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第一章 -2

「っい、た…い…」  祐貴はしたたかに打ちつけた腰を撫でながら、ゆっくりと体を起こした。  一瞬の出来事で、いったいどうなったのかは分からなかったが、高いところから落ちたような衝撃が体にあった。 「フィリドア…って、なんだろう…」  まず頭に思い浮かんだのはそれだった。ひどく印象的で、その単語ばかりが頭を巡る。  しかし、いくら考えたところで答えが浮かぶはずもなく、祐貴は頭を振って思案を変えた。  いったい何が起こったのかは分からないが、まず自分がいる場所を確かめようと周りに目を向ける。  そこは、室内だった。といっても、先ほどまでいた図書館ではない。祐貴のほかには誰もいない。  六畳くらいの広さで天井もそれほど高くなく、四方すべて剥き出しの煉瓦で造られている。窓も照明もない代わりに、部屋の四隅と祐貴の目の前に大きな蝋燭が立っていた。室内には蝋燭以外のものは何も見当たらない。  そして、祐貴が座る床には、何やら赤い模様があった。 「これって…」  祐貴は立ち上がり、全体を見渡した。  同心円状に描かれた二つの大きな丸い環に、見たこともない模様が綺麗に並び、中央――祐貴が落ちた場所には星のマークがあった。  それはまるで、漫画やRPGなどで見る、魔方陣と呼ばれるような類のものだ。  そう考えると、この部屋の物々しさもまるで漫画で見たようなそれに近い。 「な、なんだよ。テーマパーク?」  引きつった笑いを浮かべながら、祐貴は部屋唯一の扉を暫く見詰め、意を決してドアノブに手をかけた。  鍵などは掛かっておらず、重たい鉄製の扉はゆっくりと開いた。  外も全て煉瓦造りだった。廊下はなく、出るとすぐに階段だった。らせん状の階段は上下に続いている。人はおらず、やはり空気穴のようなものを除いて窓もないが、蝋燭が街灯のように等間隔に配置されていた。  祐貴はとりあえず、上を目指すことに決めた。ただでさえ薄暗いのに、下は深淵のようなおどろおどろしさがあって、下るのは恐ろしすぎる。 「とにかく、誰かに会わないと」  人に会って、まずここがどこなのか聞く。それを目標として、祐貴は歩き出した。  登り始めて数分、長い長い階段は終わりを迎えた。また鉄製の扉があり、そこも施錠はなく簡単に開いた。  そこから出ると、祐貴はまぶしさに包まれた。薄闇に慣れた目を何度も瞬く。ゆっくりと瞳を開くと、そこはまだ室内だった。  しかし先ほどまでとは打って変わり、壁は白く塗られていて、天井はひどく高い。その高い天井まで一面ガラス張りの窓がずっと続いている。そこから太陽の光が燦々と降り注ぎ、赤い絨毯の敷かれた長い廊下を照らしていた。 「すごい、綺麗…」  そこに立ちつくした祐貴は、思わず感嘆をこぼした。窓の外に庭が見えた。  噴水の周りに色とりどりの花が咲き乱れ、木々は綺麗に切りそろえられている。全てがきらきらと輝いていた。  先ほどまでは、地下にいたようだ。 「テーマパークじゃなくて、どこかの大豪邸?」  まるで物語に出てくるお城のようだと思いながら、祐貴は庭を眺めつつ廊下を歩いて行った。 「あれ、でも、今、夜じゃ…」  手を翳して太陽を見上げ、祐貴は目を細めた。今は夜の十時だったはず。もしかして、朝まで眠ってしまっていたのだろうか。しかし、記憶はずっとあの時から途切れておらず、気を失っていたとは考えにくい。  そのとき、背後から大きな声が聞こえた。 『何者だ!』  びっくりして振り返る。廊下のずっと先に、黒いレインコートのようなものを頭まですっぽりと被った男が見えた。何と言ったのか聞き取れなかったが、やっと出会えた人に祐貴は嬉しさでいっぱいだった。 「ああ、よかった!俺、なんだか知らないうちにここにいて…ここってどこですか?」 『貴様、何者だ!どこから侵入した!』  男は怒鳴りながら祐貴へ近づいてくる。  祐貴は顔を強張らせた。男の言葉は、今度ははっきり聞き取れたはずなのに、意味を理解することができなかった。男が発している言語は日本語ではない。英語でも、フランス語でもなかった。まったく耳慣れない響きに祐貴は戸惑う。  よくよく目を凝らしてみると、フードの中に覗く顔立ちや目の色は日本人のそれではなかった。  しかし、男が怒っていることは雰囲気で分かった。祐貴は不法侵入だと思われているのだろう。どうしようかと慌てながら、とりあえず英語で話しかけることにした。 「い、エクスキューズミー。キャンユースピークイングリッシュ?」  発音は悪いが通じるはずだと思ったのだが、男はさらに顔を曇らせた。 『貴様、ザンド帝国の間諜か!』  やはり祐貴に分からない言葉で怒鳴ると、ピィー、と甲高い指笛を鳴らした。  そして黒い衣服の下から何かを取りだした。それは太陽の光をきらりと弾く、大きな白刃で。  テレビでしか見たことがないような大ぶりの洋剣を、男はまっすぐ祐貴に向けて構えた。 「な、なに、うそ、本物…?」  呟いた声が引き攣った。暑くもないのに、たらりと汗がこめかみを伝う。  男が走ってこちらに向かってくる。祐貴の本能が、逃げろと命令を下した。 『待て!貴様!』 「なんでっ、俺、別に、不審者じゃない!違います!」  叫んだけれど、男にはやはり通じないようだ。  祐貴は必死に廊下を駆け抜けた。運動は苦手ではないけれど、男の方が体格も良く、このままでは追いつかれてしまう。  やがて、ガチャガチャと金属が鳴る音が響いてきた。息を切らしながら振り返ってみると、人が増えている。鈍色の鎧を着込んだ男が三人、最初に出会った男同様黒い衣服を被った男が三人。皆一様に祐貴を睨み据え、剣を携えていた。 『あいつを捕えろ!間諜だ!殺してもかまわん!』 『前庭へ抜ける、回り込め!』  怒鳴り声が響く。  祐貴はただただ恐怖に突き動かされ、夢中で走った。気がつけば外へと出ていた祐貴は、出てきた建物から離れるように走る。  黒服の一人が丸い瓶のようなものを懐から取りだした。 『行け、リィダ!喰い殺せ!』  男の声とともに、小さな瓶の中から大きな獣が飛び出し、祐貴に飛びかかった。祐貴は地面に突っ伏し、慌てて起き上がろうとしたが眼前に迫った獣を見て動けなくなった。 「ひっ…!」  こんな動物は見たことがなかった。大型犬のような獣は、それより三倍くらいの巨体、鋭い牙に鋭い爪をもち、さらには頭に二本、がっしりとした角が生えている。  ぐるる、と唸る口が、大きく開かれる。生臭い息が顔にかかる。喰われる。 「いっ、いやだ…!やめ…っ」  小さく叫び、祐貴はぎゅっと目を閉じた。  しかし、いつまでたっても衝撃はない。恐る恐る目をあけると、変わらずそこに獣はあったが、開いた口はそのままで動かない。獣の鋭い目が、戸惑いに揺れているのが分かった。 『リィダ!何をしている、殺せ!』  男の叫び声に、茫然としていた祐貴は我に返った。鎧も黒服もすぐそこまで迫っている。  よくわからないが獣は動かない。祐貴は立ち上がり、再び走りだした。  しかし少しも経たぬうちに、目の前に壁が広がった。それは祐貴の身長の十倍以上はある。とてもじゃないが登れそうもなかった。  仕方なく左をみると、新手なのか、剣を構えた鎧が迫ってきている。では右しかないとそちらに駆け出そうとしたが、そちらからも新手であろう、黒い服が数人、やはり見たこともない獣とともに来ている。先ほどの獣とは違い、鳥やトカゲに似たものがいる。  もう、逃げようがなかった。絶望に目の前が暗くなる。  そのとき。 『おぉーい』  上から声が降ってきた。いや、声だけではなかった。  とん、と祐貴の真横に人が降ってきたのだ。 「っ!?」  祐貴は驚きで声も上げられなかった。ひょろっと背の高いその男は、目を丸くしている祐貴をひょいと脇に抱えると、上を向いて声を上げた。 『ケント、いいぞー!引っ張れ!』  その声と同時に、祐貴の体は宙に浮いた。いや、正しくは祐貴を抱える男の体が浮いたのだ。よく見ると男の体はロープで吊られている。そのままするすると体は登り、壁の頂上までやってきた。下にはあの鎧と黒服がざわめいている。そして、祐貴は自分のいた場所の全貌を見た。  それは、紛れもなく城だった。シンデレラに登場するようなお城。そして今いる場所は、数メートルの幅しかない。城壁と呼ばれるものだろう。 『曲者―!』  努声が横から響いた。城壁の上にいた鎧が、祐貴たちに向け矢を構えている。 『やっべ、いくぜマルト!』 『はいよー!』  祐貴を抱えた男は二人組だったようだ。顎鬚を生やした恰幅のいい男が声を上げ城壁から城とは反対側に飛び降りる。そしてもう一人も祐貴を抱えたまま、後に続いた。 「っうわぁぁぁぁぁっ!?」  いきなりのことに抵抗する間もなく、体が宙に投げ出される。重力のまま落下し、眼前に水面が迫る。川だ。  そして、そのまま派手な音を立て、祐貴は水中に沈んでいった。

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