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第一章 -3

『おい、おい、起きろ』  ペチペチと頬に当たる振動に、祐貴は目を開けた。ぼやけた視界に二人の男の顔と木目の天井が映る。やがてそれははっきりと形になり、祐貴は慌てて体を起こした。と、同時に噎せ返った。ごほごほと咳をすると、僅かに水が出てくる。 『よし、生きてた生きてた。顔に傷もねぇみてぇだな』  ひょろ長い男がにやりと笑いながら、祐貴の髪をかきあげて顔を覗き込んでくる。  祐貴も男たちを観察した。二人とも、祐貴よりずっと年上のようだ。たぶん、三十路近くだろう。目鼻立ちは堀が深く、やはり日本人とは程遠い。二人ともよく鍛えた体に、日に焼けた肌をしており、ゆったりとしたサルエルパンツに短いチュニックを着ている。よくよく見ると、顔や腕に小さな傷痕がたくさんあった。ガテンの仕事をしている人みたいに思える。  唯一男たちと祐貴の共通点といえば、三人ともずぶ濡れということだった。 『そっれにしても、珍しい色してんな、お前。どこの出だ?』  太った顎鬚の方が何事かを言ってきた。しかし、祐貴はやはり言葉が分からない。ただ、この二人が祐貴を救ってくれたということだけは事実だ。今いる場所はどこなのか分からないが、先ほどのように剣を持った男に追いかけられる心配はなさそうだ。  祐貴はにこりと笑って、通じないと分かっていても礼を述べた。 「あの、ありがとうございました。助かりました」  そう言った途端、男たちの目が丸くなった。 『おいおい、なんだよ、こいつ言葉通じねぇのか。まいったな』 『いや、通じない方が都合いいんじゃねぇか?』 『……それもそうか』  祐貴は、ただ二人のやり取りを見守っていた。何と言っているかは分からないが、なんと親切な人たちだろう。本当に良かったと、心から安堵していた。 『よし、じゃ、なんの問題もねぇな』  パン、とひょろ長い男が手を打ち鳴らした。かと思うと、顎鬚の男が祐貴の前にしゃがみこみ、祐貴のTシャツに手を掛けた。 「え?ちょっと…!」  そしてそのまま、着ていた服をはぎ取っていく。いきなりのことに驚いた祐貴は、抵抗しようと暴れたが、それはまったく意味をなさなかった。男の力はかなり強く、まったく歯が立たない。 「やだっ!なんだよ、やめろっ!」  ひょろ長い男も、祐貴の腕をつかむ。二人掛かりで来られると、もはや暴れることも叶わなかった。 『お、この腕輪はすげぇな!これは…鉄か?かなり高値で売れるぞ!』 「いっ、痛い!痛いっ!」  ぐいと腕時計を引っ張られ、痛みに顔をしかめる。取り方が分からないらしい。ひょろ長い男は何度か引っ張った後、諦めた。 『ちっ、取れねぇな』 『いいよ、その分も代金に乗っければいいさ』 『おう、そうだな』 「やめろよ!やめろったら!」  助けてくれた、親切な人だと思ったのに、この仕打ちは何だろう。祐貴は混乱しながらただ声を張り上げるしかできない。先ほどまでやさしそうに見えていた二人の顔が、一気に凶悪犯のように思えてきた。  そのうちに、Tシャツもアンダーシャツも、果てはジーンズもパンツも引きぬかれ、脱がされてしまった。肌に直接空気が触れる。寒気と恐怖に祐貴は震えた。  しかし男たちは、そんな祐貴の怯えを余所に楽しそうに言葉を交わす。 『この服も靴も珍しいな。この生地はなんだ?ずいぶん丈夫だ、高く売れるぜ』 「や、やめろよっ!見るな!触るなっ!」 『おいおいマルト、見ろよこの柔肌。傷一つねぇ。こんなの女でもめったにいねぇぜ。すげぇな』 『ああ、この生っ白い綺麗な手!なんの仕事もしたことねぇな絶対。どっかの騎士の色小姓とかじゃねぇか?』 「やっ…」  男は祐貴の両膝を掴み、固く閉じていたそこを呆気なく開いた。脚を開き急所を晒された祐貴はぎゅっと目を閉じた。 「ひっ…ぅ…っ」 『だろうな。この息子さんはぜんぜん使われてないみたいだぜ。ははっ綺麗な色してら』 『つーか、ケツも使われてないんじゃねぇの?こっちも綺麗なもんだ』 『なんだろなぁ?お稚児さんがなんで城の兵隊に追いかけられてたんだか』 『さぁ?まあ何にせよこいつは罪人なんだろうよ』  下卑た目で全身を舐めまわすように見られ、あまりの恐怖に祐貴はもはや声も出せなかった。ただ、唇を噛んで耐えるしかない。 『おいやめろ、傷がつくじゃねーか』  顎鬚の男が、何事か言いながら祐貴の口に指を突っ込んできた。 「…っ…うぁっ」  そのままぐるりと中を撫で上げながら口を開き、祐貴の口内をじろじろと眺める。 「ぅ、う……っ」 『おお、歯もかなり綺麗だ。こりゃ本物だ。どっかの王子様のようだぜ』  祐貴にはその指を噛み切る気力もわかなかった。  親切な人などではなかった。目が覚めた時、すぐに逃げるべきだったのだ。 『こいつは相当、高値で売れるぜ。男だが、不細工じゃねぇし、何より若くて育ちが最上だ。体の具合も良さそうだ。かなりの上玉だな』  結局、男たちはさんざん祐貴の体をチェックした後、麻のような布で簡単に祐貴を拭きあげてから、入院服のような簡素なワンピースを着せた。そして仕上げとばかりに祐貴の腕と脚を縄で縛り上げると、祐貴を一人残して部屋を出て行ってしまった。  祐貴はしばらく硬い床の上に転がったまま、放心していた。自分の身に降りかかっていることが理解できず、これから一体どうなってしまうのかも想像がつかなかった。  縛られた手で乱暴に顔を拭うと、左腕につけた時計がひやりと頬を撫でた。その冷たさに、ふと祐貴は意識を戻した。 「取られなくて、良かった…」  そして文字盤をみると、時計の針は全て止まっていた。時刻は十時二十三分。防水性ではなかったので、川なのか堀なのかは分からないが、水の中に落ちた時に壊れてしまったのだろう。それでも、手元に残ってくれたことが心から嬉しかった。  祐貴はスンと鼻をすすりあげると、体を起こした。じっとしているだけじゃ始まらない。とりあえず、状況を整理しようと決めた。  まず、ここはどこなのか。それに対して、異世界、という言葉が頭に浮かんだ。  ただ人種が違って、言葉が通じないだけなら海外だと思う。しかしあの城の中で見たこの世のものと思えない獣たちが、祐貴の中に非現実的な答えを導かせた。  そして、そう仮定するとして、自分はその異世界に来てしまい、二人の男に捕まってしまった。あの男たちが祐貴をどうするつもりなのかはわからないが、囚われたままでは身が危険だということは分かる。  とにかく、今一番にしなければならないことは、ここから逃げることだ。  祐貴は周りを見渡した。先ほどまでは周りを見る余裕などなかったが、よく見ると部屋の中はいろいろな物であふれていた。額縁に入った絵画や、木彫りの彫刻、大きな樽もありビロードの布が被せられた箱もある。所狭しと置かれたものに統一性はあまりなかった。  ここは倉庫なのかもしれない。部屋は随分と広いが出入り口は先ほど男たちが出て行った扉が一つと、木枠の小さな窓が一つだけ。そこから光が入ってきていた。  祐貴はよろけながらも何とか立ち上がり、窓の外を覗いた。太陽はまだ高い位置にあった。正午くらいだろうか。ここは高い位置にある部屋のようだ。眼下には人波が見えた。  日本とは全く違う、町並み。並ぶ建物はどれも低く、高くても三階くらいまでしかない。遠くに石造りの背の高い立派な建物も見えたが、それひとつくらいだ。  その建物の前に屋台のような店が陣取っている。そこを行きかう人々は、やはり顔立ちも服装も西洋的――しかも昔の――で、祐貴のような黒髪の人もいることはいるが、少なかった。  祐貴は窓を叩いてみたが、そこは填め殺しになっていて開かない。たとえ開いたとしても、祐貴が通れるほど大きくもないが。  一息ついて、祐貴はドアの方に向かった。脚が縛られているため、何度も転びそうになりながらも飛び跳ねて向かう。  ドアノブに手を掛けるが、そこは開かなかった。しっかりと鍵が掛けられているようだ。何度か体当たりをしてみたが、扉はびくともしない。  あまり派手にやりすぎてあの男たちが戻ってきても困る。祐貴は早々に諦め、今度は室内を物色し始めた。縄が切れるものはないかと、とりあえず目の前に会った木箱を開く。 「え、すごい…これ、本物…?」  その中にあったのは、色とりどりの宝石だった。赤、緑、黄色、それぞれ存在を主張するかのように輝きを放つものが詰め込まれていた。ネックレスの形状もあったし、指輪もある。原石のような大きなものまであった。  でも、とてもあの二人は金持ちには見えなかったし、商人とも思えない。男たちは、もしかして強盗の類なのではないだろうか。そう考えると身ぐるみを剥がれたのも納得がいった。腕時計に執着していたことも。 「……じゃあ、あまりものの俺は、殺されるんじゃ…」  腕を切り落とされて、時計を奪うかもしれない。ありえなくない自分の予想に、祐貴は身を震わせた。  そのとき、扉の向こうからぎぃ、と板を踏みつけるような音が響いてきた。 「!――っあ!」  あの二人が戻ってきたのだと思った。祐貴はとっさに身を隠そうとしたが、脚がほつれ、その場に倒れこんでしまった。  そのうちにガチャリと鍵が外される、扉が開く。  しかし、見上げた先にいたのはあの男たちではなかった。一人の男が、扉の前に立って祐貴を見下ろしていた。  服装こそ先ほどの二人と似ていたが、男は若かった。たぶん祐貴と同じくらいの年ごろだろう。身長も、祐貴よりは高そうだが十センチも開いてはいないだろう。ただ、体格は断然男の方がいい。その切れ長の目は深い緑色で、たった今見た宝石のようだった。  その緑眼に鋭く睨みつけられ、祐貴は動けなかった。その眼光はまるで野生動物を彷彿させるような荒々しさを含み、それが野性味あふれるその男全体のイメージとも重なる。まるで、豹のようだ。  男はじろりと祐貴をねめつけると、舌打ちをした。 『ちっ、ケントたちか…ナマモノはやめろって言ったのに…』  怒気を含んだ声に、祐貴の肩が揺れた。 『ったく、言うこと聞きゃしねぇ…』  男はぶつぶつと呟くと、もう祐貴の方を見はしなかった。部屋の中に入ってきて両手に持っていた袋を下す。先ほどまで祐貴が覗きこんでいた箱を開けると、袋の中から綺麗な宝石や装飾品を取り出し詰め込んでいく。  祐貴の存在はすっぱりと締め出されているようだった。まるで、祐貴がこの部屋にある物の一部であるかのように。  男はあの二人の仲間なのだろうが、祐貴は危害を加えられなかった安堵と、無視される悔しさで複雑に顔を歪めながら、なるだけ音をたてないように体を起こした。  そして気付く。今、扉は開いている。手も脚も縛られた状態だが、逃げるなら今しかない。 「っ…!」  男は祐貴に背を向け、いそいそと箱の中をあさっている。祐貴はそれを脇目に、肘と膝を摺りながら少しずつ少しずつ扉に向かっていった。  そして、開いた扉に手がかかったときだった。同時に、祐貴の頭にずんと圧力がかかった。 「っ!!」  声にならない悲鳴を上げ、上を見ると、あの若い男がにやにやと笑いながら祐貴の頭を手で押さえていた。  男は何も言わないまま祐貴を再び部屋の中へと押し込むと、出て行ってしまった。  ガチャリ、と鍵の落ちる音が無情に響く。 「………」  しかし、男はまたすぐ戻ってきた。今度は両手に木製の椀を持っており、茫然と座り込んだままの祐貴の前に腰をおろし、お椀をそこに置いた。  片方はたぶん水、もう片方は具のないクリームシチューのように見えた。やはり木製のスプーンが添えられている。  それを見た瞬間、祐貴は半日近く何も口にしていなかったことに気付いた。空腹感が一気に押し寄せてくる。 『食え』  男が何と言ったのか分からないが、食べてもいいのだろうか。祐貴が恐る恐る男の顔を窺うと、男は顎をしゃくった。  この男はあいつらの仲間ではないのだろうか。なぜ祐貴に食事を与えてくれるのだろう。  そのとき、祐貴のお腹がけたたましく音を立てた。 『すげぇ音』  男が心底可笑しそうに笑う。その顔はいやに幼く見えた。  そして、男は祐貴の手の縄を解いてくれた。自由になった手に、じんわりと血が巡っていく。祐貴はゆっくりと目の前のお椀に手を伸ばした。  男は何も言わず、祐貴を縛っていたロープで手遊んでいる。  まずは一気に水を飲み干した後、とろりとした暖かいスープを口に含んだとたん、止まらなくなった。がつがつと口の中にかきこんでいくと、だんだん呼吸が苦しくなってきた。  暖かくて、おいしい。  ひっくひっくとしゃくりあげ、その間隔がだんだんと短くなっていき、瞳から熱い雫が湧きあがってきて、ついに祐貴は大声を上げて泣き始めた。 「っう、く…ぅ、ふぅっう、く…うああああああっ」  男が驚いた顔でこちらを見ていたが、それを気にする余裕はなかった。 「も、やだ…っかえ、ぅっ、帰…っもう帰りたいぃ…っ」  祐貴は散々喚き散らした。ひたすら自分の不遇を呪った。男は驚いたのは最初だけ、神妙な面持ちでじっと祐貴の顔を眺めていた。  全て吐き出してやっと涙が収まってきたとき、ずっと黙っていた男が口を開いた。 『お前、エマヌエーレの人間じゃないのか?道理で珍しい色をしてると思った』  手を伸ばし、祐貴の顎をとらえた。かさついた指は暖かく、祐貴はぐったりとしてただ男を見ていた。ぐっと男が近づいて、緑の瞳が、爛々と輝きながら祐貴の瞳を覗きこんでくる。 『へぇ、まるで黒真珠だな。濡れていると余計に…』 「なに…」  さらに男が距離を詰めたと思うと、その唇が眦に押し当てられた。 「!?」  祐貴は反射的に手で押しのけようとしたが、それより早く男が身を戻した。 『いくら泣き喚こうが、お前はもうウチの品だ。諦めろ』 「なに、なんだよっ!なんて言ってるか分からないんだよっ!」  怒鳴りながら、目元を両手で擦る。男はその様子に目を眇めながら、立ち上がった。 『大人しくしてろ』  耳慣れぬ男の言葉とともに、祐貴は首に軽い衝撃を受けた。  そして祐貴の意識は黒く塗りつぶされていった。

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