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Liebesträume/8

夜の風はまだ少し冷たい。湿気を纏い始めた風は酔いを覚ませるには少々不愉快だった。 望月と別れて電車を降り、ほろ酔いの頭で自然とTräumereiに向かっていた。 奏真が起きている時間なら寄って行こうかと思ったのだが、思いのほか盛り上がってしまい時刻は22時になろうとしている。普段の奏真ならそろそろ夢の中だし、大人としてこんな時間に訪ねるのはどうかとも思うのだが、最近の奏真は秀一のお願いのせいで夜更かしだし、今日はまだおやすみのメッセージを受信していない。 外から様子を見るくらいはいいだろうと裏路地を進んでいくと、やはりTräumereiからまだ灯りが漏れていた。 ドアの窓からそっと様子を伺うと、奥に奏真の姿を見ることができる。ピアノの隣に位置するテーブルに座ってなにやら真剣に考え込んでいる。ピアノの蓋は開きっぱなしで、数冊の楽譜が積み上がっていた。しばらく様子を見ていると、なにかを書き込んでいる様子が伺える。 邪魔しちゃ悪いかなとその場を立ち去ろうとした時、グーっと伸びをして体を捻った奏真がこちらを向いた。 当然、視線がバッチリ合う。 目を見開いて驚きをあらわにした奏真に、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。紛うことなき覗きだ。それもこんな夜更けに。不審者もいいところ。 タラタラと冷や汗を流す秀一に対して、一瞬遅れて破顔した奏真は立ち上がってこちらに歩み寄り、鍵を開けてくれた。 「どうしたんこんな時間に。鍵渡したの使っていいのに。」 どこか疲れたような顔をしているが、その声の調子は明るい。秀一はホッとして、招かれるままに一歩Träumereiに踏み入った。 「ごめん、邪魔したかな。」 「いや、集中力切れたから一回弾いてやめようかなと思ってたとこ。秀一、酔ってる?」 「あ、少し…望月さんに会って、誘われたから。」 「望月…え、剛?すげー組み合わせだな。秀一は剛のこと嫌いだと思ってた。」 「嫌い…では、ないよ?」 「ふは、微妙に歯切れ悪い。」 可笑しそうに奏真が笑い、一瞬の沈黙。そして、奏真はするりと秀一の背後に回ってゆっくりとどこか戸惑いを感じさせながら腰に腕を回してぴたりと身体をくっつけた。 そう、背後から抱き着かれた。 「………!そ、奏真くん!?」 「や、気にすんな。補給。」 「補給!?」 「タバコ臭い…秀一の匂いがしない…」 「匂い!?」 ぐりぐりぐり、と肩に額を押し付けた後に2回深呼吸。酒とタバコの匂いしかしないだろうに奏真は離れない。 背中に感じる温もりにあわあわと両手を彷徨わせていた秀一が漸く腰に回された奏真の手に重なる。すると、きゅっと僅かに力を込められて、二人の指先は自然と絡み合った。 背中に感じる温もりと肩に触れる柔らかい髪の感触に心臓の動きがおかしくなる。痛いくらいのその鼓動をきっと悟られているけれど、秀一は顔を見られていないのをいいことに余裕を見せようと奏真の頭をポンポンと撫でた。 クスリと小さく笑った奏真が、すり、とまた肩に額を擦り寄せてくる。可愛くて愛おしくて、もともと締まりのなかった顔はだらしないという言葉が相応しいほどに緩んだ。 「…よし、もう一踏ん張りするわ。」 ゆっくりと外された手と離れていく温もり。思わず追いかけて、無理しなくていいよと言いたくなったけれど、奏真の目に力を感じて秀一はそれをグッと飲み込んだ。 今、奏真に必要なのは逃げ道じゃない。 「…うん、楽しみにしてるね。」 ニッと不敵に微笑んだ奏真と触れるだけのキスを交わし、その日はTräumereiを後にした。

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