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第二章 -13
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町の端に佇む茶店では、祭りの賑わいがどこか遠くに感じられる。
アイザは花の香りのするお茶を一口飲むと、内心で大きくため息をついた。心を落ちつける効果のある花だと言うが、アイザの心は休まらない。
そしてそれは、アイザの対面に座って仏頂面でお茶を飲むリーナにも、良い効果を与えていないようだ。
「リーナは何か欲しい物などはないのですか?」
「別にありませんわ。欲しいものがあれば屋敷に商人を呼びよせますもの」
「そうですか」
これだ。
アイザは引き攣りそうな顔を誤魔化すように、再びお茶を飲む。
祭りのいくつかの出し物を見終えて、リーナが疲れたと言うので先に馬車の近くまで戻って、ちょうどやっていた茶店の通りに面した席に腰を落ちつけたはいいが、簡単な昼食を済ませてしまえばもう会話が上手く弾まない。
アイザもユゥキやシッチと共に出店を回ることを楽しみにしていたのだが、婚約者が不調だと訴えるならばそうもいかない。
見るもの全てが初めてだろうユゥキに色々と教えてやりたいと思っていたのだが、叶わなかった。
そう言えば、召喚獣も初めて見たらしいユゥキの驚き様はすごかった。あの黒々とした瞳をめいっぱい見開いて少し怯えていた姿は、失礼だが可愛いと思ってしまった。
それを思い出したアイザは、ふっと頬を緩ませる。
彼と共に行ってしまったカインを羨ましく思ったが、カインが行ってしまったおかげで、ここに留まれているというのもある。
彼らと別れて暫く経つが、リーナは早く帰りたくて仕方のない様子だ。しかし、カインに対する礼儀はあるらしく、彼を置いて先に帰ろうなどと言うことはない。
できるだけ退屈させないようにと、アイザは途切れ途切れではあるが話を続けた。
「その簪は…どちらのものですか?髪に映えてよくお似合いだ」
それは持ち上げようなどというお世辞でもなく、心からの言葉だ。
今日は下町に繰り出すというのもあって、リーナの服はいつもよりは幾分か質素にしてあるが、その頭を飾る簪は簡素に見えてとても品のある作りのものだった。銀で細かく花模様の細工がされており、その中心に一つ付いた翡翠の玉は、リーナの金色の髪ととても相性がいい。
リーナはふと顔を綻ばせた。その表情は柔らかく、いつものツンとした雰囲気が一気に和らぐ。その姿は年相応で、とても可愛らしい。
アイザは軽く目を瞠ったが、次のリーナの言葉に納得した。
「これはテイのものです。お兄様が贈ってくださったの。年始の祝いに…」
「宰相閣下からの贈り物ですか。流石ですね、貴方に似合う物を解っていらっしゃる」
ディズール宰相のこととなると、リーナはすぐに嬉しそうに話をする。
「お兄様だけが…私を理解して下さる…」
リーナはそっと簪に手を触れ、うっとりしたようにひとり言つ。
そのディズールに向ける態度をあらゆる方面に見せてくれれば、きっと誰からも好かれる愛らしい女性となるのに。アイザは少しだけ悲しく思った。
「リーナ、お茶のお代わりはいかがですか」
「…そうですわね…いただきます」
空になったカップを目に留めて尋ねると、リーナは頷く。ほんのりと染まった頬は、まだ兄のことを考えている証だ。
尋ねたのはアイザだが、リーナの従者がすぐに注文を済ませてくれた。
さて、このままディズールの話題を続けるかどうするかとアイザは思案したが、その答えを出す必要はなくなった。
「待たせたな!」
右手を挙げながら店に入ってきたのは、カインだった。アイザも方手を挙げて応えると、席を立った。
カインはいくらか買い物をしたらしく、その手には小さな袋が抱えられている。
カインはアイザ達のそばまで寄ってきたが、その後に誰も続いていないことにアイザは気付いた。
「カイン、ユゥキたちは?」
「ああ、別行動。ここで待ち合わせてるからもう少し待ってくれ」
「え…?」
別行動とは思ってもみなかった。大丈夫かとアイザは一瞬不安になったが、しっかりもののシッチがいることだ。きっと大丈夫だろう。
「そうか。お前も何か飲むか」
「ああ、茶もいいが腹が減ってね。軽くなにか食べたい」
頷くカインを見て、リーナの従者がまた注文に走った。
「失礼、リーナ嬢」
軽く礼をしてカインがテーブルに着くと、それからしばらくはカインが話をしてくれるために場は盛り上がって行った。
しかし、カインの話は面白いが、時間が長くなるほどにリーナの機嫌は下がって行き、アイザの不安は増していった。
カインが戻ってきて、もうお茶は四杯目だ。ユゥキとシッチはまだ帰ってこない。
「ちょっと遅いな…」
二人と別れてしまった手前、カインも少し心配げになっている。
たくさんの人間が集まる祭り会場で、子供――と言っても、ユゥキは立派に成人だが――だけを残すべきではなかった。
まだ祭りを堪能しているだけかもしれないが、もう日が傾いてきている。それに、シッチは主人が待っていれば、出来る限り早く戻ろうとするような子だ。
「少し、探しに行ってこよう」
アイザがそう言って立ち上がった時だった。
「アイザ様!アイザ様ぁっ!」
声と共に店に駆け込んでのは、顔をぐしゃぐしゃに歪めたシッチだった。
皆驚いて、駆け寄ってくるシッチに目を向ける。
アイザは急いでその小さな体を抱きとめた。
「シッチ、どうした!」
「アイザ様っ!アイザ様、うっ…うぅ…っユゥキが…ユゥキが…っ」
シッチはアイザにしがみつきながら、ぼろぼろと大粒の涙を零す。嗚咽交じりに一生懸命声を上げた。
「ユゥキが、い、いなく…っく…いなくなっちゃっ…」
告げられた言葉に、アイザは一瞬頭が真っ白になった。
ユゥキがいなくなった?
「僕、ぼく…が、一人にっ、したから…っ待っててって、うう…探したけど、見つからな…っ」
混乱している様子のシッチの言葉は解りにくかったが、伝えたい意図はだいたい掴めた。
一人にした隙に、ユゥキがいなくなってしまった。それで、シッチは一人で彼を探していたのだろう。
「探しにいく。カイン、シッチを…」
頼む、と、カインを振り返ったアイザだが、ダン、と激しく木を打つ音に、言葉は途切れてしまった。
音の先には、テーブルに両手を付き立ち上がったリーナがいた。激しい音はリーナが手でテーブルを打った音だった。彼女の隣で、従者が少し青い顔をしている。
「私、もう帰ります」
はっきりと彼女は言った。
「迷子の従者なんて、自警団に探させればよろしいでしょう。だいたい、グリーン伯もすでに戻っていたのに、従者を待たされていたこと自体おかしいわ」
言葉の端々から怒気が滲みでている。
「アイザ様、帰りましょう」
「いや、馬車は一台だし…」
待ったを掛けたのは、カインだった。しかし、リーナはカインの方をじっとねめつける。
「そんなもの、なんとでもなるでしょう。一人で屋敷に戻ることもできない、主人に手を煩わせる、そんな従者に価値がございますの?」
カインはぐっと押し黙る。ここでユゥキがまだこの国に慣れていないなどと言い訳すれば、攻撃材料が増えるだけだ。
「私は、今、帰りたいんです。アイザ様」
リーナは再びアイザをまっすぐに射抜く。アイザは瞳を閉じて三秒ほどその視線を遮断してから、そっとしがみつくシッチの手を放させた。
「解りました――シッチ、馬車の準備を」
「アイザ様…!」
シッチは信じられないものを見るかのように目を丸くし、さっと顔色をなくす。アイザはそんなシッチの反応に苦笑し、宥めるようにその頭を一撫でした。
「私は残ります。リーナはどうぞ屋敷にお戻りください」
「!」
今度はリーナが顔色をなくす番だった。言われたことが信じられないとばかりに口を開け、何度も目を瞬く。
アイザはそんなリーナを無視して、シッチをカインの方に押しやった。
「カイン、リーナとシッチを頼む」
「え…あ、ああ…」
「アイザ様!僕が残ります!」
シッチはアイザに再び縋ろうとしたが、アイザはそれをやんわり拒んだ。
「駄目だ。馬車の運転を誰がするんだ?リーナの従者一人ではできない。カインにやらせるのか?」
「それは…っ」
「シッチ」
「解りました…」
アイザは頷くと、シッチからユゥキと別れた場所を聞き出し、すぐに茶店の出口へと足を向ける。
「アイザ様!」
甲高い声に足を止め、アイザは首だけで振り返る。リーナは怒りのためか、震えている。
「私よりも、従者をとるというのですか。それがどういうことかおわかりですの?」
「…貴方がお兄様を想うように、私はユゥキが大切なんです」
それだけを告げると、アイザはそこから退場した。
――一つだけ、心当たりがあります。
『ニホン』という国を知っているか。その問いに対するディズールからの返答がこれだった。
さすが博学なディズールだ。手紙を受け取った夜、アイザは緊張に震える手でそれを読んだ。
――ただ、それが国なのかは定かではありません。
――創世記の第二章三節に『ニホン』という単語が出てきます。その『ニホン』前後の文章はまだ十分に解読されておらず、『ニホン』が何であるのか詳しいことは全く解りません。
創世記とは、エマヌエーレの成り立ちが綴られた伝記だ。今から千数百年前の出来事が語られているのだが、その記されている言葉がクセモノだった。その言葉はエマヌエーレで使われている言語ではなかった。それがどこの言葉なのかすら、誰にも解らない。
内容の研究は続いているが、未だすべては解読されてはいない。ただ、伝記の内容が口伝でも残っていたため大まかな内容は解っており、国民誰もが知っている話と言える。
エマヌエーレ初代国王――ロラン=エマヌエーレ。彼は人望がすこぶる厚く、正義感に満ちた若者だった。かつて秩序も治安もなかったこの地に降りたち警邏隊を立ち上げると、女子供や老人たち、弱い者が食い物にされる世の中を変えようと奮闘した。
そのロランの人柄に惚れ込み、その意志に共感を抱き、彼に付き従ったのが北のウィスプの森に住む伝説の魔導士だ。
その魔導士の力は絶大で、力ある召喚獣を何体も従えてロランを助けた。その召喚獣の中にはその魔導士にしか呼び出せない、森羅万象を統べる召喚獣の王もいたという話だ。
やがてロランの警邏隊と魔導士はこの地を統一し、エマヌエーレという国を立ち上げた。ロランは初代国王となり、魔導士は宰相となって彼を支えた。
それからエマヌエーレはその魔導士の元、魔導院と貴族院を作りあげて今日までに至る。
国王は世襲制のまま続き、現国王までロランの血は続いている。
しかし、宰相となった魔導士のその後は知られていない。色々な説がある。ある日突如としてエマヌエーレからいなくなり、誰にも消息が解らなくなった――というのが主説だが、王を裏切って殺された、城から辞して田舎で穏やかな老後を送り死んだというものもある。
創世記でも一番難解とされているのはその魔導士について語られている部分で、ほとんどが未解読のままだ。姓名も確かではなく、文中では『イレ』と呼ばれている。その性別すらはっきりとはしておらず、男女どちらであったか未だに議論を呼んでいるほどだ。
ディズールからの手紙にはこうも綴られていた。
――第二章三節はイレについて説明の書かれている個所です。
謎だらけの魔導士、イレ。彼――もしくは彼女――と、ユゥキの祖国に関わりがある可能性がある。
イレとユゥキには謎が多いという共通点はある。手紙を読んだ時点から、アイザの中には一つの不安が生まれていた。
ユゥキもある日突然、消えていなくなってしまうのではないだろうか。
それが今、現実となっている。ただの迷子なら良い。だけど、そうでなかったら。ユゥキは二度と帰ってこないかもしれない。
祭り会場を行くアイザは自然と駆け足になった。まだまだ人の多い通りを、隅々まで見渡しながら通り抜けていく。
途中何度か露店の主に黒髪の青年を見なかったかと話を聞いた。ユゥキの黒髪は珍しいので目立つ。目撃証言は多々得たが、どれもが金色のおかっぱ髪の少年と一緒だったという。
シッチと離れてからのユゥキを見たものが一人もいない。
会場を二度ほど往復しても、ユゥキは見つからない。馬車の元に戻ったかも知れないと思い最初の場所に戻ってみても、やはり姿はなかった。
馬車も消えていて、シッチ達は帰ったようだ。リーナを怒らせてしまった。それはよろしくない事態だが、不安と焦燥に駆られた今、気にする余裕はなかった。
アイザは今度は町の外れに出て探してみようと、立ち並ぶ建物から離れるように足を踏み出した。
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