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第43話

望月の言葉を何度も反芻しながら電車を降りると、僅かに雨の匂いがする。空気は湿っていて、シャツがぺたりと肌に張り付いて不快だった。 俺じゃあいつのストッパーは務まらないって、どういう意味だろう。望月は桜井の人生のパートナーになりたかったんだろうか。軽い調子で話すけど、大学時代付き合っていた時から今も本気で桜井を愛しているのかも。 けれど、何らかの理由で友人というポストに甘んじているのだとしたら。桜井のためを想って、桜井を自分以上に幸せに出来る誰かを探しているのだとしたら。 それはとても辛く、それでいて尊い感情だ。 そこまでの想いを自分は貫けるだろうか。恋人にフラれて腐るしかなかった自分は、望月以上に桜井を幸せに出来るのか? 秀一は悶々と考えながらTräumereiを目指した。 大通りをちょっと外れた、この時間はもう街頭も少ない暗い裏路地に、Träumereiはある。 ちょっと古びた小洒落た建物を見上げると既にclosedの看板が出ていたが、店内には明かりが点いていた。 「桜井さんまだ仕事してんのかなー…」 辺りはもう真っ暗だ。時刻は20時近い。ディナータイムは営業していないTräumereiはとっくに店仕舞いしているはずなのに、一体何時まで仕事しているのだろう。 ちょっとだけ。 あまり良くないと思いつつ、秀一はドアの窓から店内をそっと覗いた。 小さな窓の向こうに広がるもう見慣れた店内。温かみのある木造の内装に合わせたテーブル、椅子。奥には柔らかい色合いのソファ。その更に奥に、堂々と構える真っ黒なピアノが垣間見える。 桜井の姿は見えない。ポツポツと天から生温かい雫が降り始めて、秀一はそっとドアから離れた。 帰ろう。 そういえば結局お礼のプレゼント買い忘れたな。 自分の間抜けさにうんざりしつつTräumereiに背を向けると、知らず小さなため息が溢れたことに気がついて、頭を振って一歩踏み出した。 と、その時。 カランカランと軽快なドアベルの音が響く。釣られて振り返ると、桜井がひょっこり顔を出したところだった。

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