147 / 163
Premier Ensemble/4
音の粒が軽やかに連なる旋律はまるで光の玉がころころ転がったりぽんぽん跳ねたり、楽しげに遊んでいるようでありながら、整然と整えられたレールのようでもある。秀一は初めて聴くモーツァルトの音楽に、ピアノ椅子から退かされた大きなくまのぬいぐるみを膝に乗せて抱きしめながらぽかんと口を開いて聴き入っていた。
奏真が旋律を途絶えさせることなく器用に自分で譜面を捲るその音にハッとして、秀一は慌てて居直る。と、その時ふふっと奏真が小さな噴き出した。
「秀一って俺のピアノ聴いてる時いっつも口開いてる。」
「えっ!?」
「くま抱えてぽかーんと口開いてるのついチラ見しちゃうんだよな。」
「そんな間抜け面見ないでよ…」
ころころ楽しげに転がり続けた旋律は突如重みのある響きに変わる。不安と陰りを見せる旋律を奏でながら、奏真本人はケタケタと楽しそうに笑った。
「いや、可愛くてさ。」
「かわっ…」
「可愛いよ。」
そう言いながら、視線は譜面と鍵盤を行ったり来たり。秀一をチラ見している様子なんて微塵もないのに、どの隙で見られているのかと秀一は面食らった。
「奏真くん器用だね…弾きながら喋ったり楽譜捲ったり…」
「うーんまぁ昔散々弾いた曲だし、難しくないしなこれ。」
「難しくないんだ…」
すごく、難しそうに聴こえるんだけど。
奏真に出会うまでピアノなんてどこかの店のBGMでしか聴いたことがなかった秀一は、実際にそれを奏でる姿を見て毎度舌を巻く。人間の指は訓練次第であんなに動くものなのだと。今弾いてくれている曲だって、ころころ転がっているようではあるが決して転んでいるわけではない。
再び冒頭のメロディに戻ってきた時、奏真がまた口を開いた。
「ちょっと練習すれば秀一も弾けるよ。」
「えっ!?いや、無理無理!無理でしょ!!」
「いけるいける。ガチで2年くらいやれば弾けるって。」
「絶対嘘だ…」
軽やかに動き回る旋律は突然終わりがやってきた。勢いを殺さないままに駆け抜けていった音楽に名残惜しさを感じつつも、爽快な気分が心地いい。
秀一が一拍遅れて拍手を送ると、奏真はすぐに席を立った。
「ほら、座ってみ。」
「ええええ!?今!?」
「大丈夫だって、ピアノなんて鍵盤叩いたら音出るんだから。」
「いやいやいやそりゃ音は出るけどさ…!」
狼狽する秀一を他所に、奏真は強引にくまを取り上げて秀一をピアノ椅子に座らせた。初めて座ったその椅子は、ふかふかして見えるのに意外と硬い。目の前には無数に並ぶ黒と白の鍵盤。全て音が違うそれは秀一には宛らスイッチのようにも見える。触るな危険とでも書いてありそうだ。
頬を引きつらせてずらりと並ぶ白黒を凝視する秀一の手を取った奏真は、その危険なスイッチもとい鍵盤の上に置き、その上に自らの手を重ね、親指でポンと鍵盤を叩いた。
ともだちにシェアしよう!