137 / 163
Liebesträume/4
しかし秀一は、1週間後にはその願いを若干後悔することになる。
というのも、秀一のリクエストに応えるためにピアノに向かう時間を増やした奏真とほとんど連絡が取れない。LINEの返事はおはようとおやすみだけ。通話は出ない。それはまぁ仕方ないと秀一も割り切っていたのだが、週に1回だけの逢瀬が叶う日曜日のこと。
カフェの営業時間内はまだよかった。いつも通りの美味しいモーニングとカフェオレ、常連客との他愛のないやりとり。時折交わされる奏真との視線は穏やかで甘い。ランチの後にはいつもは頼まないケーキ、今日はガトーショコラだったのだが、奏真が好意で出してくれた。粉糖で化粧を施し生クリームとミントが飾られたそれは甘過ぎず食べやすくて、とても美味しくてあっという間に平らげてしまった。
ティータイムを過ぎると客足が落ち着き、17時の閉店後が秀一の1番の楽しみだ。
それはもちろん奏真と二人きりの甘いひととき。一緒にスーパーへ行って買い物をして、その食材を使って一緒に作った…というか秀一が手伝った夕飯を食べて、その後が本番だ。
今日はゆっくりDVDでも観る?
それとも飲み交わしながらくだらない話に興じる?それともそれともベッドで熱い一夜を───
「よし、練習するから帰って。」
「え!?あ、…はい…」
なんとなく、なんとなーくそんな予感がしていただけに、秀一は店を一歩出てほろりと涙を流した。
とぼとぼと帰路に着きながらぼんやり考える。
きっと、奏真は自分がいてもいなくても然程変わらない。ただ日常的に連絡を取る人がいなくなり、肌を重ねる人がいなくなるだけなのだろうと。
一緒にいて楽しいとかドキドキするとか、多少なりとも感じてくれているのだろうとは思う。でなければ恋人同士であるとも言えないからだ。
けれど、いなくともきっと支障はない。秀一のように週に一回だけの逢瀬でまた仕事を頑張れるとか、毎日の簡単なやりとりと時々の電話に元気をもらうとか、いわば日々の支えというほどの存在ではないのだろうと。それこそ、きっとそれはピアノなのだろうと。
「…アホらし。俺、無機物に嫉妬してら。」
結論と共にアパートの鍵をカチャンと回す。この前の温泉旅行でもらった、まだ一度も使っていない音符のキーホルダーが付いた合鍵が虚しく揺れた。
何よりも誰よりも夢中になれる何かがあるというのは、本当に羨ましい。
行き場のない嫉妬と心からの羨望がせめぎ合い、もやもやとした暗雲が秀一の中を埋め尽くしていく。
ピアノに嫉妬したってどうしようもない。そんなことはわかっている。
けれど奏真の奏でる音を聴いていると、どうにもピアノが無機物であると思えなくなってくる。まるで感情を持って歌い踊り語る、そう、人のように感じるのだ。
秀一はその日早々にベッドに入り、初めて奏真からの「おやすみ」のメッセージに返信をしなかった。
ともだちにシェアしよう!