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第94話

望月と姫井と別れて数時間、秀一は駅前の比較的大きなショッピングモールにテナントとして入っている花屋にいた。 目的は一つ。 ベタ上等、バラの花束。 何本ご用意しますか?という店員の問いかけに、秀一は迷いなく答えた。 「108本、夕方4時半に取りに来ます!」 「ちょっと今からじゃ無理ですねぇ…」 ─── Träumereiの閉店時間は午後5時。真夏の今はまだ明るい時間帯だ。 本当なら夜の暗いロマンチックな雰囲気が望ましかったのだが、真っ赤な夕焼けというのも悪くない。 大事な接待の時にしか着ない、就職してからまだほんの数回しか袖を通していない一張羅に身を包んだ秀一は、大きな袋を抱えてTräumereiの前に立ち閉店を待っていた。 毎週来ているから知っている。 閉店30分も前になるとTräumereiにはほとんど客の姿がなく、奏真はさっさと片付けの準備を始めていることを。そして5時になるなり出てきて外の看板をclosedにして店を閉めてしまうことを。 そのタイミングを狙っている。 完全に怒らせてしまったのがわかりきっていて、のこのこ開店時間に店に戻ることなど出来なかった。店員としての最低限の対応しかしてもらえない、それもきっと無表情で冷ややかな目で接客されるかと思うと想像だけで泣きそうになる。 だから、閉店のためにひょっこり顔を出す奏真に会うのだ。 ちら、と腕を見るとそこにはもう時計は無い。秀一は腕時計で時間を確認する癖がすっかり染み付いていることに舌打ちしながら、改めてスマホで時間を確認した。あと2分だ。 よし、と思ってガサガサ袋を外そうとすると、ポツリと天から濡れた感触。 「…ん?ん!?」 ザーーーッ!と降り出すのは一瞬だった。真夏の怖い怖い夕立である。それもかなりの勢いだ。 「ちょ、マジかおい!!」 折角の一張羅、いやそれはもう仕方ないクリーニングに出せばいい。どうせ着る予定なんてそんなにない。 それよりこれだ、袋の中身が濡れてしまったら大惨事だ。秀一は半分顔を覗かせた中身を慌てて袋に仕舞い、濡れないように潰してしまわないように大事に抱え込んだ。 どこか少しでも屋根のあるところ、とあたりを見回すと、雨音に混じってカランと響く聞き慣れたドアベルの音。 秀一は反射的に顔を上げた。 「秀一!?」 「奏真くん…」 「バカかお前!入れほら!」 奏真の細いのにしっかりした大きい手、今思えばこのしっかりした感触はピアノを自在に操るための筋肉だ。 それがグイッと秀一を店の中に引っ張り込む。呆然としていると奏真はちゃっかり看板はclosedにしてから呆れたように秀一を見た。

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