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第38話

「じゃ…」 「桜井さん!!」 「へっ?」 ビクッ! 腹の底から出た秀一の大きな声に桜井が笑顔のまま飛び上がった。 「あの…」 望月さんと付き合ってたって、本当ですか。 と、口にしようとしたが、やめた。 桜井の恋愛遍歴を聞いたところで何かが変わるわけではない。例え望月と付き合っていたのが事実だろうが嘘だろうが秀一が桜井を好きなことに変わりはないし、桜井の好みや性癖が自分とは異なるものだったとしても、この恋心が既に簡単に諦められるような仄かなものではないこともわかっていた。 なら、堂々と好きでいればいい。想いが実るかどうかは別にして、桜井に振り向いてもらえるような人間になればいい。 「…今度の日曜、またお店行きますね。」 秀一は精一杯の笑顔で、桜井を送り出した。鼻詰まりが丸わかりのカッコ悪い声だったけど、桜井も心からの笑顔で応えてくれた。 「はい、待ってますね。」 という一言と共に。 鍋の中に残された豚汁は既に冷めきっていたけれど、仄かに良い香りが漂っている。どん詰まりの鼻でもわずかな香りを感じ取れるのは、きっと桜井の手料理だからだ。 秀一はニマニマと不審な笑みを浮かべながら豚汁の香りを堪能してから、早く風邪を治すべく貰ってきたばかりの薬を口の中に放り込んだ。 それをゴクリと嚥下して、ふと気付く。 「…ん?桜井さんこれから帰ってもしかしてカップ麺食うのか?」 一緒に食って行って貰えばよかった!なにが好きになってもらえるような人間に、だ! 後悔しても桜井はとうに去った後。自分の気の利かなさに、早くも自信喪失したのだった。

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