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第10話
たっぷりツナを挟んだサンドイッチで腹を満たし、甘いカフェオレで一息ついていると、どこか非現実的な気分になる。
春の穏やかな日差しを受けて輝く真っ黒なグランドピアノを目の前にゆっくりと優雅なモーニングをいただく。なんて贅沢な時間なのだろう。こんな贅沢があるなんてことすら知らなかった。
そんな贅沢に浸ることに慣れていそうな他のお客たちは、どうやら皆常連のようで、店員が料理を出したり皿を下げたりする度に和やかなムードだ。ちょっとだけ、羨ましい。
秀一はちょっと冷めてしまったカフェオレを飲み干すと、伝票を手に立ち上がった。
「お帰りですか?今行きま…」
「あのっ!ピアノっ!」
「えっ?」
「この前、ピアノ弾いていらっしゃいましたよね!?」
秀一の勢いに店員はちょっとだけ後退り、ちらりとピアノに視線を寄越す。しっかりと磨かれてピカピカに輝く黒。あれが鳴り響くのを、ちゃんと聴きたい。
店員はちょっと迷う素振りを見せてから、口を開いた。
「はぁ、まぁ…お客様がいらっしゃらない時にだけ。」
「今度、聴かせていただけませんか!?」
何が秀一にここまでさせたのか、後になってもわからない。秀一は自分にこんな行動力があるなんて知りもしなかった。
ふんすふんすと鼻息荒く詰め寄る秀一の目に恐怖心を感じたのか、店員がどんどん後ろに下がっていく。秀一も負けじと食らいつく。
困ったなと言わんばかりに視線を上に泳がせた店員は、すぐにニコリと柔和に微笑んだ。
「お聴かせできるほどのものでもないですよ。」
その答えにガックリと肩を落とし、同時にふしゅうと意気消沈。
やっぱそうだよな、常連さんならともかく、覚えていてくれたとはいえまだ来店2回目のしかも不審者もいいところな俺のワガママなんて聞いてくれないか。
秀一は大きなため息を一つ零して、諦めて財布を取り出そうとしたその時。
後ろからポンと優しく肩を叩かれた。
振り返ると、そこに立っていたのはさっきまで優雅に朝食を楽しんでいたマダムだった。
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