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第47話
せめてメモなんかじゃなく顔を見てちゃんと謝れば良かったのかもしれない。日が経つにつれ秀一もそう考えるようにはなっていた。けれど卑怯だとわかっていながら、桜井の顔を見る勇気がなかった。桜井の綺麗な顔が嫌悪に歪むのを目の当たりにする勇気がなかった。
大学を卒業するときに元彼に告白した時はそんなことなかったのに。
「…ねぇ、今夜どう?慰めてあげる。俺上手いよ。上でも下でもいいし。」
男の婀娜っぽい視線が秀一を搦めとる。ぺろりと誘うように覗いた舌にピアスが開いていた。失恋がほぼ確実になった今、この遊び慣れた風の男の一晩だけの虚しい恋をするのもいいかも。
そう思った瞬間、秀一の脳裏に元彼の顔がチラついた。
『アッチがお粗末っていうか〜…』
言い辛そうに、それでいて悪びれる様子はなかった彼の言葉は今も秀一の心に突き刺さっている。
秀一は頭を振り、酒もつまみも残して席を立った。
「…遠慮します。ママ、お会計お願い。」
立ち上がったことで一気に酒が回り、視界がぐらりと揺れた。
明日は二日酔いかもしれない。祝日で良かったと若干の吐き気を覚える胸でホッとした。
───
これでよかった。
元々見込みのない恋だった。
たまたま立ち寄ったカフェのオーナーさんと、ただの客でしかない自分。この短期間でここまで仲良くなれたのが奇跡だ。本来なら店以外の場所で会っても気付かないような間柄だろうし、よしんば気付いても声を掛け合うような仲にはならないだろう。
日曜の朝からクラシックの流れるカフェで美味しいモーニングセットをいただく贅沢な休日はもうやめだ。
カフェで飲むカフェオレが缶よりもずっと美味しいことも、クラシックという音楽のジャンルが心を穏やかにして癒しを与えてくれることも知った。目の前で奏でられる演奏が、何よりも魂を揺さぶることも。
ありがとう桜井さん。
時間はかかっても、いつか必ずこの恋は忘れます。
今日はTräumereiの前をわざわざ通りかかることなく、秀一は真っ直ぐ帰路に着いた。
あの日、途中までだけど聴かせてくれたあの曲のタイトルを知りたかったなぁと思いながら
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