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第二章 決意と出会いと別れと-1
静かに荒れた議会は、賛成過半数に加えて王の後押しもあり、結局は今冬から春にかけて橋を修復すると決定して幕を下ろした。
アイザは席を立ち、上席の人々が退室していくのを頭を下げて見送った。アイザはグラッドストンという恵まれた土地を持つ貴族議員だが、まだ父の代から受け継いだばかり、二十三の若輩者だ。
これがなかなか辛い。王と宰相、そして貴族院の議員四十に、魔導院の議員四十。その八割以上がアイザよりも地位が上なのだ。その大半が何故かゆっくりと歩みを進めるため、見送るのは時間がかかる。
数分後、やっとアイザは退室できた。議会のためにしつらわれた大会議室を出ると、広い廊下の角に三つ年嵩の幼馴染であるカインが立っていた。
カインもまた、貴族院に属する議員だ。
「よお、アイザ。お疲れのところ悪いが、ちょっといいか?」
カインはアイザに向かい手を挙げた。アイザは先ほどの議会で本当に疲れていたが、それを吹き飛ばすように笑って見せた。
「なんだ、昼食の誘いか?喜んで」
「それもいいな。だが残念ながらそれは後だ」
半ば本気の願望を口に出したのだが、カインは首を振っていつもたたえているどこか飄々とした笑みを消した。そして一歩アイザに寄ると、その耳元で囁くように告げた。
「陛下がお呼びだ」
アイザは何も言わず、少し周りを見回した。カインが声を潜めたということは、内密に、ということだ。
すでに人は捌けていて、廊下には二、三人しかいない。アイザの立場としても、議会の直後に国王陛下に呼び出されたことを魔導院に知られるのは好ましくない。
「わかった、行こう」
「ああ」
アイザとカインは並んで歩きだした。
エマヌエーレは北のザンド帝国と西のテイ皇国に挟まれ、海に突き出た小国であった。
二十八代目となる現国王、ニコール=イレ=エマヌエーレは、帝国、皇国と協定を結んでいるため、現在国は平和を保っているが、長い歴史の中、エマヌエーレはかの国々から何度も侵攻を受けていた。
しかし、今も数百年前も、エマヌエーレの国領地は変わっていない。それゆえ、エマヌエーレは鉄壁の国とも呼ばれる。
難攻不落、その最たる理由は、他国にはない魔導院の存在――突き詰めて言えば、召喚獣の存在である。
魔導士たちは、異形の獣を召喚し、契約を交わすことでそれを従わせることができる。その召喚獣たちは強いものなら兵士百人以上、弱いものでも十人には匹敵する。
エマヌエーレはいつも召喚獣の力を借りて窮地を脱してきた。
魔導士の資質は血によるものではない。以前、力のある魔導士の一族というものもいたことはあるが、魔導士の子が必ず魔導士たる資質を持ち合わせているわけではないのだ。
ただ、魔導士の資質を持つものは、必ずエマヌエーレ人であった。
過去、召喚の技術を他国に持ち出したものがいた。帝国、皇国といった大国が、この莫大な戦力をほしがらないはずはない。しかし、結局、誰も術を身につける者はいなかったという。そのおかげで、鉄壁の国たり得るのだ。
そういった理由から、エマヌエーレは魔導院、貴族院の二院制となっていた。
貴族は血筋、魔導士は潜在能力。二院は相入れない存在だ。
魔導院には、自国を守っているというプライドがある。さらには、平民出が多く、血筋だけで地位をもらう貴族を嫌う者も多い。
一方貴族院は、実力で国のために戦い土地を賜った先祖を讃え、己の高貴な血を誇っている。中には、召喚獣に戦わせて自身を危険に晒さない魔導士を見下す者もいる。
歴代の王たちは、他国よりも自国内の諍いをより警戒し、気を揉んできた。国内が乱れれば、結果、すぐに他国が介入してきてしまう。
どんな小さな議題でも、ほぼ二院は対立した。どちらを立てても小さな衝突がある。そのため、最終的判断を下す王は、悩みが絶えないのだ。
在位二十年になるニコールもまた、常に頭を抱えていた。
アイザがカインと共に王の執務室へと入ると、そこには宰相、ディズールも共にいた。宰相は初代からの通例により、普通魔導院から選出される。しかし、ディズールは貴族だ。あまりにも優秀なため、特別に貴族院の中から選抜された男なのだ。これに関してだけは、魔導院も異を唱えなかったほどである。
アイザとカインは、まずは先ほどまでの会議をニコールに労われた。農作業が減る冬、農民の救済のための公共事業の提案として、マーシィア川にかかる十二の橋の修復が可決されたのだが、その視察役に、下流はアイザ、上流はカインが命じられたのだ。
そのことで何か伝えたいことがあるのだろうと思っていたアイザだが、橋の話はよろしくとだけ言われて終わった。
「では、本題に移りますが――」
王の脇に立つディズールが、口を開いた。
「これは貴方がた二人を見込んでのお話だと理解してください」
そう前置きをして、ディズールは続けた。
「最近、きな臭い情報がいくつか私のもとへと来ています」
「きな臭いとおっしゃいますと…?」
「魔導院です」
アイザとカインは同時に息をのみ、ニコールの顔を窺った。彼は赤銅の瞳に憂いの色を浮かべ、ただ一つ頷いた。
「謀反、ですか?」
カインがどこか硬い声で尋ねると、ニコールはもう一つ頷いた。
「はっきりとした確証を得たわけではない。だが、不安要素は排除しておくべきだ。国のためにも」
「それは、その通りです」
アイザは頬を熱くしながら、肯定した。
過去、魔導院の反乱というものもあった。この国の王も血筋、つまりは貴族だ。納得しない魔導士が稀に現れる。前王の治世――つい二十数年前にも、優秀な魔導士一族が謀反を企てたとして、その血を絶やすこととなった。アイザはまだこの世に生を受けていなかったが、よく知る事件である。
しかし、どうして王がこのような話を自分にするのだろうとアイザは疑問に思った。カインも同じ気持ちだろう。
「魔導院が、魔導学校で何かの実験をしているという噂を耳にしました。魔導院にいろいろな物資が運び込まれているとも。しかしどれも、陛下がおっしゃったように確証は得られておりません」
ディズールの言葉に、ついにカインが疑問を口にした。
「そのお話を、何故我々になさるのでしょうか」
その質問には、ニコールが答えた。
「カイン=グリーン、貴殿は院の中でも群を抜いた知性を持っている。幼いころから父君を手伝い、実にいい働きをしてくれている。アイザ=グラッドストンは、若いながらもできることを懸命にこなしてくれている。実に誠実で、グラッドストンの領民に非常に快く慕われているらしいな。――君たち二人はとても優秀で、信頼に足る人物だ」
その言葉に、アイザは胸を熱くした。まさか、自分のような若輩者に、国王陛下からこのような言葉を賜ることができるとは夢にも思っていなかった。
「あ、ありがたき幸せにございます!」
「勿体ないお言葉にございます」
「そこで、二人に魔導院の動向を探ってもらいたい。何か怪しい動きはないか、あるならその証拠を」
「はい、謹んで承りました」
カインが服従の形をとった。アイザも倣い、了承した。
「ことを大きくせずに済ませたいと思っている。このことは君たちにしか伝えていない。頼んだぞ」
ニコールの言葉に、二人はまた、深々と頭を下げたのだった。
「くれぐれも無理はしないようにお願いします」
王の部屋を退室したカインとアイザを、ディズールが見送ってくれた。
ディズールは笑みを浮かべながら、二人の肩をそっと叩いた。まっすぐ伸びた長い金髪とアイスブルーの切れ長な目を持つディズールは、冷酷そうな美人だが、笑うとずっと雰囲気が柔らかくなり、実際は三十も超えているのだが、アイザと同じくらいに見える。
「まだ重大事と決まったわけではありません。こちらでもいくらか調べることはします。マーシィア川の件を優先させ、そちらをきっちりこなしてください。言わずとも貴方がたなら大丈夫でしょうが」
その笑顔と言葉に癒されて、アイザは王と宰相のため、しっかり役に立とうと決心した。
そのとき、ふと城内が騒がしいことに気がついた。遠くの方で怒鳴り声や、召喚獣の鳴き声が響いている。
さっと三人の顔が曇った。
「何があったのです?」
焦った様子でわきを駆け抜けていく兵士をつかまえて、ディズールが尋ねた。
「侵入者です。ザンドの間諜かと思われたのですが、どうやら最近城の周りを嗅ぎまわっている盗賊だったようで…堀に飛び込んで逃げだしたので、今追跡を…」
「盗賊ですか…物騒ですね」
「あいつら、どうやら城の宝物庫を狙っているようです。最近、よく現れるんです」
「早く捕えてくださいね」
「はいっ!」
兵士はびしっと敬礼して、駆けていった。
「盗賊とはまたやっかいですね」
カインが呟くように言うと、ディズールは一言、大丈夫でしょう、とだけ言った。しかし、そのディズールの顔色は少し暗く見えた。
「……すみませんが用件を思い出しました。城門まで見送れなくて申し訳ありません」
ディズールの言葉に、アイザはとんでもないと首を振った。
「ここまでで十分です。どうぞお気になさらず、ご用件にお向かいください」
「すみません、では失礼します」
アイザはカインと二人で城門まで向かう途中、魔導院の件はまず独自に情報を集め、互いの情報を交換してから次を決めようと話し合った。
城門まで来ると、それぞれの従者が馬を曳いて待っていた。
「それじゃあ、橋の件、頑張ろうぜ」
「ああ」
カインはポンとアイザの肩を叩くと、自分の従者のもとへと向かっていった。アイザも従者のもとへと足を向ける。
「アイザ様、お疲れ様です」
「ありがとう」
アイザは従者のシッチから手綱を受け取ると、栗毛の愛馬に跨った。シッチも自分の馬に跨り、アイザの後をついてくる。
「お屋敷へお戻りになりますか」
「グラッドストンの方へは向かうが、今日は道すがら、橋の視察を行う。王都内の橋を見て、街の宿で一泊しよう。明日、グラッドストンへ帰る」
グラッドストンはマーシィア川の下流の方にあり、王城からは馬で二日の距離だ。ゆえに橋の視察は帰路と重なり苦でもなかった。それよりも、魔導院のことの方がアイザにとっては重い。
宿屋で魔導院に関する情報収集も行おうと、アイザは考えていた。物資を集めていたのなら、物流の一部である街には何らかの情報があるはずだ。
「橋の視察ですか。承知しました」
シッチが神妙に頷く声を聞いて、アイザは一つ目の橋に向かい、手綱を曳いた。
王都内の橋の視察は全て無事に終わったが、魔導院に関して、アイザが求めるような噂はなかった。ただ、カーリス伯が最近頻繁に街に来ている、ということだ。
カーリス伯は下級貴族であるが、魔導士の資質も備わっているため、魔導士となり魔導院に属している古株だ。あまり評判のいい男でもないが、カーリス伯が謀反を企てる――またはそれに加担するとは、アイザには思えなかった。彼は、野心家ではあるが、それは王に媚びへつらって自分の株を上げようとするものであり、少しでも自分に危険があるような道は選ばない男だ。
一応その情報は頭の隅に書き留めて、明けた翌日、アイザはシッチを引き連れて、川沿いをグラッドストンに向け進んでいた。
「アイザ様、もうすぐサーロゥ橋ですよね。サーロゥ橋の近くにはリートの並木道がありますよ。そちらで昼食にいたしましょう」
シッチが声をかけてきた。急ぐ旅でもないため、馬は駆け脚ではなく速脚だ。
「そうだな。今日は天気も良くてリートの花も綺麗だろう」
アイザが笑って頷いてやると、シッチもはにかんだような笑みを浮かべた。
シッチは五歳のころにグラッドストン家に奉公に来た子だった。それから八年間、ずっとアイザの従者として仕えている。気配り上手の優しい心根の少年で、アイザは彼を弟のように可愛がったし、彼もまたアイザを慕ってくれていた。
「僕は、リートの花も好きですが、実も好きです」
「ああ、昔、お前が大事そうに抱えていたリートの実を取ったら泣きべそをかいていたな」
「そ、そんな昔の話、忘れてください!」
真っ赤になるシッチを見て、アイザは声を立てて笑った。その笑い声に、ますますシッチはふくれっ面になった。それもアイザから見れば可愛いものだが、流石にかわいそうになってアイザは笑いを止めた。
「シッチ、そう膨れるな。ほら、サーロゥ橋が見えてきた。リートも咲いているぞ」
前方に目を向ければ、橋の欄干が小さく見え、そのそばに大きな樹が並び、白い花が咲き乱れているのが分かる。近くには民家すらないので、ものすごくのどかだ。
それを見たシッチは、すぐに顔を華やがせ、機嫌を取り戻した。
「うわぁ、すごい。綺麗ですね、アイザ様」
「そうだな。近くに行くときっともっと――…」
綺麗だろう、と言いかけて、アイザは言葉を飲んだ。橋の欄干のずっと下、川面に何かが浮かんでいるのが見えたからだ。アイザはじっと目を凝らすと、次の瞬間、驚きに目を瞠り、馬を駆けさせた。
「アイザ様!?」
急に駆け脚になったアイザにシッチは驚いているが、説明をしている暇はなかった。アイザは急いで橋に駆けより、そして、確信した。
水面に浮いているもの、それは人だった。支柱に引っかかり留まっているだけで、生きているのかは分からない。それは動かず、ただゆらゆらと揺れているだけだ。
馬から降りると、アイザは服を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。そして、その人のもとへ向かう。それは黒髪の青年だった。アイザはその腕を掴んだが、それは恐ろしいほどに熱かった。発熱している。まだ生きているのだ。
アイザは青年を片腕で抱きこむと、川岸に戻った。青年の体を陸へ引きずりあげる。
追いついたシッチも、人が溺れていたのだと知り、あっと声を上げた。
「アイザ様!その方は…!?」
「まだ生きている!すぐに火をおこせ、シッチ」
「は、はい!」
シッチは急いで荷物を解き、火をおこし始めた。
アイザは青年の顔に手を何度か当て、声をかけたが返事はない。口元に手を遣ると、呼吸はしているがかなり弱い。アイザは青年の体を横向きにして、その背中を何度か叩いた。
すると何度目かで、青年の口から水が吐き出された。
「――っぐっ、げほっ…ふっ、げッ…はぁっ」
苦しそうに、何度も何度もせき込んで、大量の水が地面に広がる。
「…っふ、はぁ、はぁ…っ」
「大丈夫か!?」
飲んだ水を全て吐き出したのか、青年の体が大きく揺れ、荒い呼吸が繰り返される。アイザが青年の顔を覗きこむと、その瞬間、閉じられていた青年の瞳が開いた。
「――っ」
アイザは息を飲んだ。青年の瞳は、今まで見たこともない漆黒だった。吸い込まれそうなその色に、一瞬思考が停止する。
しかし、その一瞬ののちには、虚ろな瞳はまた瞼によって閉じられた。たぶん、アイザの顔も見えてはいなかっただろう。また青年は気を失ってしまったようだが、今度は呼吸も大きく、先ほどよりはましになっている。
そしてやっと、アイザは青年の全貌を見た。
安っぽい一枚の布でできたチュニックに、手首に付けられた番号札付きの厳つい鉄の手錠。青年が身につけているものはそれだけだった。間違いなく、彼は奴隷だ。よく見ると、彼の体には所々擦過傷があり、足の裏は皮が捲れている。どこかの奴隷市から逃げ出して、川へ足を滑らせたのだろうか。
「アイザ様、火がつきました!」
シッチの呼びかけに、アイザは青年の体を抱え上げ火のそばへと移動した。
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