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第45話
一瞬の静寂が辺りを支配した。
外の雨音もなにも聞こえないその一瞬で、桜井の纏う空気が変わる。
桜井の指先が鍵盤を滑り出すと、ぞわりと鳥肌が立った。
軽快に動き回る指先が奏でる音たちは、まるで滴り落ちる雨のよう。しかしそれでいて耳に届く旋律は大きく曲線を描いたようで、雨水が作り出した地を流れる小川のようだ。繊細で上品で、それでいて前衛的な音楽。
それらを奏でる桜井の表情は伺えない。秀一の今の立ち位置からは、桜井の後ろ姿しか見えない。
けれどその後ろ姿が、どこか攻撃的な、生き急いでいるような。
前にトロイメライを聴かせてくれた時とあまりに違うその姿は、秀一の目には弱っている姿を見せまいと強がる幼い子供のように見えた。
『ただそろそろ人生のパートナーが必要なんじゃねーかなと思うわけ。特に奏真みたいなタイプはさ。』
先ほどの望月の言葉が蘇る。
独りでも充分生きていけそうな桜井が、酔いに任せて抱えている何か辛い想いをピアノに叩きつけているようなその姿に、秀一は吸い寄せられるように一歩踏み出した。
望月さんのいうストッパーっていうのが、どういう意味かはわからないけど。
望月さんがなれなかった桜井さんのストッパー役というパートナーの位置に、もしも自分がなれるなら。
こんな風に寂しい背中を誰かに向けることがなくなるように、ずっと抱きしめていてあげたい。
「…え、なん…?」
切なく甘い感情が秀一の胸の内から溢れ出たその瞬間、ふっと不自然にピアノの音が止んだ。
桜井が目をまん丸くして秀一を腕の中から見上げている。秀一はハッと我に返り、腕の中に閉じ込めた桜井を解放した。
「あ、俺…」
俺、今何した?
「すっ…すいません!!」
「え、あ、ちょっと!」
制止する桜井の声も聞かず、秀一は物凄い速さでTräumereiを飛び出して雨の中を走り抜けた。
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