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第82話
ほろ酔いの身体に夏の夜風は心地良い。ママに話を聞いてもらって幾分スッキリした秀一はバーを出ると胸いっぱいに息を吸い込み、暗い気持ちも一緒に吐き出した。
明日は日曜日だ。
あれから奏真には会っていない。LINEだけは毎日交わしているものの、当たり障りのない挨拶に毛が生えた程度のものだけ。今までと変わらないそれでは、奏真があの時何を感じて今何を思っているのかはわからない。
明日はいつも通り朝イチでTräumereiに行って、すぐに謝ろう。他にお客さんがいなければ事情も話してしまおう。仮に朝イチで話せなくても、閉店後に必ず。
決意を胸に秀一は帰路を急ぐ。
やがて見えてきたアパートの部屋の前に見える人影に、秀一はヒュッと喉が鳴るのを感じた。
「シュウくん…久し振り。」
秀一の気配に気付いたその人は顔を上げるとそっとバツが悪そうに微笑んだ。
「…ヒメ…?」
数ヶ月前に別れたかつての恋人はげっそりとやつれて生気がなくなり、目の周りは泣いた跡で腫れ上がっている。
たった数ヶ月、記憶の中と違いすぎる姿に戸惑いを隠せない秀一に、その男、 姫井 晃広 はゆっくりと立ち上がって口を開いた。
「ごめん、突然…入れてくれないかな…」
か細い声の願いに、秀一は躊躇しつつ部屋の鍵を開けた。
今は何の感情も抱いていないとはいえついこの間まで付き合っていた相手を部屋に上げるのはなんとなく気が引けたが、やつれた顔で今にも倒れそうな人間を放り出すことは秀一には出来なかった。
何度も来たことがあるはずなのに物珍しそうに部屋の中を眺める姫井は、秀一が無言で差し出した麦茶を受け取り一気飲みすると、みるみるうちに大きな瞳に涙を浮かべ始めた。
ギョッとした秀一を知ってか知らずかグジッと鼻をすすった姫井は、涙声でこう切り出した。
「シュウくん…今日、泊めて…」
と。
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