139 / 163

Liebesträume/6

「え、喧嘩…?してないですけど。」 「そお?ならいいんだけど。久々にゾンビみてーな顔してる奏真見たからさ。」 「ゾン…?奏真くんに会ったんですか?」 「うん、一昨日かな?楽譜貸してくれって言うから持ってった。」 ゾンビ。 いつも優しく穏やかで落ち着いた奏真のゾンビのような顔なんて想像もできない。秀一は頭を悩ませた。 望月は、通りかかった店員を呼び止めて二杯目のレモンサワーを頼んだ。アルコールメニューをサッと手渡してくれた望月に手だけで遠慮の意思を伝えると、若い女性店員が望月に熱い視線を一瞬だけ送って去っていく。 稀に見るイケメンだもんな、とどこか冷めた気持ちでその背中を見送り、店員の視線に気付いているのかいないのかメニュー表をパラパラめくっている望月に秀一はなんとなく、本当になんとなくポロリと零した。 「喧嘩は、してないですけど…ただ俺が勝手に拗ねてるだけです。」 望月は一瞬間を置いて、小首を傾げる。 「それは喧嘩じゃねーの?」 「喧嘩じゃないです。ただ奏真くんにとってピアノ以上のものになれないのが悔しいだけです。」 「ほう。」 興味深そうに身を乗り出した望月の視線が先を促している気がする。秀一はグラスを煽り、少し考えてから口を開いた。 「奏真くんは俺のこと好きなんじゃなくてただの面白い人だと思ってないかなーとか…しかも俺別に面白いこと言ってないし…」 「あいつ笑いの沸点低いからな。」 「めちゃくちゃ低いですよね?」 「え、そこ?みたいなタイミングですげぇ笑うよな。まぁそれはさておき…正直俺から見たら溺愛のレベルだと思うけどなぁ。ピアノと比べられちゃうと何も言えねーな。」 「溺愛…」 「溺愛も溺愛、溺死するんじゃね?」 冗談めかしているのが気にはなるが、悪い気はしない。 唇をへの字に曲げてわかりやすく拗ねる秀一を見て苦笑いした望月は、2本目のタバコに火をつける。Träumereiは禁煙だから気付かなかったが、結構なヘビースモーカーのようだ。 運ばれてきたレモンサワーを一口飲むと、望月は更に続けた。 「いやほんと、溺愛だよ溺愛。あの奏真がよ?ピアノ弾く時間削って誰かと一緒に過ごすとか10年前の俺に教えてやりたいわ。」 「そうですかね…結構ダラダラビール飲みながらDVD観てる印象ありますけど。」 「観てるだけっしょ?昔ならあいつ楽譜とノート開きながら観てたよ。猛禽類みたいな目で。あー恋愛といえばさ、俺忘れもしねーよ大学ん時同期で一番美人だった声楽科の女!」 よく喋るなこの人、と思いながらも、奏真は自分から昔の話をしない。望月からしか昔の話を聞けない秀一は、悔しいことに興味を押し殺すことができない。過去の恋愛遍歴なんて知ってもろくな事ないと思いつつも、だ。 望月は秀一の微妙な表情には目もくれず勝手に続きを語り始めた。 「奏真が当時付き合ってたんだけどさ、奏真が事故って…あ、知ってるよな?事故って復学してきた時、『ピアノが弾けない貴方に用は無いわ』とかのたまったんだけど。」 「うわっ…そんな奴いるんすか…」 「いたんだよこれが!しかも弾けなくねーし!そん時俺もその場にいてさ、流石の俺もぶん殴ってやろうかと思ったんだけど。奏真そん時なんて言ったと思う?『自由が増えた』って!少しも傷ついてねーの!こいつ恋愛できねーなと思ったね!それがどうよ、毎週仕事の後に秀一くんとラブラブタイム?この前なんて温泉行ったらしいじゃん!ずるい俺も奏真と温泉行きたい!」 「望月さん、奏真くんのこと好きすぎじゃないっすか?」 「俺は小学生の頃から自他共に認める桜井 奏真のストーカーだぞ。奏真の演奏会やらコンクールやら試験で弾いた曲やらは全部把握してるし手に入った音源は今でも持ってる。多分本人より詳しい。」 「なんだそれ羨ましい…!!」 「じゃ今度うちで宅飲みしよう。」 約束な、と望月はキラキラスマイルを惜しげもなく晒して二杯目のレモンサワーを飲み干した。 人の恋人に好意を示しすぎじゃないのかと怪訝に思ったが、恋愛以前にちょっと引くほどの奏真の熱狂的ファンだったことを今初めて知った。しかもそれを惜しげもなく提供してくれる。 キラキラスマイルを振りまかれたところで少しもときめかないが、意外と良いやつだ。秀一の中で望月の株が急上昇した。

ともだちにシェアしよう!