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言えない一言

『会いたい。』 夜も更けた22時過ぎ、奏真はスマホを握りしめてたった一言のメッセージを送れずにいた。 出会ってから約1年、ほぼ毎週顔を見ていた秀一にしばらく会っていない。 年度末で忙殺されていた秀一が日曜日だというのに休めない週が続き、それがようやく落ち着いたのはつい3日前、3月が終わるという時だ。じゃあ昨日の日曜日は、というと疲れが溜まりにたまった秀一が熱を出した。店が終わったら看病に行こうかと申し出たものの、疲れが溜まっているだけだから寝れば治ると丁寧に断られてしまった。 ただ少しでも会いたい口実だったのだけど、要らないというものを押し付けるわけにもいかず。会いたいという簡単な4文字も、奏真は素直に言うことができなかった。 4月を迎えた今日、年度始めでまた忙しくなるのだろう。会社勤めをしたことがない奏真にはよくわからないが、こんなにも仕事ばかりしていて大丈夫なのかと心配になる。 ほったらかしにされたスマホは画面が真っ黒になり、奏真はそこにしばらく見ていない恋人の顔を思い浮かべた。 仕事なんだから、仕方ない。 奏真だって、飲食店という仕事柄秀一の休みである日曜日に休めるわけじゃない。それも仕事だから仕方ない。どっちが大事なんて使い古されたつまらない文句なんて言いたくない。 ため息混じりにホームボタンを押すと、4月1日月曜日の文字。そういえば今日はエイプリルなんたらだ。愉快なイベントと重なった定休日はピアノを弾いてビールとおつまみで終わった。ダメな大人だ。 もうすぐ22時半になるし、いい加減寝なければ明日の朝が辛い。 いつだったか秀一に叱られた1234のロックナンバーを解除すると、会いたいという送れない一言が表示される。 奏真はそれをたっぷり3秒眺めて、意を決してえいやと送信した。 もう、この時間だから言ったところでどうにもならないし。 それにさっき思い出したけど今日は嘘をついても許される日だ。万が一何かリアクションがあったら、嘘だよとか言って適当に誤魔化してしまおう。ああ、ダメな大人だ。 奏真はスマホを充電器に繋ぐと布団に潜り込んだ。 「はぁ、1週間って長ぇな…」 小さなボヤキを拾うものはいない。 奏真が布団の中でもう一つため息をつくと、この時間には似つかわしくないピンポンという音が響いた。 「………?」 誰だこんな時間に、と不審に思いながら布団から這いずり出るとモニターを覗き込む。 そこに映った人物に、奏真はギョッとして慌てて階段を駆け下りた。 「あ、…こんばんは…」 ドアベルを鳴らすと、その向こうでちょっと疲れた顔をしたスーツ姿の秀一がへらりと笑った。 「あー…今ちょうど駅に着いたとこでLINE来たから来ちゃったんだけど、ごめん寝るとこだったよね…?」 お互い翌日も仕事がある身、こんな時間にそんなこと言われてもという意図の返しを予想していた奏真は面食らった。嘘だよ気にするな、と言うつもりだった口が塞がらない。 「おま、本当に来る奴がいるか…?」 「ああああそうだよね!?ごめんね!?」 「普通、困るとこだろ!」 「困らないよ!?俺が昨日熱出してどんだけ布団で泣いたことか…!!」 「エイプリルフールだよ気にするなって言おうと思ってたのに…」 「え!?あ、嘘!?え、嘘でしょ!?」 表現するなら、間違いなくガーン!だろう。雷に打たれたような顔をして一気に泣きそうになる秀一を見て、奏真はグッと押し黙った。 エイプリルフールにかこつけて、本心を嘘に隠して伝えたつもりだったのに。 「う…嘘じゃ、ない…」 この真っ直ぐで純朴な恋人には、全く通用しない小細工だったようだ。 奏真は耳まで真っ赤になった顔を隠すために秀一の手を引いて店内に引っ張り込むと、ちょっとだけタバコ臭いスーツに顔を埋めた。

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