60 / 163
第59話
フラフラよろよろしている桜井を半ば引きずるようにして帰路を急ぐ。
細いとはいえ立派な成人男性、それも酔って力がほとんど入っていない桜井を連れて行くのはなかなかに骨が折れた。焼き鳥屋からTräumereiが近くて本当に良かった。
「ほら、桜井さん!着いたよ!」
街灯も少ない裏路地の片隅、電気の消えた店の外観はどこか寂しげだ。
ぐらんぐらん揺れていた頭をやっと持ち上げた桜井は店兼自宅をぼうっと数秒眺めて何故かふうと溜息を一つ。溜息を吐きたいのはこっちである。
桜井は相変わらず頭をグラグラさせながら鍵を取り出すと、あ、と小さく声を上げた。
「秀一、甘いの好き?」
「え?うん好きだけど…」
「入って入ってー。んで、ちょっと、まっててー。」
桜井はドアベルを鳴らしおいでおいでと手招きする。秀一が一歩店内に入ると、桜井はいつかのように強引に秀一を引っ張り込んだ。
桜井は立ち尽くす秀一を他所にカウンターの中でふんふんとまたご機嫌な鼻唄を歌いながらゴソゴソやっている。と思ったらヒョコッと顔を出し、続けて小さな紙袋を差し出した。
「これ、持ってけ!スコーンだから、朝飯とかー、会社持って行って小腹空いた時とか!」
はい、とカウンターの中から差し出される紙袋を受け取り中を覗き込むと、小ぶりなスコーンが二つと小さな容器が二つ。ほのかに甘い香りがした。
「いいの?」
「おー。中にクロテッドクリームとジャム入ってるから。」
「ありがとう…」
今の心境を文字にするなら、じーん、しかない。
明日の朝食はこれに決まりだ。1斤100円の食パン一枚齧って行くより万倍も力が出そうだ。明日は上司に怒鳴られずに済むかもしれない。
袋の中を覗き込んだまま感動に打ち震える秀一に、カウンターにくったりと凭れ掛かった桜井が急にビシッと指を指してきた。
「その代わり、今度会う時は俺のことも名前で呼ぶよーに。」
真っ赤な顔して、ちょっと強気な上目遣いで、へろへろの身体で、そんなの。
(可愛すぎか…ッ!!)
スコーンの感動を上回るそれに、秀一は片手で顔を覆ってぷるぷる震えながら懸命に耐えた。
もう今すぐにでもカウンターの中から引っ張り出してそのへろへろの身体を目一杯抱きしめたい。力が入らない桜井を腕の中に閉じ込めて強引にでもキスしてこの湧き上がる衝動をぶつけたい。今ならやれる気がするし許される気がする。
が、しかし。
(耐えろ俺…!!酔っ払い相手はダメだって…!!こういうのは同意とムードと段階が…!!)
「う、うん…そうだね!これ、ありがと!おやすみ!!」
「おー、おやすみー。」
ヘタレなくせに真面目な秀一に、酔って前後不覚に陥っている桜井にキスするなんて芸当ができるはずもなかった。
ともだちにシェアしよう!