92 / 163

第87話

要は心を奪われた名前も知らないイケメン似の元カレに追い出されて住むところがなくなったし彼氏もいなくなったので秀一とよりを戻して住まわせてほしいらしい。なんとも都合のいい話である。 なんであんなに好きだったんだろ、と若干遠い目をしながら早足にTräumereiを目指すと、流石に早朝とはいえ真夏、額を汗が伝っていった。 「だってさ〜シュウくんだよ?ヘタレ奥手甲斐性なしの三拍子揃えてるシュウくんだよ?僕と別れてからのたった4ヶ月の間に新しい恋人作ったなんて信じられるわけないじゃん!」 「ひどい言い草だな…!」 「事実でしょ!」 全く悪怯れる素振りを見せずに言い切る姫井に、大きく溜息をついた。 顔を上げればそこにはもうすっかり見慣れた古いカフェ。この扉を開ければ癒し空間が広がっている。が、早足で来たせいでまだ開店前だし、なによりこのきゃんきゃんうるさい姫井をなんとかしなくては折角の癒し空間が台無しである。 秀一は眼鏡を押し上げくるりと振り返ると、挑むように姫井を睨みつけた。 「普通に考えて!新しく住む場所見つけて引っ越すまではその男のところに居座れよ!」 「無理だって!ところで行くところってここ?シュウくんさっきまで飲み食いしてたのにまだ食べるの?太るよ?」 「だああああうるさいうるさい!!早く帰れって!!」 しんと静まり返った路地裏に響き渡る怒声を遮ったのは、カランカランという軽快なドアベルの音。 奏真くん、と反射的に呼びかけようとして、ドアの向こうから箒を持ってぬっと現れた黒い長身の人影に秀一はあんぐり口を開けた。 「店先で騒がないでくださーい。」 「なんで望月さんが早朝にここから出てくるの!!」 「昨晩お泊りしたからでーす。」 「くっそ羨ましい…!!!」 「なら代わってくれよ…!奏真マジで荒れててほんと辛い夜だったよ…!!」 荒れてる? 望月の発言に引っ掛かりを覚えて聞き返そうとしたその時、ガシッと後ろから手を掴まれた。犯人は大きな瞳を見開いてふるふると僅かに身体を震わせながら、秀一の向こう、望月を指差した。 「電車の君…!!!」

ともだちにシェアしよう!