? 背も高いしスタイル良いし細マッチョだし。 で、最初に絵画科のやつらがお前をモデルにしたいって騒ぎ出して、すぐに彫刻科のやつらも騒ぐ騒ぐ。 それでついたあだ名が『建築科のミケランジェロのダビデ』」 「……なんだそれ」 芹沢は呆れた様に成田を見た。 今度は佐島がニヤニヤしながら話し出す。 「ミケランジェロのダビデ像くらい知ってるだろ? ダビデ像はミケランジェロ以外も創ってるからさ。 彫刻科としてはそこんトコは譲れないんじゃねーの?」 「くっだらねー」 芹沢は椅子に凭れると天を仰いだ。 それから羽多野と鈴森は何かというと芹沢の前に現れた。 羽多野と鈴森は話してみると面白く、人柄も良いし、芹沢と気が合った。 それでも芹沢はモデルをやることは頑なに断った。 芹沢は自分がモデルをやる程イケメンなんて考えたことも無かったし、まず恥ずかしさが先に立った。 そんな芹沢に、羽多野は一度でいいから自分の撮った写真を見て欲しいと訴えた。 その頃には芹沢と羽多野と鈴森はたまに食事に行くくらい親しくなっていたので、芹沢は渋々頷いて、羽多野の写真が収められたファイルを開いた。 驚いた。 その時、三人は学生で占められたカフェにいたのだが、人々の話し声や物音が芹沢の耳から消え去った。 羽多野の写真は主に風景を撮ったものだった。 夜空に瞬く星空。 川を流れゆく水の姿。 濃い緑の葉陰。 数え切れない程の光景が瞳に焼き付く。 まるで写真から風をも感じるようだ。 「…凄いな」 芹沢は何とかそれだけ言った。 羽多野はニコニコして言った。 「俺は風景専門なの。 でもよく見て? 小さくても必ず人間が風景に写ってるだろ? 人間は主人公じゃないけど、人間の存在があるだけで風景がぐっと締まるんだ」 鈴森も微笑んで言った。 「だから景くんをメインに撮る訳じゃないんです。 でも瑛太の写真には、景くん以上の存在は考えられない」 芹沢は羽多野と鈴森を見た。 そして頷いた。 「分かった。 モデルをやるよ」 それから講義や芹沢の格闘技の稽古や趣味の山登りやピアノのレッスンの合間をぬって、芹沢は羽多野の撮影に付き合った。 鈴森も必ず同行して、撮影の現場などにアイデアを出した。 だが三人はまだ1年だし講義も詰まっているので、多くても週に一度くらいしか撮影の時間は取れなかったが、撮影以外でも三人はよく落ち合って芹沢と羽多野と鈴森はどんどん親しくなっていった。 そして6月下旬に格闘技の大会があった。 芹沢は高校までは学生の部に出場していて、初めての社会人の部の大会だった。 羽多野と鈴森は見に行きたいと騒いだが、生憎芹沢は二人と親しくなる前に知り合いに招待チケットを全て配ってしまっていて余分のチケットが無かった。 後は自力でチケットを購入してもらうしか無かったが、日にちも迫っていたし、わざわざお金を支払って見てもらうこともないと思い、芹沢は 「結果はLINEするから」 と言った。 羽多野と鈴森はもの凄く残念がったが、最後には納得した。 芹沢は内心自信があった。 なんせ格闘技を始めてからというもの、大会では負け知らずで、優勝はもちろん、表彰台に登らないことは無かった。 だが、芹沢も予想すらしなかった番狂わせか起きたのだった。

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