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窮鼠猫を噛む/2

奏真と初めてのデートらしいデート、それも温泉旅行に気合が入った秀一は連休前の激務もなんのその。 仕事をサクサク終わらせて隙間時間に宿泊先を調べて予約を取り、グリーン車を押さえて観光地や美味しい飲食店を各ジャンルからピックアップした。 職業柄普段は旅行なんて出来ないであろう奏真に、なるべく楽しい思い出を作って欲しくて。秀一は持てる時間と労力を全て捧げて、考え得る最高のプランを携え満を持してゴールデンウィークを迎えた。 ─── 「すげーな、こんな時期にまだ桜咲いてるんだ。」 「霞桜(かすみざくら)って言うらしいよ。この旅館の名物なんだって。」 「へ〜。あの真ん中は梅だよな?」 「…多分。」 「変わった植え方してるよな。」 「なんか昔の店主が植えたとかってホームページで見たよ。だから樹齢3桁とかって。」 ふぅん、とおざなりな返事をした奏真はぐーっと伸びをして窓を開け放ち、初夏の爽やかな風を胸いっぱいに吸い込んだ。 北の大地にひっそりと佇む露天風呂が自慢の老舗温泉旅館は美味しそうな懐石料理の写真と意外とリーズナブルな宿泊料金に惹かれて秀一が選んだ旅館だ。 奏真の細い背中の向こうに晴天の中、青い葉に混じって桜の花が慎ましく咲いている。 華はあるけれど決して派手ではない景色は奏真によく似合った。秀一はこっそり写真を撮りたい衝動に駆られたが、シャッター音で気付かれるのは目に見えている。なのでしっかりと目に焼き付けて、時間を確認した。 まだ16時だ。夕食にはだいぶ時間がある。 秀一は緊張をほぐすように息を吐き出すと、一歩踏み出した。そっと細い肩に手を置いて意識して少しだけ低い声で、そう言うなれば甘く囁きかけるように、先ずは露天風呂でゆっくり一杯飲もうよとでも── 「よし、取り敢えず卓球しに行こう。」 「えっ?」 「さっき卓球台あった。」 「いや、うん、あったけど…」 「勝った方が今夜上になる。」 「なんで!?いや、なんで!?やめようよそういうよくわかんない賭け!!」 秀一の必死の訴えに、奏真は実にイキイキとした良い笑顔を返した。 秀一は狼狽した。 前々から奏真は時折タチをやりたがったが、秀一がその度になんだかんだと阻止してきた。奏真も秀一がそうやって必死になっているのを楽しんでいる節があり、本気でやる気は無いのかなと思い始めていたところだ。 だから今日もそうなのかな、と淡い期待を抱きつつ、さりげなく今夜するつもりでいてくれたのが嬉しくてにやけた顔をなんとかしようと不自然に顔を歪めた。

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