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第一章 -5

◆◆◆  その森は深く、多くの獣が行き交う。か弱いリスもいれば、獰猛な熊もいる。とくに今はもうすぐ訪れる冬に向け、食料を蓄えようとする獣は気性が荒くなっていて危険極まりない。  また、そこには野生の獣だけでなく、はぐれ召喚獣もたくさんいた。  用もなく入り込む人はまずいない。エマヌエーレ王国から隣国ザンド帝国へ向かうためには必ず通らなければならない森だが、商人たちは必ず隊列を組み、遠回りしてでもできるだけ端を通るのだ。  そんな物騒な森であるにも関わらず、その奥ほどにごくごく小さな村がある。村は特殊な樹液によって獣から守られていた。また、その村には仲間うちしかたどり着けない場所にあるため、探そうと思っても簡単に探せない。  しかし、村と言っても住んでいる者は全員が男、お尋ね者ばかりの集団だった。村というより、アジトと言った方がしっくりとくるかもしれない。  町から戻ってきたヴェダは、そのアジトにある一番大きな建物の扉を勢いよく開いた。 「全員集まってるか」  緑色の鋭い光であたりを見渡す。そこにはすでに全員――二十人ほどの男どもが待ちかまえていた。若い者から壮年の者まで様々だが、この全てがヴェダの部下だ。ヴェダはまだ十六という若さで、頭の地位に昇りつめていた。  ランプで照らされた室内は二十人でぎりぎりの広さで、みな直接地面に腰を下ろし酒を飲んだり飯を食ったり、所狭しと自由に騒ぎまわっている。お世辞にも品がいいとは言えなかった。  そんな騒がしかった場がいったん鎮まって、全員の目がヴェダへと集まる。そして次の瞬間また一気に騒がしくなった。 「おうよ、ヴェダ!遅ぇよ!みんないるぜ、とっとと始めよう!」 「頭ぁ!今回は過去最高の収入になるかもしれねぇぜ!へへっ」 「俺は一商隊の品丸々獲ったからな、結構な稼ぎだ」  ヴェダは口角を上げて、浮かれ気分の男どもを割って進んだ。一番上座まで行くと、布を重ねて作った簡易な椅子にどさりと腰を下ろす。  すぐさま古参のファイエットが酒瓶を投げてよこした。それを掴んだヴェダは床に打ちつけて栓を開けると、湧き上がっているいる男たちに向けて掲げてみせた。 「おし、じゃあ明日の競売の打ち合わせを始める」  おおっ、と、さらに場の熱気が上がったが、酒を一口飲んだヴェダはくっと笑って声を張った。 「…が、その前に!」  二名を覗いた全員の目が丸くなる。なんだなんだと不満そうな声が所々で上がる。ヴェダはそんな連中を見回し、隅の方で小さくなっている――実際体は人一倍でかいので小さくなれてはいないのだが――二人に向かって声をかけた。 「おい。ケント、マルト。こっち来いよ」  声をかけられた二人、恰幅の良いケントと長身のマルトはぎくりと体を強張らせた後、周りの男どもに突かれながらしぶしぶヴェダの前にやってきた。 「だからヴェダ、手は出してねぇって!」 「そうそう、あんときも言ったけど、品質を確かめていただけで…」  ヴェダが口を開くより先に弁解を始めた二人の言葉に、周りがいち早く事情を察し、反応した。 「おいっ!てめぇらネコババしようとしたのかよ!」 「ふざけんなよこのヒゲ!ウド!」 「だから違うって言ってるだろうが!」 「誰だ今ウドっつったやつ!てめぇかエラー!このクソガキ!」  そのまま喧嘩でも始まってしまいそうな勢いの中、ヴェダは冷静にパンパンと手を打ち鳴らした。 「違ぇよ、別に咎めようってわけじゃない。落ち着けよ」 「なら、なんだよ」  座れというヴェダの手に従って、ケントがドスンと腰を下ろす。血気逸った者たちも次々と腰を下ろした。 「お前ら、アレ、どこで盗ってきたんだ?この国の人間じゃないだろ」  アレとは、黒髪黒目の若い男。今日、ケントとマルトがこの集団の王都内にある宝物庫へ、転売品の一つと連れ込んだ人間だ。  ケントとマルトは顔を見合わせ、間もなくマルトの方が口を開いた。 「城だよ」 「城だぁ?」 「今日、城へちょっとだけ下調べに行ってたんだ。そしたら城内で騒ぎが起こってて、おかげで城門まで登れてな。覗いてみりゃアイツがいたんだよ。兵士と魔導士どもに追いかけまわされてたから、ちょっと失敬して」 「お前ら、まさか人間攫ってきたのか?」  それまでじっと見守っていたファイエットが口を挟んできた。ケントはそちらに目を向け、頷いて見せた。 「おおよ。兵と術師に追いかけまわされてたくらいだ。結構な罪人だろ。身元もわかんねぇし、売り払ったって何のしこりもねぇ」 「馬鹿どもめ!本当に重罪人なら余計に面倒だろうが!」  ファイエットが声を荒げる。ここの面々は圧倒的に馬鹿が多いのだが、ファイエットは別だった。三十を半ばも過ぎた彼は博学で頭の回転も速く、他の者たちとは一線を画している。  そんなファイエットからの叱責に、ファイエットが言っていることがよく理解もできていなかったが、ケントもマルトもさっと顔を曇らせた。 「ま、まずいことしちまったのか!?」 「ど、どうすりゃいい!?」 「どうすりゃいいもなにも…」  重罪人を連れ去ったというのなら、逃走幇助でかなりの罪になる。それを思いファイエットは深くため息を吐き、傷の入ったスキンヘッドを抱える。  だが、ヴェダは全く気にした様子もなく、ダン、と床を叩いた。 「うるせぇよ、がたがたぬかすな。どうせ俺たちはお尋ね者の集団だろ。罪が一個や二個増えようと増えまいと捕まりゃ極刑だ、変わりゃしねぇよ」 「あ、そりゃあそうだ」 「あ、そうか。あっはは!」  それまで慌てていたのが嘘のように、ケントたちは朗らかに笑う。それを見てヴェダはにかっと笑った。口角を上げ白い歯を覗かせたその顔は、肉食獣のようでなかなかに凶暴だ。  ファイエットだけがさらに眉間のしわを増やしていた。どのみち極刑に値する犯罪者だとしても、重罪人の逃走幇助をしたとあっては警邏隊や師団の捜索の度合いが上がるというのに。ヴェダがそれを理解しているはずなのに言わないということは、ファイエットにも口にするなということだ。  ヴェダはしかめっ面のファイエットに一つ視線を遣ってから、再びケントとマルトに目を向けた。 「アレはもう俺たちの宝物庫にある。つまり、俺たちの商品だ」  ヴェダの言葉に、二人はさらに笑顔になった。興奮した様子で立ち上がり、大きく手を広げる。 「おお、そうだな!ありゃ相当高値で売れるぞ。最高の逸材だ!」 「俺はあれ、十万セルは下らないと思うぜ!明日の目玉だ!」 「十万セル!?ありえねぇよ、そんだけありゃ上玉十人は買えるじゃねぇか」 「まじかよ、俺らが盗ってきたリードバックの絵より上だと?」  周りの男たちも、どんどんと色めき立ってくる。ヴェダはそんな声の渦の中に、一際大きい声で割って入った。 「アレが欲しい」  その途端、喧騒が一気に止んだ。皆目を丸くして、ヴェダを見ている。視線を一身に浴びながらも、ヴェダは顔色を変えずもう一度言った。 「俺は、アレが欲しい」  静寂に響いたその言葉に、ケントとマルトが慌てて口を開く。 「お…おいおい、ヴェダ、なんの冗談だ!?」 「いくら頭でもネコババはダメだ!掟だろうが!」 「そんな横暴、許されんぞ」  ファイエットも、先ほど以上に渋い顔だ。  予想通りの反応に、ヴェダは芝居がかった風に両手を挙げて見せた。 「誰ももらうとは言ってないだろ。欲しいと言っただけだ。頭自ら掟を破るなんて自殺行為、するかよ」 「な、なら…」 「だから言っておこうと思ってな」  ヴェダは残っていた酒を一気に呷り、空いた瓶を投げ捨てた。ゴトっと鈍い音を立て、空き瓶が転がる。 「明日の競売、俺がアレを落とす」  じっとヴェダを見詰めていた面々は、暫くぽかんと口を開けて呆けていた。やがて、ぷ、とファイエットが噴き出した。途端、伝染したかのように全員が大声で笑いだした。 「ははっ、そりゃあいいっ!」 「頭自ら、ウチの商品を競り落とすってか!?」 「高い値で買ってくれよ、ヴェダ」 「ふっかけてやれよ、マルト」 「おお、今言った通り十万セルからだ!」  男たちはやんややんやと盛り上がる。ケントは一人驚いた顔で、ヴェダに近寄った。 「おいヴェダ、そんなにあいつ気に入ったのか?」 「あの瞳が気に入った。いくらでもふっかけろ。俺のものにする」  不敵に笑うヴェダに、その場はますます盛り上がった。 「珍しいな、お前が欲しがるなんて…初めてじゃないか?」  ファイエットの問いかけに、ヴェダはただ頷いた。  ヴェダはあの異邦人を思い出す。整った綺麗な顔をしていたが、それよりもあの濡れた黒い瞳が印象的だった。濃い焦げ茶は見たことがあるが、あそこまではっきりとした漆黒の瞳の者など見たことはない。少なくとも、エマヌエーレ国内にはいない。あれは、本当に美しかった。全てを吸い込んでしまいそうな黒真珠。物に対する執着心などないが、あの人間だけは心から手に入れたいと思った。  ひとしきり男たちが騒いだ後、ヴェダは一つ、手を打ち鳴らした。 「よし、打ち合わせに入るぞ!表を持ってこい、まずは出品数と価格だ!朝までにすべて決める。昼からは荷運びだ!急げよ!」  おう、と低い声が轟いた。 ◆◆◆

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