152 / 163
Only one/1
※本編最後、望月の家に泊まりに行った姫井の話です。
微かな虫の声を聴きながら、ジトリと蒸し暑い真夏の夜で待ち惚け。本当に来るかどうかもわからない。けれど他に行くところもなく、姫井 晃弘はそこに静かに佇んでいた。
どれくらいそうしていただろうか。約束の時間はとうに過ぎている。交換したばかりのLINEには、仕事が延びたとの連絡はあったものの、それだって本当かどうか。やはり初対面の男を泊めてくれなんて、不審に思われて当然。適当な場所を指定して逃げられたのかもしれない。
そう思い始めて、諦めてどこかホテルでも探そうかと一歩踏み出したとき、ぽつりぽつりと人を吐き出す改札の向こうに、一際目を惹く背の高い男性の姿を認めた。
「本当に来てたんだ。悪いな、待っただろ。」
この暑いのにパリッとしたシャツと細身のパンツがよく似合う。黒のジャケットを腕にかけ、シンプルだが質の良い鞄と靴を着こなす美丈夫に、姫井は頬を染めてにこりと微笑んだ。
「いえっあの…大丈夫です、僕こそ突然…本当にいいんですか?」
「いいよ別に。面白いものは何もないけどそれでいいんなら。」
「そんなの全然!」
貴方がそこにいてくれればそれで十分楽しいです、とは言わなかった。
通勤電車の中で何度か見かけて、余りにも好みストライクで、当時付き合っていた秀一からコロッと心変わりしたくらいだ。とはいえ彼と知り合いになれるとも思っていなかったせいで紆余曲折してしまったが、とにかくそれほど好みの彼ならそこにいてくれれば勝手に眺めて楽しめる。今だって、半歩先を歩いている彼の横顔を見ているだけでニヤニヤしてしまいそうなのに。
ああ、かっこいい。
姫井はほうと感嘆のため息を吐く。
今夜もしかしたらこの人とあんなことやそんなことになっちゃうかも。そしてあわよくば、今後のお付き合いも…なんて淡い期待を、少なからず抱いて。
ともだちにシェアしよう!