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第9話

「あ、あの…」 「はい。」 「おととい、電車で座れました…」 一瞬の沈黙。 少し離れた席のマダムがコーヒーカップを置く音だけが響いた。 「…?それって不運なんですか?」 「あっ!いやあの、この前来た時次は幸運な話がって…あっでも今は不運の話ししてたんですよね!?えっとえっと…毎日怒鳴られて残業して…っていつもと変わんねー…えっと…」 今度会ったら何を話そうかとそればかり考えていたせいで、実際の会話が成り立たずちぐはぐな答えをしてしまった。当然店員は不思議そうに小首を傾げている。 ちょっと可愛いと思いつつ、俺はコミュ障かと胸の内で自分を罵倒し、こんなんだから振られるし仕事も怒られてばっかりなんだと今度はがっくりして、ふるふると首を振って拳を握り気持ちを切り替えようとして、そして─ 「…ふっ…ふふっ…」 聞こえて来た笑い声に、脱力した。 空になったトレイで顔を隠していても、白いシャツに覆われた細い肩を震わせて堪え切れない笑いを零す店員の姿に、秀一は今度こそメガネがズレた気がした。 「すいませっ…失礼…っ、ふふ…」 「あ、いや、全然…」 「も、面白すぎっ…!」 笑いを堪えることを諦めた店員がトレイを下げて顔を見せてくれる。 普段の綺麗で優しいスマートなカフェ店員の仮面を脱いだその笑顔は、ちょっとだけくしゃっとして幼く、どちらかというと可愛い印象になる。 きゅんと胸が可愛らしい鳴き声を上げて、ほわんと暖かくなった。 ひと通り笑い終えた店員の目には薄っすらと涙が浮かんでいる。 「あー可笑しい…久々にこんな大笑いしましたよ。」 「あ、ありがとうございます…?」 「ぶっ!いえいえ、こちらこそ。」 またしてもやらかした素っ頓狂な返答にしっかり噴き出した店員は、その後すぐに会計に呼ばれて去って行った。 残されたのはツナサンドと甘い香りのカフェオレ、ほうっと蕩けた秀一の間抜け面。そして空腹感。 秀一はハッと我に返り、目の前の美味しそうなツナサンドにかぶりついた。

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