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第49話

後ろから襟ぐりを掴まれて思いっきり気道を塞がれた秀一に逃げる術が残っているはずもなく、怪訝な顔をするコンビニの店員に愛想よく会釈した桜井に引き摺られて定休日の看板がかかったTräumereiに入ると、秀一はもう吐きそうだった。 と言ってもそんなに乱暴に引き摺られたわけではない。普通に腕を軽く引かれただけだ。ただ、緊張と気まずさが体調の悪さも手伝って限界を突破しただけ。 明かりがついていない店内で、外の僅かな光が頼りなく桜井の顔を映し出す。 困ったような、むしろ泣きそうにさえ見える桜井の顔を目の当たりにして、秀一の胸がギュッと痛んだ。 「…なんで、逃げるんですか?」 静かな声は感情が読めない。 怒っているのか悲しんでいるのか呆れているのか見当もつかないことが怖くて、秀一は浅く息を吐いた。 「すいません…どんな顔して会ったらいいのか、わからなくて…」 「普通にしたらいいじゃないですか…店来て飯食ってカフェオレ飲んで、タオルだって…」 「酔ってる相手に襲いかかって普通でいられるほど俺はクズじゃありません!」 秀一が突如張り上げた声は狭く薄暗い店内に響き、しんと静まり返って余韻を残した。 頭がガンガン痛むのは二日酔いのせいか、それとも罪悪感のせいか。秀一は今度は深く深呼吸した。 「すいませんでした…もうここには、」 「同じ男の俺を抱きしめたことを後悔してるんですか?それなら…」 「そうじゃない!」 「じゃあなんだよ!?」 初めて聞いた桜井の怒声に、秀一はギクッと身体が強張った。 そして脳裏に過ぎる、昨夜出会った名前も知らない男の言葉。 『告って玉砕して完膚無きまで嫌われた方が良かったんじゃない?』 スーッと肩の力が抜けていく。 望月と付き合っていたのが事実なら、同性愛に理解はあるのだろう。気持ち悪いとは思われないだろうし、仮に思われたとしても吹っ切れるならそれもいいかもしれない。 秀一は顔を上げた。 未だ少しだけ怒気を残した不機嫌そうな桜井の顔を真っ直ぐ見つめて、ハッキリ口にした。 「好きです。」 と。

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