4 / 55
第一章 -4
肌寒さに、祐貴は目を覚ました。うっすらと瞳を開くとそこは暗い。
腕を動かそうとして、動かせないことに現実を思い出した。しっかりと意識を覚醒させると、体のあちこちが痛んだ。
そこはやはりあの部屋で、祐貴は随分長い時間気を失っていたようだ。日はすでに沈んでしまっていて、窓からはほんのりとした月明かりが漏れているだけだった。
あのあとどうなったのかは分からないが、祐貴の両手は今度は後ろ手で縛られていた。結局、あの若い男も殺す気はなくともあいつら二人の仲間なのだ。
祐貴はゆっくりと息を吐き、ぎゅっと体を丸めた。起き上がる気力もなく、ぼんやりとドアを眺める。あそこが開けばいいのに、そう思いながら。
すると、本当に扉が開いた。
「え!?」
祐貴は目を丸くしたが、次の瞬間には顔を歪めた。
勝手に扉が開くわけがないのだ。外からランプを持った男が二人、中へ入ってきた。あのひょろ長い男と恰幅のいい顎髭だ。
ひょろ長は木の椀を掲げ、祐貴を見るとにんまりと笑った。
『よーう、良い子にしてたか?飯だぜ』
祐貴は唇を噛みしめて二人から顔を逸らした。その途端、顎鬚の方がしゃがみこんでまた祐貴の口に指を突っ込んだ。
「うぅっ!うーっ!」
『だーから、噛むなって。傷がつくだろうが。猿轡もしとくべきか』
呆れたように何事か呟く。そして祐貴の背中に目を向けると首をかしげた。
『あれ、ロープ後ろで縛ったっけ?』
『いや。ああ、ヴェダがやったのかもな』
『ああ、そうか』
祐貴は、今度こそはと、口に含まされた男の指に思い切り歯を立てた。暴力的なことなどしたことはないが、噛み切ってやると意気込んで。
『っ、こいつ、噛みやがった』
噛みつかれた男は声を上げたが、大したダメージも与えられなかったようだ。血すら滲ませずに、顎鬚の男は仕返しとばかり、祐貴の喉奥に指を突っ込んだ。
「うっ、ぅっげふっ、ごほっ…」
祐貴は噎せて咳を繰り返した。苦しさに目が潤む。結局何もできなかった自分が悔しくて、相手を睨みつけた。だが顎鬚はひるむことなどまったくなく、意外そうな顔を祐貴に向けている。
『おい、ケント。遊んでねぇで、さっさとそいつに飯食わせろよ』
ひょろ長の男が持っていたお椀とランプを手近な箱の上に載せ、顎鬚の男に呼び掛けた。
しかし顎鬚の男は振り返ることもなく、じっと祐貴を見ている。薄茶色の二つの目が、じっと祐貴を見詰めている。その視線に含まれる感情が全く読めなくて、祐貴はたじろぐ。
『いや、飯の前に運動だな』
顎鬚の男が呟いた。
『見ろよ、マルト。昼間は気付かなかったけど、こいつの目…すげぇそそられる』
『おいおい、商品だぜ、そいつは』
『ちょっとだけ、味見だ。お前は?』
『いらねぇ。お前は穴さえあれば犬だっていいんだろうが、俺は女じゃないと勃たねぇんだよ』
男たちは淡々と会話を交わす。内容を聞き取れない祐貴はただ、じっと身を固くしているしかなかった。
『なら俺だけで愉しむさ』
顎鬚の男が、ペロリと唇を舐めた。その仕草にぞっと悪寒が走り、祐貴は後退さった。ずりずりと、尻を摺らせて男から離れようと身を捩る。何をされるかわからないが、目の前の男の雰囲気はとにかく厭な感じしかしなかった。
「よ、寄るな!来るなっ!」
男が手を伸ばしてくる。避けようとした祐貴だが、縛られた状態で逃げられるわけもなくあっさりと捕まった。
祐貴の首筋に、男が顔を寄せる。ざりっとした鬚の感触のあと、そこをぬるっとしたものが這っていく。
「なっ…ひっ…」
生温い滑った感触は、男の舌だった。それは首筋を這いあがり、耳朶にまで到達した。ぴちゃ、と濡れた音が直接響き、全身が一瞬にして総毛立った。
「やめっ!」
この男は、自分に欲情している。まさか男に性の対象にされるなど思ってもみなかった祐貴は、必死に男の腹を脚で押した。
「ひぃっ…やだっ、いやだっ!触るなっ!」
『すげぇ…なめらか肌だな。最高だぜ。暴れるところが玉に瑕だけど』
男は全く離れない。それどころかにやにやと笑っている。その後ろで箱に腰かけたひょろ長い男が呆れたような声を投げかけてきた。
『おい、傷つけんなよ』
『分かってるさ。でもなぁ、ちょっと活きがよすぎるんだよなぁ。お前押さえててくれよ』
『ちっ…貸しだからな』
ひょろ長い男も立ち上がり、祐貴の方へと近づいてくる。そして顎鬚の男とは反対側に回り込むと、祐貴の両肩を床に押さえつけた。
「や、やめろ!いやっやだっ!変態っ!放…んぐぅっ!」
『はーい、ちょっとうるさすぎるぜ』
ため息をこぼすひょろ長の方に、口の中に布を押し込まれ、祐貴は唸り声しか上げられなくなった。二人掛かりで来られたら抵抗の仕様がない。それを昼間の一件で解っていた祐貴は、絶望に涙を零した。あの時は服をはぎ取られ、体を見られただけだった。だけど今はそれじゃ済まない。
「うぅー!ん――ッ!」
『見ろよ、この目…もっと泣かせたくなる』
『…確かに、すごい黒だな。こんな瞳見たことねぇぞ…吸い込まれそうだ』
脚の縄が外され、間に顎鬚の体が割り込んでくる。下着もつけていないそこは簡単に男の手の侵入を許してしまった。
少し汗ばんだ硬い皮膚が内股を撫で上げ、祐貴の性器に触れた。骨ばった指が柔らかなそこを揉みしだき、さらに下にさがって尻の窄まりをつついた。
「んぅっ!んんーっ!んぅー!」
畏怖と嫌悪感に体が震える。祐貴は頭を振り、身を捩る。自分でも見たことない場所に触れる指は、明らかにそこへの侵入を望んでいる。
「んんぅっ!」
ぐっと力を込められ、指先が僅かに中へと圧し進む。引き攣った痛みに祐貴の目から涙が零れる。ほろほろと零れる涙をひょろ長い男が掬いあげた。しかし助けてくれるわけでもなく、祐貴を見る瞳は好色そうに煌めいている。
『あー…なんだか俺もやりたくなってきたかも』
『だろ?』
それ以上進むのは無理と解ったのか、顎鬚の男は祐貴の中から指を引き抜いた。ちりっとした痛みに体が跳ねる。
「っ!」
『おいマルト、オイルとかもってねぇか』
『オイルぅ?持ってねぇよ』
『潤滑剤がねぇと、とてもじゃないが挿れられねぇよ』
『なら食堂から取ってくるか?』
男たちは祐貴を置き去りにして話し合う。
『めんどくせぇなぁ。萎えちまうぜ』
『確かにな』
『なら俺が取ってきてやろうか?』
祐貴も男たちも、はっと目を開いた。突如割って入った声は、その場にいる男たちのものではない。
入口の扉が大きく開いていて、ドアに体を凭れかけたままこちらを見ている人物がいた。
『ヴェ…ヴェダ!』
恰幅のいい顎鬚が、焦ったように体を翻してその男から祐貴を隠すように両手を広げた。ひょろ長い方も苦虫を噛み潰したような顔で、頭に手を当てている。
それは、あの若い豹のような男だった。男は一歩部屋に入ると、中にいる男二人にゆっくりと順番に目を向け、口を開いた。
『商品に手をつけるのは、掟に反するってわかってんだよなぁ?ねこばばはご法度って、まさか知らないとは言わねぇよな?あ?』
若い男の声には威厳が漂っていて、年はどう見ても二人の方が上なのに、男たちはおどおどとした態度で顔を見合わせる。
『ちょぉーっとだけだって。まだどこも触ってないしな、なぁ?』
『そうそう、見てただけ見てただけ。商品管理だって』
若い男はじっと男たちを見つめる。数秒の沈黙の後、若い男は顎をしゃくった。
『ふん。もう戻れ。明日の打ち合わせをするぞ』
男の言葉と同時に二人は立ち上がり、逃げるように部屋から出て行った。しかし、若い男は出て行かず、そのままじっと祐貴を見ていた。
「……」
とりあえず助かったようだが、この男も所詮あいつらの仲間なのだ。むしろランプに照らされた緑色の瞳は、先ほどの男たちよりも怖い。
男が動いた。反射的に祐貴は体を揺らす。すると男は箱の上に置いてあった椀を目にとめ、それを持って祐貴の目の前にしゃがみこんだ。祐貴の口に詰められた布を掴むと、それを引き抜く。
「っはっ…はぁ…」
祐貴は大きく息を吸い込む。顎に垂れた涎が気持ち悪かった。
男は祐貴の呼吸が落ち着くのを待って、すっと椀を差し出した。中には、昼間食べたスープが入っている。
これを食えということなのだろうが、祐貴にはいろいろなショックで食欲など全くなかった。なにも口にしたくなくて、ふるふると首を横に振って拒絶を示すと、男はあっさりと引きさがった。
もう一人にしてほしかった。祐貴はただ早く出て行ってくれと願った。だが男は、何やら箱がたくさん積んであるところでごそごそと何かをあさりだした。
ややあって、男は大きめのたらいと毛布を持って、再び祐貴の目の前へときた。
「なん、だよ…っ出てけよ!出てけっ!もうっ…俺に構うなよぉっ!」
祐貴は床に横たわったまま、怒鳴った。最後は嗚咽に掠れうまく発音できなかったが、どの道この男には通じないのだ。
「…俺が、何したって言うんだよぉ…!」
案の定、男は何も意に介さない様子で手に持った毛布を祐貴に向かって投げた。そして、たらいも祐貴の隣に置いた。
『これに包まって寝ろ。あと、粗相はするなよ。これに……って、通じねぇんだったな。あーめんどくせぇ』
たらいをだんだんと叩きながら男が舌を打つ。その仕草にいちいち萎縮してしまい、祐貴は男の顔が見えないよう投げられた毛布に顔を隠した。安っぽい布は肌に当たるとちくちくと痛く、涙をどんどんと吸い込んでいった。
『おい』
「うっ!?」
急に毛布がはぎ取られた。かと思うと、体をぐいと抱え起こされる。そのまま横抱きにされた体が宙に浮く。
「なんっ…!」
『暴れんなよ』
男はたらいの前にしゃがみこむと、すぐに祐貴を抱えなおした。背後から両腿に手をまわされ、脚を大きく開かされる。その姿はまるで幼児が用を足すときのようだ。屈辱的なポーズに思考が一瞬白く染まる。
「何すんだよっ!はな、放せっ!」
縛られた両手を振って男の腹に当てても、相手はびくともしなかった。
「なっ…」
服の裾を捲り上げられ、何もつけていない下肢が露わになる。次いで男は片手で器用に祐貴を抱えたまま、もう一方で祐貴の腹を軽く押した。
こいつもあいつらと同じ趣味なのだ。祐貴はすぐにそう思った。
「嫌だ…!」
男の手が腹から下って性器に軽く触れた。先ほどの記憶が俄に蘇り、祐貴の体が跳ねた。
しかし男はそれ以上は触れずに、その手でまっすぐに盥を指差す。
『この中にしろよ。部屋を汚すな。わかったか?』
「何っ…な、に…」
それから男はあっさりと祐貴の体を床に降ろし、後ろ手に縛られた腕を前で縛りなおした。僅かだが、肩の負担が減ったが状況はあまり変わらない。再び毛布を上から乱暴に掛けられる。
祐貴はわけがわからずただ目を瞬いて男を見遣った。しかし、やはり男の表情からその意図は全く読み取れず、困惑するばかりだった。
『明日、その縄を解いてやる』
語りかけるようにそう言って、男は祐貴の傍らに水の入った椀を置き部屋を出て行ってしまった。あまりにもあっさりとしていた。
明りもなくなって、また部屋に暗闇と沈黙が落ちる。
「……もう、やだ…意味、わかんね…」
冷たい床に体温を奪われないようできるだけ毛布に包まって、祐貴はそっと目を閉じた。
これは全て夢かもしれない。本当はもう家に帰っていて、自分は酔っ払って寝てしまっているのかもしれない。妹が送ってくれた九州の酒は強いから、と、実家の両親と妹が思い出された。
まだ涙は枯れずにじわりと滲んできた。家族に会いたい。帰りたい。
そう願ううちに、どんどん夜は更けていった。
ともだちにシェアしよう!