17 / 55

第二章 -11

 いくつかの出し物を見終えた後、太陽はもう真上にまできていた。  これから露店を見てまわろうというところでリーナが「疲れた」と言いだしたため、リーナとその従者、さらにアイザは先に馬車の元へ戻ることとなった。  リーナの我儘にあっさり付き従うアイザが、祐貴は悲しかった。祐貴をこの場に連れてきてくれたのはアイザなのに。  結局、祐貴とシッチはカインのお供という大義名分を得て、露店の並んだ道をきょろきょろと見回しながら歩いていくこととなった。 「俺は少し用事があるから、別行動させてもらう。お前たちは二人で大丈夫だろう?」  カインはシッチを見ながらそう言った。その言葉は使用人にというよりも、弟や息子に対しているようだ。 「はい、もちろんです!」 「よし、いい子だ。ユゥキは危なっかしいが、シッチがしっかりしているからな」  カインはにやっと笑いながら、今度は祐貴に視線を向けてきた。  少し腹立たしいが、右も左も解らない祐貴は、今ここで一人にされればどうなるか解らない。むっとした顔を何とか抑えようとして、少し歪んだ顔になった。  対照的にシッチは、信頼があることを誇らしく笑う。 「任せてください!」 「じゃあ、馬車のもとで落ち合おう」  カインはそう言い残すと、シッチの手に少しのコインを「小遣いだ」と押し込めて去っていった。その足取りは目的地がはっきりしているようで、人ごみを掻きわけまっすぐ進んでいく。  カインを見送ってから、シッチは祐貴を振り返り、ぎゅっと手を握った。 「僕らも行こう。ユゥキは何が見たい?何でもあるよ」 「えっと…頼まれたお土産、買わないと」 「うん、じゃあお土産を買いながら、いろいろ覗こうね。欲しいものがあったら言ってね。値切ってあげるから」  シッチは祐貴の手を引き歩き出す。これではどちらが年上か解らないが、祐貴は素直にシッチに導かれていった。  シッチの楽しくて堪らない、という空気が、今の祐貴にはとてもありがたかった。それに釣られ、自分の気持ちも明るい方へ持っていこうとこっそり深呼吸する。  アイザとリーナのこともある。だが、何故か、それと同じくらい先ほどの出し物で見た召喚獣がずっと胸に巣食って離れないのだ。言いようのない、形のない不安がずっと消えない。  あれもこれも、祐貴の気分を沈めていく。周りはお祭りで浮足立っているのに、祐貴だけが隔離されているようだった。  シッチと並んで、異国の髪飾りや岩塩、織物で作られた小物入れなど、館の使用人たちに頼まれたものを色々と買っていった。  商品も珍しいが、祐貴はシッチの交渉術の方が面白かった。シッチは値切るのがとてもうまく、自分の姿がまだ幼く見えることすら利用して、ほとんどのものを半額以下で買い取っていた。使用人たちが土産を頼んだのは、初日だからというだけでなく、シッチに買ってもらった方が安く手に入るからではないかと祐貴は思った。  次は女中のルゥに頼まれた花の刺繍の入った反物を買うため、二人は綺麗な布がたくさん広げられた露天へと足を向けた。 「やあ、やあ、いらっしゃい。どんなものをお求めだい?テイの花刺繍のものも、ザンドの織物もそろっているよ」  人好きのする笑みを浮かべた小太りの主人は、両手を広げて客である二人を歓迎してくれた。  その主人の言葉通り、そこには色々な種類のものがあった。祐貴やシッチが着ているような綿だけでも様々な色があり、他にもサテン地や細かな花の刺繍がびっしりとされた物、エスニック調の変わった模様が描かれた物もある。 「テイの花刺繍のものが欲しいんだ。肌の黒い女性に似合いそうな、綺麗なの」 「おお、おお、ありますともさ。若いのに、女性に贈るのかい。憎いねぇ。これなんか、お勧めだよ」  シッチは早速ルゥからの頼まれものを選び始めた。祐貴は解らないので、並べられているものを見ながら終わるのを待った。  並べられた反物を眺めていると、ふと、主人の隣に置かれている小さな布切れが祐貴の目にとまった。反物とは呼べない、青みがかった少しの布が折り重なっている。それにもちゃんと値札が下がっていて、売り物であると解る。  祐貴はその布に、非常に見覚えがあった。 「…それ……」  交渉を始めたシッチの隣で、祐貴は呆然と呟いた。 「え?なに?」  シッチが目を瞬かせながら振り返った。  祐貴は、震えそうになる手を布地に向けて指差した。シッチも店主も指のさす先を視線で追い、それが青い布地を指していることに気付いた。  店主がああ、と頷きながら、その折り重なった布を手にとって掲げて見せた。 「これかい?目の付けどころがいいねぇ、にーさん」 「それは何?」  シッチは目を好奇心に輝かせながら店主に尋ねる。店主の方は得意げに、顔を不敵に微笑ませた。 「これ、実は生地ではないんだ」  ばさ、と折り重なった生地が広げられた。  それを見て、祐貴は涙が出そうになった。それは、青い分厚い生地――デニム生地でできたズボン。膝の部分の色が少し薄れていて、裾の部分が僅かに擦れている。バックに縫いつけられた皮のタグには、祐貴の見慣れたアルファベットで馴染みのメーカー名が書かれている。  間違いない。祐貴がこちらに来た時に穿いていたジーンズだ。 「これ、ホーズ?どこの国の?」 「そうさね。王都の売人から手に入れたんだけどね、実は何処の国かは解らないんだよ。珍しい生地を使っているだろう?ずいぶん分厚くて、頑丈で。本当はこの生地の反物を手に入れたかったのだが、どこの国かも解らんので手に入れようがない」 「へぇ」 「このホーズのすごいのは生地ばかりじゃない。ほら、ここをご覧よ」  店の主人は言いながら、ズボンのチャック部分を太い指で指す。 「この金属でできたボタンも珍しいし、何よりこの金具だ。かなり細かい作りをしているのだが…見てくれ、面白いんだ」  主人はチャックを上げ下げして見せる。閉じたり開いたりするそこを見て、シッチは目を見開いた。 「えっ?なんでくっついたりはなれたりしてるの?どうなってるの?すごい!ユゥキ、すごいよ!」  そんなもの、祐貴のいた場所では当たり前だった。全然すごくなんてなかった。顔を輝かせるシッチやしたり顔の店主に、そう怒鳴り散らしてやりたい衝動にかられた。  祐貴は俯いて一秒目を閉じ、心を落ちつけてから顔を上げた。表情筋に力を込め、にっこりと笑う。 「すごいね、おもしろい。それが欲しいな」 「いいとも。にーちゃんなら穿けるだろうしね。エマヌエーレ人じゃない方が似合うかもしれない」  それはきっと、穿けるだろう。腰回りも丈もぴったりと、まるで祐貴のためだけに誂えられたかのように。  俺は穿けないからな、と腹を撫でながら笑う店主に、祐貴は苦笑した。 「ただし、金は足りるか?千セルだ。こればっかりは一エレもまけてやれんよ」 「せ、千んん!?」  提示された金額に、一番に声を上げたのはシッチだ。祐貴はまだこの国の金銭感覚に慣れていないため、すぐにはどのくらいなのかは解らなかったが、シッチの反応だととてつもなく高いのだということは解った。 「ええと、千、セル…って…」  祐貴は頭の中で計算した。  だいたい、五エレでバターロールのような小ぶりのパンが一つ買える。つまり十エレで二つ。十エレは一セルだから、千セルだと二千個のパンを買える。 「そんな…」  祐貴は普段、使用人たちのように給金をもらっていないため、今日は一つ何かを買ってもらう約束をアイザとした。そのためのお金はアイザがいない今、代わりにシッチが持っている。  しかし、いくらなんでも千セルのものを買ってもらえるわけがない。 「いくらなんでも、千セルは高すぎるよ。誰も買えやしないさ。こっちの花柄の反物も買うんだから、もう少しまけてよ」  シッチが不満をぶつけるが、店主は頑として譲らなかった。宣言通り、一エレだってまけてくれない。百戦錬磨のシッチのあの手この手をすべて断ち切り、初めてシッチは惨敗したのだった。 「これは珍しい上に一点もの。金がないのなら諦めるんだね」  結局、その店ではルゥへの土産の反物しか買えなかった。 「あの親父!結局最初っから売る気はなかったんだよ!見せびらかしたいだけ!」  シッチはぷりぷりと腹立たせながら、反物を抱え歩く。その一歩後ろを歩く祐貴は怒りより悔しさの方が強かった。  ――あれは、自分のものなのに。  男たちに奪われた自分の服。祐貴自身もあのように売られるところだったのだ。それを思うと改めてぞっとした。  祐貴は左腕にずっとはめたままの壊れた時計にそっと触れた。 「ユゥキ、他にもっと安くていいホーズ売ってるよ。それを買ってあげるから」  振り返ったシッチは笑顔だったが、祐貴のあまりにも気落ちした態度にだんだんと顔を曇らせた。  執着を見せたら、あれが祐貴のものだったと――祐貴のいた国のものだとばれるかもしれない。そうなれば、いろいろと面倒だった。  祐貴はシッチの手を握り、声を弾ませた。 「うん、そうだね。珍しくていいなって思ったけど、本当はあの色よりもっと暗めの色の方が好き。他のとこ、案内して」 「うん…」  シッチの表情は申し訳なさそうにしていて、名残は伝わってしまっている。しかし、祐貴よりも強い力で手を握り返し、ぐいと引っ張って行ってくれた。  それから、館の者たちへの土産を全て買い終えた。シッチも木で編まれた小物入れを手に入れて上機嫌だ。祐貴だけは、何も買ってはいなかった。珍しいと思うものは多々あれど、欲しいと思うものはなかった。 「はぁ、結構な荷物になってきたね。少し休憩して、リートでも食べて…戻ろうか」  露店の切れた道端に抱えていた荷物を下ろし、シッチがそう提案した。祐貴も頷いた。 「じゃあ、僕が買ってくるから、ユゥキはここで待っていてね」 「うん」 「知らない人に着いていったらだめだよ!お菓子貰ってもだめだよ!」 「もう、解ってるよ!」  子供扱いするシッチを不貞腐れた顔で見送りながら、祐貴は壁に背を預けた。  そんなに時間もたっておらず、長い距離を歩きまわったわけでもないのだが、人が多い分余計に疲れていた。  溜め息を吐いて周りを見回す。すると、見慣れた姿が目に入った。壁が途切れて細い路地になっている場所に、カインが立っていた。 「あ…」  声を掛けるべきか迷っていると、カイン以外にもう一人いることに気付いた。カインはその男と何か話している。  カインよりも頭一つ低いその男は、黒いジャケットを着ている。祐貴には見覚えがあった。午前中の舞台で見た、あの魔導士のファイラとかいう男だ。  どきりと心臓が跳ねた。 「………」  祐貴は荷物を抱えて、二人の方へ向かった。シッチに動くなと言われたが、あそこはこの待ち合わせ場所が見えるし、何よりカインもいる。大丈夫だ。  祐貴はあの魔導士が気になって堪らなかった。正確に言えば、あの召喚獣だ。あの獣について何かを知りたい欲求が沸き起こる。この胸に影を落とす存在について、ほんの少しでもいいから知りたかった。 「ごめんなさい…通して…」  人を掻きわけて路地に入ったとたん、下に落ちていた大きな石に躓き祐貴はこけてしまった。荷物を抱えていたため両手をつくこともできず、肘と頬を打ちつけてしまった。とても痛い。大きな通りのように石畳でなかったのが救いだ。 「い…つぅ…」 「おいおい、派手にころんじゃてまぁ…。大丈夫かいな、お兄ちゃん」 「あ、はい…あ!」  頭上に影が降りて、祐貴は慌てて起き上がった。すると、目の前にファイラがしゃがみこんでいた。 「見事なこけ方。道化師になれるぜ」  ファイラは笑いながら、祐貴が投げ出してしまった荷物を拾い集めてくれた。  少し薄暗い細い路地には、もうカインの姿はなかった。立ち去ってしまったらしい。ここには祐貴とファイラだけだ。 「ほれ」 「あ…ありがとう…」  祐貴は座り込んだまま、荷物を受け取った。しかし手元は見ず、じっとファイラの顔を凝視した。驚いて、頬や肘を擦りむいた痛みもわかない。  視線を感じたファイラは訝しげな顔になった。 「なんだ?」 「いや、あの…」  話を聞きたいと意気込んできたものの、いざ対面してみると何を聞けばいいのかが解らない。漠然とした不安感を伝えるわけにもいかず、祐貴は困惑した。 「さっき、舞台で…あの…」 「ああ、見てたわけだ。あのお粗末な出し物を」  ファイラはふっと口角を上げた。焦げ茶の僅かに垂れた瞳に鋭い光が宿り、その顔は自嘲しているようにも見える。 「召喚獣…って…なに、ですか…?」 「ん?ああ、あんた異国の人か。召喚獣を見たのは初めてかい」  じっと見上げる祐貴が珍しい色合いをしていることに気付き、ファイラの雰囲気が穏やかなものに変わった。祐貴はファイラの問いに、ただこくと頷いてみせた。 「珍しくて驚いただろう。はは、じゃあ見事なこけっぷりを見せてもらったお礼に、特別だ」  ファイラはにやりと悪戯っ子のように笑うと、ジャケットの内に手を入れ小瓶を出した。祐貴は声を上げる間もなかった。 「アール、出ておいで」  男の囁くような声がすると同時に、祐貴の目の前に急にあの青い豹が現れた。 「―――ッ!!」  声にならない悲鳴が上がる。先ほどと違いゼロの距離に現れた獣はかなり大きい。あの青い瞳が、目の前にあった。  祐貴は目を見開き、見て解るほどに震えた。 「ほら、これが召喚獣だ。こんなに間近で見られるなんて貴重だろ」  ファイラは召喚獣の隣に立ち、その青い毛並みに覆われた背を撫ぜる。 「見た目はこんなだが、俺の命令がなきゃ襲ったりせんよ」 「でも…見てる…こっちを見てる…!」  獣はあのとき同様、真っ直ぐに祐貴を見つめていた。不思議と目を逸らせない。  祐貴の主張に、ファイラもおや、と首を傾げた。 「アール、こちらを向け」  ファイラがそう命ずれば、獣はやっと祐貴から目を逸らした。そのことに祐貴は胸を撫で下ろした。ファイラの命令をきくのは本当のようで安心する。  やっと震えが収まってきた肩を撫で、祐貴は立ち上がった。音を立てて獣がこちらを向いたらいやなので、そろそろとゆっくりと。 「いっ…」  しかし、曲げた膝を伸ばすとき、ずきんと痛みが走り声を上げてしまった。膝を見れば、擦り切れたそこから血が滲んでいる。  ファイラの方を見ていた召喚獣が、弾かれたように再び祐貴の方を振り向いた。  それから、祐貴は何が起こったのか解らなかった。 「え?」  気付けば、体が宙に浮いていた。視界が激しく揺れ、首元が苦しく生温かい。  一瞬だけ、ファイラの瞠目した顔が見えた。  次の瞬間には、ものすごい速さでファイラの姿が遠ざかっていく。 「え…っ!?」  移動しているのだ。でも、祐貴自身は動いてない。そう、祐貴は運ばれているのだ。  視線をちらりと上に持っていけば、鋭い牙が見えた。そして、広がる青。 「う……ああああああああっ!!」  祐貴は召喚獣に上衣の襟首を銜えられていた。そのまま獣は魔道士のファイラを取り残し、祐貴が来た方とは反対方向へ驚くべき脚力で駆けていく。 『なんでっ!?うそ…うそだ…!うわああああああっ!誰かぁっ!』  そちらは祭り会場から離れていくため、人がいない。叫んでも叫んでも、助けはない。人がいたとしてもこんな獣に対峙してくれはしないだろうが。 『助けてっ…誰か…アイザ!シッチ!助けて…っ』  獣は迷いなく奔る。祐貴の叫び声だけが、流されて置き去りにされていった。

ともだちにシェアしよう!