153 / 163
Only one/2
望月に連れられて来たのは駅から程近い所にあるタワーマンションだった。
まだ新しいらしい綺麗なエントランスを潜り抜けエレベーターを素通りして、1階。しかし日当たり良好の南向き角部屋だ。
「どうぞー。」
玄関ドアを開けると、男物のサンダルが一足だけ出ている。恐らく一人暮らしだろう。埃一つない廊下を進んで行くと、姿を現したのは広々としたリビングダイニングの真ん中を陣取る立派なグランドピアノだった。
「ピアノ…?」
「うん、仕事道具。適当に座ってて、ビールでいい?」
「あ、お構いなく〜…」
真っ黒いグランドピアノに合わせたモノトーンの落ち着いた部屋は全体的に生活感がない。広いリビングの大部分を占めているのは、大量の楽譜とCDだ。姫井はピアノの真ん前、黒い革張りのソファにちょこんと腰掛けて不躾にキョロキョロと部屋の中を見回した。
「面白いもんなんてないっしょ。」
「ピアニスト?」
「あっはは、そんなかっこいいもんじゃねーよ。収入のほとんどは講師料。」
よかったら、と差し出されたのは缶ビールと枝豆だった。姫井はありがたく受け取り、プルタブを開けてグイッと煽る。昼からなにも食べていない空きっ腹にグッと染み渡った。
「プハッ!」
「いい飲みっぷりだね〜、今飯用意するけど食う?大したもん無いけど。」
「いいんですか?」
「いいよ、本当に大したもんじゃないし。」
テレビでも見てて、とキッチンに消えた後ろ姿に惚れ惚れする。服の上からでもわかる均整の取れた身体。艶やかな黒髪も凛々しい顔立ちも、もはや全部全部が好みだ。
冷蔵庫を物色して卵と牛乳を取り出したところまで見届けて、姫井はテレビをつけた。あまり見ていても不審だからだ。が、特に見たい番組もなく、結局はキッチンに立つ背中をチラチラと覗き見る羽目になった。
ほんの15分程度で出てきたのは、芳醇なチーズの香りが食欲を唆る美味しそうなカルボナーラだった。綺麗に盛り付けられたそれに、素直な腹の虫が餌を要求して、姫井はカァッと赤面してフォークを手に取った。
「いただきます…!」
「どうぞー。遅くなってごめんね。」
卵のまろやかな味わいとチーズの香りをブラックペッパーが見事に引き立てていて、美味しい。姫井は次の一口を頬張るために大口を開けて、ハッとして隣を見た。
そうだった隣には憧れの人。今夜この人をモノにしたいんだった。大口開けてがっつく姿なんて見せるわけにはいかない。
と、思っていたのにバッチリ見られていた。
「す、すいません、はしたなくて…!」
「や、美味そうに食ってくれて嬉しいっす。全卵と牛乳と板チーズで作る激安カルボナーラでごめん。」
「え、すごい…こんな美味しく出来るんだ…」
「レシピがプロ仕込みだからなー、ほら秀一くんの恋人のあいつ、一応アレでキッチンからホールまで一人で切り盛りしてっから。」
という話を聞いて、姫井の心は少し萎んだ。
ともだちにシェアしよう!