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第二章 -10

 まさに秋晴れというように、青く澄みあがった空は高く、冷えた空気は澄んでいた。  祐貴はいつもよりも早い時間に、やや興奮気味のシッチに起こされ朝の仕事を片付けた。 「もう出発だって、行こうユゥキ」  シッチに促され、昨日準備した馬車の元へと向かう。そこにはすでにアイザがいた。 「おはようございます、アイザ様!」 「おはようございます」  シッチに続き、祐貴もぺこりと挨拶する。昨夜待ちぼけたこともあり、アイザの顔を見るのはなんだか少し辛かった。 「おはよう、シッチ。ユゥキも、今朝はいつもより早かったらしいが、大丈夫か?」  でもアイザはいつもと変わらない。蟠りを持っている自分が馬鹿らしかった。 「う……はい。大丈夫です、アイザ様」  うん、と答えそうになるところを、慌てて言い直した。今日はリーナも一緒なので、絶対に敬語を忘れるなとシッチに言い含められていたのだ。 「……なら、よかった。さあ、出発だ。乗って」  昨日よりもちゃんとした敬語を使ってみせたので、アイザは驚いてくれるかと思った。しかし、その表情は予想外に曇っている。  何か間違えてしまったのだろうか。シッチに不安げに視線を送ると、彼は満面の笑みで「上出来だよ、その調子でね」と褒めてくれた。  リーナとカインはすでに馬車に乗っているらしい。祐貴もアイザに促され、馬車の入口に向かった。しかしシッチだけは違う方へと行くので、祐貴は首を傾げる。 「シッチは?」 「僕は御者だから」  そう言って、数頭の馬が繋がれた御者台の方へ向かう。そこにはすでにリーナの従者が一人座っていて、二人で操るらしい。  シッチとまたあとで、と挨拶を交わし、祐貴は大人しく馬車へ乗りこんだ。  中からは話声が聞こえていたが、祐貴が入るとそれが止んだ。そしてすぐにきらびやかなドレスを纏う女性と目が合った。彼女がリーナだ。  初めて見るリーナは、祐貴が思っていたよりも凛々しかった。見事な金髪にロココ調なドレスは、まるで映画の登場人物のようで不思議だった。  彼女が、アイザの婚約者。  薄茶の目でじろりと上から下まで舐めるように見られ、祐貴は体を強張らせた。初対面なので挨拶をしなくてはと思うのに、緊張して言葉が上手く出ない。  しかしすぐにアイザが乗ってきて、祐貴をカインの隣に座らせた。その対面、リーナの隣にアイザは腰を下ろす。そして、祐貴を紹介してくれた。 「リーナ、彼はユゥキ。私の新しい従者だ。ユゥキ、こちらはリーナだ」 「はじめまして、リーナ様。ユゥキと申します」  座ったままでの挨拶は失礼かもしれないが、狭い車内なので仕方がない。アイザの紹介に胸をなで下ろして、シッチに教えられた通りに祐貴は挨拶した。 「……なぜ従者がここにいるのかしら?」  帰ってきた声は鋭く、棘がある。祐貴は一瞬言われた意味を理解できなかった。  祐貴は何か言わなければと思ったが、それより先にアイザが口を開いた。 「御者はちゃんと二人いますので」 「新人の従者が主人と同じ馬車に乗るなんて考えられないわ」 「あ…」  リーナが不機嫌に言い捨てたセリフに、祐貴はやっと状況を理解した。よく考えればこの小さな空間にいる四人のうち、祐貴以外は皆貴族なのだ。祐貴だけが異分子で、場違いだった。  祐貴も御者台に行くべきだし、行きたい。しかし行っても役立たない上に、馬を興奮させてしまう恐れがある。 「御者台が満員なら、別の馬で行くべきだわ」  リーナの言う通りだ。しかし、祐貴は馬に乗れない。  自分が甘やかされていることを痛切に感じ、祐貴は恥ずかしく情けなかった。何も言えず、俯いて両手を握りしめる。 「馬車は十分に余裕があるのだから、いいでしょう。新人と言えど、私はユゥキを信頼していますので」 「……そうですの」  アイザがすぐさまフォローしてくれたが、それでもリーナは不満げだった。アイザにもリーナにも申し訳なく、立つ瀬がなかった。 「まぁまぁ、いいじゃないですか。旅は大勢の方が盛り上がるってものですよ。さあ、出発だ!」  カインが明るい声で場を取りなしたところで、馬車が動き出した。がたがたとかすかに揺れながら、ゆっくりと進んでいく。  出発してからも、祐貴は空気になろうとただ黙っていた。こっそりと窓から外の風景を眺めて過ごす。  祐貴はグラッドストン家の屋敷の側にある町の市場には行ったことがあるが、それ以上の遠出は初めてだった。  初めこそ町並みが広がる側を通っていたが、風景はだんだんと長閑になっていった。畑が広がっていたり、たまに遠くに大きな家や、家畜小屋が見えたりする。  随分長い時間馬車に揺られているが、カインが色々な話をしているので、車中の空気は悪いものではなかった。楽しげに話し、程よくアイザやリーナに話を振る。  ただ、アイザとリーナの間に親しげな雰囲気が一切ないことが祐貴は気になった。カインばかりがしゃべり続けているせいか、二人だけの会話はない。 「そうだ、リーナ嬢はユゥキのような瞳を見たことはありますか?ずいぶん珍しい色ですよ」  不意にカインの口から自分の名が聞こえ、祐貴は驚いて顔を上げた。 「え?」 「ほら」  カインに微笑みかけられ、祐貴は戸惑う。するとリーナの視線がこちらに向いた。  もしかしたら、カインは気を遣ってくれたのかもしれない。リーナが少しでも祐貴を気に入ってくれるようにと。 「確かに、見たこともない色だわ」  表情は硬いが、リーナは驚いたように息を飲んだ。その反応に気を良くしたのか、アイザが嬉しそうに「綺麗でしょう」と言うと、彼女はしかし、顔を顰めた。 「髪だけじゃなく目まで真黒だなんて、ひどく不気味だわ。呪われているみたい」  今度は祐貴が息を飲む番だった。  アイザなどはそれこそじっと瞳を見つめながら、綺麗だとよく褒め称えた。シッチや他の使用人たちも、神秘的だと祐貴の瞳を羨むことはあっても否定することはなかった。  祐貴にとっては当たり前の色なのに、褒められるのはなんだか気恥ずかしく嫌だった。しかし、不気味だと受け取られるのは初めてで、かなりショックだった。 「その目で見ないで頂戴。こちらまで呪われてしまいそうだわ」 「……申し訳ございません…」  どうやら祐貴は、リーナには完全に嫌われてしまったらしい。  祐貴も、リーナを好きにはなれないと強く思った。見たこともない黒い瞳を不気味だと思うのは仕方ない。しかし、それをはっきりと言ってくるのは、素直というのとは違う。  アイザの婚約者だからきっと優しい人だろうと、本人を知れば妬む気持ちも落ち着くだろうと思っていたのに。むしろ、なんでアイザはこんな人を選んだのだろうと悲しくなった。  カインは申し訳なさそうに苦笑した。祐貴にちらりと目配せし、謝意を伝えてきた。別にカインは悪くない。  後で気にしないでとこっそり伝えようと思ったところで、アイザの怒りを孕んだ声がした。 「リーナ、ユゥキは私の大切な従者です。呪われているなど、失礼なことを言わないでいただきたい」  はっきりと祐貴をかばう言葉に、少しだけ心が救われる。しかし、それでは余計にリーナの機嫌を損ねてしまうのでは、と祐貴は危惧した。そしてそれは予想通りだった。 「アイザ様こそ、私が不快になるような従者を側に置くなんて、婚約者に――ディズール家の長女に対して失礼ではないのかしら」 「それは…」  アイザが口ごもっていると、馬車の動きが止まった。  ふと祐貴が外を見れば、そこはもう長閑な田舎道ではなく、建物が多く並ぶ町だった。たくさんの人が行き交い、遠くから色々な喧騒が聞こえてくる。  馬車の扉が外から開かれ、シッチが顔を覗かせた。 「ご到着いたしました!長旅お疲れさまでした、お足もとにお気をつけて!」  ナイスタイミングだ、と祐貴は心底思った。  たくさんの露店が並ぶ中を、市場とは比べ物にならないくらいたくさんの人たちが歩いていく。露天商も客も、遠くから来た人が多いようだ。皆活気にみち溢れていて、笑顔だった。 「ここの大通りは各国から取り寄せられた商品とか、取れたての食材とかが売られているんだ。お菓子とかもあるよ。そして、ここを抜けたところに大広場があって、いろんな見世物をやってる」 「すごい、すごい。たくさんあるね。あ、あれ何?」 「ん?ああ、あれは――…」  シッチの説明を受けながら、祐貴はきょろきょろと色々な方向に首をめぐらせ歩いていた。  馬車での会話は打ち切られ、今は皆祭りの熱気に飲まれている。リーナとアイザが先を行き、その後ろにカインとリーナの従者、最後にシッチと祐貴が並んでいた。  祐貴は初めて見るものばかりで、沈んでいた気分も今は一時封印された。 「いらっしゃい、旦那!テイから届いた髪飾り、どうだい!」 「こっち、見て行ってくれ!うちのリートはどこよりも美味いよ!」  カインやアイザには、店主たちから次々と声が掛けられる。二人は慣れた様子で店の者をいなし、歩いていく。 「店の人間も客を選んでいるんだ。今日のお召し物は質素にしているけれど、やはり商売人には立派なものだと解るのさ」  シッチの言葉に祐貴はなるほどと頷く。加えてリーナも、そこらを歩く娘たちとは比べ物にならないくらい豪奢だ。  それでもアイザ達はどの店にも立ち寄る気配はない。祐貴はシッチに尋ねた。 「どこに行くの?」 「もうすぐ広場で鼓笛隊の演奏があるから、それを見に行くんだ」 「へぇ、演奏か。楽しみだね」 「うん。鼓笛隊の出し物が一番の見どころだよ」  大広場にはすぐに着いた。祭りの中心地らしく、中央にある大きな噴水の周りに綺麗な旗とリートの実が山のように飾られていた。そこで所狭しと色々な人たちが活動している。  ぱっと目に付くだけでも、ダンスを踊っていたり、手品を見せていたりと様々だ。  広場の一角にはステージが作られていた。その前に木製のベンチが数列並べられていて、祐貴たち一行はそこに陣取った。すでに人はいっぱいだったのだが、アイザの姿を見た一人の男性がここに通してくれた。予約でもしていたのだろうか。 「ほら、リートで作ったジュースだよ」  いつの間にか離れていたリーナの従者が、全員に飲み物を買ってきてくれていた。お礼を言って甘酸っぱいそれを飲みつつ、鼓笛隊がやってくるのを待つ。  それから広場の人口が二倍くらいになると、ダダダダダ…と、ドラムロールの音が響き、鼓笛隊が群衆の前に現れた。二十人くらいの若い男たちは揃いの隊服のようなものを着て、それぞれ太鼓や横長い笛を抱えている。わあっと歓声が上がり、広場の熱気が一層高まった。  演奏が始まり、声が潜む。祐貴には聞き慣れないメロディーだったが、明るくアップテンポな音楽は心を躍らせた。  一曲が終わると、大太鼓を抱えている一人が大きな声で挨拶をした。 「収穫に感謝を、リートに感謝を!冬に向けての英気を養い、春を迎えましょう!」  再び歓声が上がる。祐貴も拍手をし、シッチと顔を合わせて笑いあう。  演奏が再開されると、鼓笛隊は色々な所へ動き出した。マーチングバンドのようにフォーメーションを取ったり、アクロバティックな動きをしてみせたりする。観客は皆、魅了されていた。  立て続けに数曲が演奏され、音が止む。次の瞬間には大きな拍手と口笛が湧き上がった。 「それでは、もっともっと祭りを楽しんでください!」  初めに挨拶した人がそう声を上げると、鼓笛隊は演奏しながらステージから降りていく。この後は大通りをパレードするそうだ。 「すごかったね。上手だった」  ほう、と息を吐きながら祐貴が言うと、隣のシッチは真っ赤な顔で何度も首を縦に振った。 「うん。素敵な演奏だった」  楽しげな演奏はだんだんと遠ざかっていく。 「まだここで何かあるの?」  観客のいくらかは鼓笛隊と共に散っていったが、大半がまだステージ前にいた。シッチに尋ねてみるが、彼も次の出し物が何かは解らないらしい。すると、シッチの隣に座っていたアイザが答えてくれた。 「次は魔導士がでるそうだ」 「マドウシ?」 「じゃあ、召喚獣が見られるんですね!」 「ショウカンジュウ?」  祐貴だけがわけが解らず首を傾げていると、一人の中年の男がステージの上に現れた。拍手が鳴る。  男はジャケットのようなものを着ていて、たぶん正装しているのだろうが、髪はぼさぼさ顔は無精髭だらけで違和感があった。ステッキを片手に持っているだけで、一体何をするのかは解らない。 「見ていれば解るさ」  アイザは悪戯っぽく笑った。  ステージの男が拍手に応えるように両手を広げた。 「どうもどうも、皆様方ごきげんよう。自分は魔導士のファイラ=トーンです。別に覚えてもらわなくて結構ですよ。魔導士と言っても議員でもなければ院生でもない。単なる落ちこぼれってやつです。お祭りで営業に出るくらいのね」  仰々しくお辞儀をしながら男――ファイラは続ける。 「さてさて、落ちこぼれな自分ですが、魔導士の端くれ。こんなことくらいはできるわけで」  男は懐に手を入れると、そこから小さな小瓶を出した。十センチほどの大きさのそれは、碧く色づいていて中身は見えない。  あれはなんだろうと祐貴が目を凝らした時だった。ファイラが高らかに叫んだ。 「出てこい、アール!」  その瞬間、瓶から一気に何かが噴き出した。そして、ファイラの隣に、大きな影が現れた。  いや、影ではない。 「―――ッ!!」  会場に悲鳴とどよめきが響き渡る。祐貴は叫び声さえ上げられなかった。 「おおっと、皆様、大丈夫ですよ。私のアールは良い子なのでね、ご安心を。何と言っても唯一落ちこぼれの私に応えてくれたやつですから」  ファイラはのんびりと言いながら、「それ」を撫でた。悲鳴はすぐに止み、僅かな緊張感が残ったものの、皆安心して「それ」を観察している。  シッチもアイザも、その先に座るリーナやその従者、カインだって驚いた様子はない。この国では当たり前のものなのだと、祐貴は思い知った。 「それ」は、異形の獣だった。大きな青い豹に見えるが、二本の牙は恐ろしいほどに大きく、尻尾は二股に割れている。小さな小瓶から出てきたことと言い、間違いない、城や人買いのところで見たものと同じだ。 「ユゥキ?怖がらなくても大丈夫だよ。あれは召喚獣だから」 「やはり、ユゥキの国にも魔導士はいないのか」  ぎゅうとしがみつく祐貴の顔を覗き込みながら、シッチが笑いながら声を掛ける。アイザの訪ねてくる声に、動揺した祐貴は思わず敬語を忘れてしまっていた。 「いない、知らない、あんなの――あれはなに、なんなの」 「彼、ファイラは魔導士といってね。召喚獣を異界…違う世界から呼ぶことができるんだ。召喚獣っていうのは、今見ているあの獣だよ。召喚獣には色々な種類がある。強いものから弱いもの。不思議な力を持っているものなど様々だ。呼び出される召喚獣は魔導士の力量で決まってくる」 「あの青いのは?」 「あのファイラは自分でも言っていたが、そんなに力のある魔道士ではない。だからあの青い召喚獣も、召喚獣の中では下位だろうね。下位と言っても、人間じゃ敵わないが」  祐貴は呆然とした。異界から異形の獣を呼び出すなんて、ファンタジーの世界だ。ここが祐貴のいた世界とは全く違う場所なのだと、改めて痛切に感じた。  青い獣は大人しくファイラの隣に座っている。  彼が「跳べ」と命令すれば、獣は信じられないくらい高くジャンプした。客から歓声が沸き起こる。それからもファイラが命ずるままに、獣は従ってみせる。サーカスの猛獣ショーのようなことが繰り広げられた。 「ほら、大丈夫って言っただろう?もう、ユゥキは怖がりだな」  獣が動くたびにびくびくと体を揺らす祐貴を、シッチは眉尻を下げて宥める。 「召喚獣は召喚主である魔導士と契約を結んでいるから、魔導士の命令に絶対に従うんだ」 「絶対…?」 「そう、絶対」  あのときのように襲いかかられることはないのだと解り、少しだけ安堵する。そしてやっと、祐貴は顔を上げてしっかりと召喚獣を見つめた。 「っ!!」  祐貴は息を飲み、動けなくなった。ステージの上の召喚獣が、じっと祐貴の方を見つめていたのだ。静かな青い瞳が、真っ直ぐに祐貴を射抜いている。  どうして。  その疑問の言葉を呟くことすらできず、ファイラの出し物が終わるまで、祐貴は体を強張らせていた。

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