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第13話
「恋かもしれない。」
秀一はぼそりと呟いた。
世間は5月の大型連休が終わろうとしている。カレンダーが赤くなっている日だけが休みだったために大型連休というほどの連休ではなかった秀一の、今日は最後の休日だ。
朝目が覚めて寝癖頭のままゴミを出して、何をどう間違えたのか真っ黒に焦がしてしまったトーストをかじりながら思い出したのは美味しいサンドイッチ。
そのサンドイッチを差し出してくれる白くて細い手。その手が奏でたあの甘いまろやかな旋律。
あの日から秀一はスマホでトロイメライを検索してはBGMにしている。四半世紀生きてきて自らクラシックを聴いたのなんか初めてのことである。
しかし、どうやら有名らしい外国のピアニストの演奏をかけてみても、秀一でもテレビで名前だけは聞いたことがあるような気がする日本人ピアニストの演奏をかけてみても、あそこまでは心揺さぶられなかった。
生演奏だったからか?なんて思ってもみたが、決まって一緒に思い出すのはあの店員さん。
桜井 奏真。
なんて綺麗な名前だろう。
「恋かもしれない!」
「恋かもしれないって、シュウちゃん恋人いなかったかしら?」
コトンと置かれたカクテルグラスと共にかけられた言葉は現実だった。
モダンなジャズのBGMがかかる店内は最低限の灯りがついているだけで薄暗く、大人でムーディーな空気を醸し出している。
秀一が大学生の頃から通っている小さなゲイバーだ。
元恋人に切ない片想いをしていたころ、せめて同じ性癖を抱えた友人でも出来ないかと通い始めたのだが、友人と呼べるほどの間柄に発展するようなこともなく今に至る。
それでもなんとなく居心地が良いのは、恐らくこのママの人柄だろう。
「フラれた。」
「あらぁ〜〜〜…」
「その翌日に出会って、」
「うんうん。」
「もう頭から離れない…!」
「シュウちゃん、惚れっぽいのねぇ。」
苦笑いしたママに、返す言葉があるはずもなかった。
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